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「この度は、お慶び申し上げます」


そう言った理由を、恵美は結局教えてもらえなかった。

リディアが笑顔のまま、いつか分かると繰り返し言うので、恵美はその理由を知ることを諦めた。


リディアは、ようやく笑うのを抑え、澄ました顔でお茶を飲んでいる。恵美はリディアに気づかれないよう、そっと嘆息し、自身もお茶を飲んだ。お茶は少し冷めていて、渋みが強くなっていた。


リディアにお茶のおかわりを尋ねられ、要る旨を伝えた。ポットから出たお茶はまだ温かいようで湯気が立っている。

恵美は、今度は角砂糖を一つ入れ、ティースプーンでよく溶かした。


「さて。それではエミ、何から教えてほしい?」


恵美がお茶を一口飲むのを待って、リディアは尋ねた。恵美は少し思案し、口を開いた。


「・・・ここはどこですか?」

「私の家よ」

「・・・なぜ、ここにいるのでしょう?」

「知らないわ」

恵美はリディアの返答に、眉をひそめた。疑問の返答としては正しいが、情報量が少ない。

気づいたらこの部屋にいた、という恵美の困惑に、リディアは配慮する様子もなく、ただ簡潔な返答をくれるようだ。

ああ、違うな。ふとそう思った。

恵美は、間を持たせるようにお茶を飲む。

この人は、おそらく私の知りたい情報を知っている。でも、教えたい情報しか教えるつもりがないんだわ。

恵美は、目の前のリディアを見る。

リディアは、考え込む恵美を気にするそぶりもない。ただ微笑を浮かべ、そこに居る。


「リディアさん」

「なあに?」

恵美の呼びかけに、リディアは微笑みを浮かべた表情を崩すことなく、ゆっくりと返答した。

「リディアさんが私に教えてもいいと思っている情報を、すべて教えてください」

恵美の問いに、リディアは目を見開き、微笑みを浮かべる口元を崩した。だがそれも一瞬で、すぐに目を細め、口は再び笑みの形を描いた。

恵美を見つめながら、リディアは了承の返事をした。恵美はリディアを見つめ返す。

リディアの瞳が、きらきらと煌めいて見えた。



*****


恵美は、リディアによって案内された部屋の扉を開けた。

暖炉があった部屋 ―リビングに当たるのだと思う― とは違い、少しひんやりした、それでいて少し埃っぽい空気が恵美の脇を通った。

リディアは既に横にいない。隣の部屋から大きな布を持ち出し、それを恵美に渡すとすぐにリビングへ去っていった。

渡された布は、綿が入っているのか少し厚みがあった。キルトのようだ。


キルトを両手で抱いて、一歩部屋へと進む。


小さな物置のような部屋だ。

えんじ色というのだろうか、濃い赤色をした大きな長方形の木箱が扉正面の壁面に、その右側にはホウキやハタキ等の掃除道具が、左側には四足が付いたキャビネットがあった。そのキャビネットの横には、少し汚れた横長のソファが置いてある。

目立つものはそれくらいで、後は本が積まれていたり、木箱がなぜか床に置いてあったり、麦わら帽子が転がっていたりと、細々としたものが雑多にあふれている。

足の踏み場がないとはこういうことを言うのかと、恵美は思った。


点々と存在する物が置かれていない床を、飛び石を踏むようにして歩き、ようやくソファにたどり着いた。その上で、恵美はキルトを頭から被り、膝をかかえた。



どうやら、ここは異世界らしい。



リディアの説明は、恵美にとって信じがたいものだった。





この世界には、十二人の神がいる。

父神と、彼の妻である4人の女神。そしてその子供が7人。

これら12人のうち、父神以外11人それぞれが加護する国を持ち、その11人の内、末の息子であるボーデンが加護する国―シルゴート王国の神官だったのだと、リディアは自身のことを説明した。

『神官だった』その言葉通り、それは過去のことで、今は職を辞しているらしい。ただ、リディアは、ボーデンの眷属に近しい血筋を持つことから、ボーデンから特に加護を受けている人が判るのだと言う。

そして、恵美がそれに当たるらしい。


「あなたは、ボーデンに特別に加護を与えられた。そして、彼によってこの世界に連れてこられた」


リディアは、出会ってからほとんど微笑みの表情だった。これら説明中はもちろんのこと、恵美にとって残酷なことを告げるときでさえ、その微笑みは崩されることはなかった。


私があなたに教えてあげられるのは、それだけ。そう言って、リディアは話を終えた。




神 ボーデンは、何故恵美に加護を与え、この世界へ連れてきたのか。元の世界へ還ることができるか。

部屋に独りでいると、疑問ばかりが不安と同時に押しあがる。



恵美がソファに身を横たえると、カビと埃のにおいが鼻についた。それは、恵美に涙を誘い、涙が一筋流れると、止まることなく頬を流れだした。



*****


声を上げて泣いたのは、いつぶりだろう。

泣き疲れて、結局寝てしまったようだ。涙でべたついた顔に若干の不快感を覚えながら、恵美はソファから身を起こした。

どれくらい寝たのだろう。だいぶ、寝た気がする。空気の冷たさからして、朝かもしれないな、と思う。



恵美はソファの上で軽く腕を伸ばした。たくさん泣いたせいか、まだこの現状に納得はできていないものの、少しすっきりしたようだ。

一つに結んだままだった髪を解き、そのまま手で梳く。長時間結んでいたせいで癖が残ってしまったようだ。真っ直ぐなはずの髪の中途半端な部分が、うねっている感触がする。

髪が涙でべたべたの頬に張り付き不快感もあった。

鏡が見たくなり、恵美はざっと部屋を見渡したが、目に付くところには見つからない。

もしかしたら探せばあるのかもしれないけど。

そう思うが、そんな気にもなれず、リディアに借りようと恵美はソファから降りる。

気に入りの手鏡が学生カバンに入っていることを思い出し、それが手元にない現実に、また泣きそうになった。



リビングへと行くと、すでに暖炉では薪が燃えていた。炎の橙色の温かさは、恵美の心を安らげてくれるような気がした。

リディアは、キッチンで忙しそうにしていた。恵美がリディアに声をかけると、リディアは手を止め振り向き、恵美の顔を見て目を丸くさせた。

そんなにひどい顔をしているのだろうか。

頬を触る恵美に苦笑しつつ、リディアは席に着くよう恵美を促した。

「もうすぐで朝食ができるから、待って頂戴」

そう言って、リディアは濡れたタオルを恵美に渡した。そのタオルを有難く受け取り、顔を拭く。タオルの冷たさが心地よかった。


朝食は、丸いパンが二つと目玉焼きに、昨日とは風味の異なるハーブティだった。パンは周りが固く、中はふわっと柔らかい。焼き立てなのか、まだ温かさが残っていた。目玉焼きは黄身までしっかり焼いてある。

「美味しいです」

恵美はリディアに一言告げ、その後は夢中で食べた。最後に爽やかな後味のハーブティを飲みほし、ふと我に返る。ひどくがっついてしまった。

向かいに座ったリディアがこちらを見ている分、余計に、恵美は羞恥心を覚えた。

確かに、昨日はここでクッキーを食べただけで、それ以降何も食べていなかった。それでも、こんなに無我夢中に食べるなんてマナーも何もあったものではない。


「ご馳走様でした」

食後の挨拶だけでも、と恵美はリディアの顔を見て頭を下げた。リディアは、それに微笑みで返す。食器を流しへ持っていこうと椅子から腰を浮かべると、リディアに引き留められた。


恵美が座りなおすと、リディアは机の上で手を組み、微笑みを深くした。


「エミ、元の世界へいろいろ思いはあるでしょうけど、今はあきらめて頂戴ね」


美しい笑顔で、なんてことを言うんだ。

恵美は絶句した。

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