1 シミュレーションを開始する!
と、いうわけで。
目下の俺は、みあを前にして彼女の起きぬけにかける言葉を思案中である。
ここは最善の展開を迎えるため、彼女のこれまでの所作や応対を加味し、いくつかのパターンに分けて対応を想定してみよう。迎え得る展開で、今後のエンディングが決まるのだ。
【パターン①】
ゆっくりと目を開けたみあ。働かない頭でここがどこか、俺が誰かを考えようとしていて――――
「ここは…」
見慣れない部屋にいることに違和感を感じたのか、みあは状況を把握しようと僅かに首を横に振る。直後、視界に俺を捉えたかと思うと2・3回ゆっくりと瞬きをした。そうやって意識を覚醒させようとしているようだ。
「気分はどう?」
「私…」
「俺の家に来て、リビングで急に倒れたんだよ。覚えてない?」
「んー…」
黙って目を閉じた彼女は、1時間前まで記憶を遡らせていたのだろう、数分の後ゆっくりと目を開けた。
「そういえば…思い出しました」
「思いだしてくれて良かった。大丈夫?」
俺の問いに頷こうとした彼女は、突然はっとしたかと思うとソファーから勢いよく身体を起こした。いや、起こそうとした。まだ貧血状態が続く身体は彼女の急な反応についていけず、その反動でグラリと傾く。
「っと、まだ寝てた方が良い」
「は、はい…」
すみません…と言いながら、再びソファーへ横になる小さな身体。少し辛そうだが、俺の方を見てニコリと微笑む余裕くらいは出てきたらしい。
「辛くなったら言って。大丈夫なようなら、これからのこと話そうか?」
「は、はい。えっと…私がここに来た理由は…」
「君のお母さんから聞いてるよ。これから宜しく」
「は、はい。これから、宜しくお願いします…!」
そう言って頭を下げると、みあは血色が戻った頬を更に少しだけ赤く染めて、眩しい笑顔を初めて俺に向けた――――
――――うん。
これが一番標準かつ平常かつ安寧なやりとりだと思う。ただし、このパターンはみあが大人しい子であるという前提のもとに成り立つわけであって…。
どうやら、予想出来うる彼女の性格も踏まえて会話をシミュレーションする必要がありそうだ。
【パターン②】
目を開けたと思ったら突然跳び起きようとするみあ。そんな彼女は実は大人しい子の仮面をかぶっていて――――
「ここは…」
「気分はどう?」
髪と同じ薄茶色をした大きな瞳を覗かせ、見知らぬ天井にみあは微かに首を傾げる。が、傍から男性(俺)の声が聞こえてきたことに驚いて、慌てて身体を飛び起こした。
「だいじょ…」
うぶ?と聞こうとした俺だったが、突如正面から飛んできたクッションが顔面にクリーンヒットしそのまま言葉を奪われてしまう。威力がなかったため肉体的なダメージはほとんどないが、唐突な攻撃に精神的ダメージを微かに追ってしまう。
信じたくはないが、投げた相手に思いあたる人物はこの場合一人しかいない。
「ああ、あなた誰っ!ここどこよ…っ!?」
顔面にぶつかったクッションが重力に負けて床へと落ちる前に、先程聞いた幼い少女の声が耳に飛び込んできた。
ただし、先程と同じ声であってもテンションには雲泥の差がある声が。
「私、どうしてこんなとこにっ!…っあ…!」
「危ないっ!」
起きがけに大声を発したことが障ったのか、再び眩暈を起こして体勢を崩した彼女の身体を俺は慌てて支える。
……なんかこう、起き上がってまたふらりってのは、良いよな…。強がっててもホントはか弱いっていうかさ…ごめん。俺、
病弱萌えかもしれない。
「触らないでよっ!」
力が入らない身体で俺を精一杯振りほどこうとする姿は、なるほど千智さんが言っていた通り男性が苦手のようだ。彼女の剣幕に負けて手を放し様子を伺うが、今度は倒れないようで安心する。
「もう大丈夫みたいだな。ここがどこか思いだした?」
「ええ、思いだしたわ。言っとくけど、私は好きであなたの家に居候に来たわけじゃないんだからね!」
「分かってるよ。千智さんに事情は聞いたから」
「そう…あなたは嫌じゃないの!?こんな子どもと生活するなんて」
「それは君次第、かな?」
「何よそれ…でもまぁ、いいわ」
ソファーから降りて先程俺に投げつけたクッションを拾うと、彼女はそれを挑発的に差し出しながら笑顔を見せた。
「折角だから、一緒に住んであげる。これから覚悟しておきなさいよね!」――――
――――うーむ…。
これはちょっと無理があるか?でも病弱なツンデレ少女か…ゲームとかだと美味しいよなぁ。
だがしかし。
2次元においては美味しいとは思うが、3次元のリアルツンデレは実際問題、かなり厄介だ。俺にもリアルツンデレ(症状はまだ軽い方)な女の子、年齢的にはもう女性というべき友人がいるが…何というか、ちょっと面倒くさい。
同じオタクで気が合うからそんなに不快な思いはしたことないけど…って、そいつのことは今はどうでもいい。
仮にみあがツンデレだった場合はそれなりに耐性があるからいいとして、例の『大人の男性が苦手』という言葉が気になるところだ。
【パターン③】
目を覚ましてすぐ大人の男性である俺を見てパニックになったみあ…。
…うわぁ全力で考えたくないんですけど…――――
「ここは…?」
「気分は大丈夫?」
ようやく目を覚ましたみあに、俺は恐る恐る声をかける。
薄らと開かれていたつぶらな瞳は俺の声を耳に入れた途端に大きく見開かれ、反射的にすっと息を吸い込んだ。
「まだ気分悪い?」と問おうとした、まさにそのタイミングで小さな口が開かれる。
「っきゃあぁぁぁぁあぁぁあぁ…っ!」
「え!?ちょ、みあちゃん落ち着いて…!」
「私、どうして…っ!?何で…っ?こ、ここはどこですかっ?」
飛び起きて泣きべそをかきながらまくし立てる様子は、このまま過換気症候群にでもならんばかりの勢いだ。
俺がマズイ、と思った時は既に遅く、彼女の細い身体は再度傾いでいた。…やはり、この展開は外せない。
「みあちゃん?大丈夫?」
「みゃぁ…」
俺の腕の中に納まってしまったみあはすっかり目を回していて、更に後1時間は目を覚まさないであろうことが予想できた。
振り出しに戻る―――――
★今回の医療用語★
●過換気症候群
…起こる症状は過呼吸とほぼ同じで息苦しさや呼吸数の増加など。
過呼吸は激しい運動(肉体的要因)によって起こる。対して過換気症候群は不安や緊張(精神的要因)によって起きる。
血液がアルカリ性に傾くことから、『呼吸性アルカローシス』とも呼ばれる。