1 美少女が降ってくると、いつから錯覚していた?
先刻プレイしていたギャルゲーは、2人目の美少女が空から降ってきたところでその動作を停止している。それどころか、愛用PC自体がスリープモードに突入していた。
俺がなかなか至福の時間に戻れない理由。
それは、刻下、青白い顔でソファーに静かに横になっている少女が原因だ。先に言っておくが、
決して空から降ってきたわけではない。
話は大体1時間くらい前に遡る。
室内に鳴り響くインターホンに新しいゲームの予感を覚えて気分を上昇させた俺は、数時間ぶりに腰を上げて受話器越しの会話に臨むことにした。受話器をとれば、必然的に付属のテレビモニターにインターホンを鳴らした来客者が映り、抱えているであろうお宝の姿を拝むことが出来るに違いない。
筈だった。
「誰も、いない…?」
ところがどっこい、問題のモニターには人っ子1人映っていなかった。
少々ゾッとするシチュエーションではあるが、単なる悪戯だろうと思い、そのまま受話器を置くことにする。
と…
「ほ、保志場さんの、お宅ですか…?」
消え入りそうな女の子の声が微かに耳に届いた。声の正体を探るべく再びモニターを覗きこみ、その姿を捉えようと凝視する。しかし、そのカメラは相変わらず誰の存在も映していない。
まさか、上から来るのか…っ?
…いや、ないない。落ちつこう。
脳内で自問自答を繰り広げながら、俺は姿の見えない少女と思われる存在の問いに【答える】という選択肢を選ぶことにした。
「はい、保志場ですが」
とりあえず苗字を名乗ってみると、今度は安心と緊張が入り混じったような、複雑な溜め息が受話器を通して聞こえてきた。雰囲気から察するに、何者か分からない少女は俺のことをいくらか警戒しているようだ。
「あ、あの…私、眞城って言います…」
「眞城…?そんな苗字の知人はいなかったような…あ」
話しながら記憶を辿ってみると、その苗字に思い当たる顔が1人だけピンと脳裏に浮かんだ。にしても、久しぶりに聞く名前だ。
「ひょっとして、眞城千智さんの関係者ですか?」
「あ、はい。眞城千智は、私の母です…」
「なるほど。じゃあ君は…みあちゃん、かな?」
「は、はい…!」
見えない相手の正体が実在する人間で、しかも遠い過去に面識がある知人の娘と分かり些かほっとした。…が、あの千智さんの娘がこうしてアポなしで訪ねてきたとなると、それはもう嫌な予感しかしない。
だがしかし。
こうしていつまでも受話器越しに会話を繰り広げているわけにもいくまい。正直、相手の姿も気になる。俺の記憶の中で、最後に会った彼女は確かえらく小さかった筈だ。何年前で彼女が何歳だったかはちょっとまだ思い出せないけど…記憶の中の容姿を参考にすると、恐らく当時は幼稚園か小学生だったと思われる。
…何れにせよ、その頃の記憶は曖昧だし、過去の彼女よりも成長したであろう現在の彼女の方が気にかかる。それに、最も重要な事項―――少女が俺を訪ねてきた用件―――それは、本人に会って直接聞くのが賢明だろう。
「じゃあ、エントランスのロック解除するから。エレベーターホールに来たらまたインターホン鳴らしてくれる?」
「あ、えっと…今、ドアの前にいまして…」
お前はメリーさんかっ!?
俺の予想を反して、彼女はどういうわけだか既に我が家の前にいらっしゃっているらしい。1階のエントランス前から鳴らされたと思っていたインターホンは、実はドア脇に備えられているモノからだということに、ついさっきモニター脇にある[玄関]という表示の下に緑色の点灯があるのを見て気がついた。
「今ドア開けます。とりあえず話はそれからで」
やや早口にそれだけ告げると、モニターの向こうから何故か息を飲む気配が伝わってくる。その気配に気が付かなかったことにして、俺はやや長い廊下を足早に玄関へと向かった。