悪役令嬢は御曹司の夢を見るか
「悪女アップフェル! 貴様との婚約を破棄する!」
それが、公爵令嬢アップフェル・フォン・シュラーフェンに侵入した、サイバー捜査官トラウムが聞いた第一声だった。
アップフェルは公爵家の第一令嬢であり、婚約相手はこの国の第一王子ペタウリスタ。二人の関係が冷え込んでいることは調査で把握していたが、まさか公衆の面前で婚約破棄を宣言するとは予想外だった。
(ただでさえ厄介な案件を抱えているっていうのに、これ以上ややこしくしないでよ……)
婚約破棄を告げられた当の本人は、深い夢の中だ。どう対処したものか、予想外の展開に、トラウムは内心で頭を抱えた。
「どうした! 何の言葉もないのか? この悪女め!」
こちらを糾弾するペタウリスタの傍らには、儚げな印象の少女が俯いている。
『聖女』クラーラ・フォン・ホーエンベルク。
ホーエンベルク男爵家の令嬢で、元は平民という異色の経歴を持つ。光属性の電子特性を備え、『聖女』として聖量子教会から強力な後押しを受けている人物だ。
「もう、おやめください。殿下」
「おお、クラーラは優しいな。だが、その優しさが、為にならぬ人間も存在するのだ」
優しく微笑み、聖女の手を握るペタウリスタ。その光景を見て、自分のものでないはずの胸が痛んだ。
トラウムがサーチした記憶野の中に、あのような顔を向けられた記憶は1ミリバイトとして残っていなかった。
ギリ——扇子を握りしめる音が鳴った。
「ふん……まあ、落ち着きなさいな、ペタウリスタ殿下」
「なんだとっ!」
アップフェルの身体を借りたトラウムは、扇子を取り出して優雅に口元を覆った。
網膜ディスプレイには、王子と少女の生体データ、そして暗号化通信のログが滝のように流れている。
(参ったわね。夜会に紛れ込んだONZOUSIを見つけ出して処分する。それだけの任務だったはずなのに、どうして婚約破棄騒動に巻き込まれているのよ)
――識別名:ONZOUSI
――Organic-like Neural Zero-form Operative Unit, Simulated Intelligence
――有機擬態型神経系無形態工作機・模擬知性
貴族社会に紛れ込んだ人造知性体を始末する。それが今回のトラウム捜査官の任務だった。
トラウムは超S級のハッカー能力を持つスペシャルエージェントだ。視線だけで瞬時にターゲットロックを完了させた。
緑色に発光するホログラムの枠が、怯えるふりをしているクラーラの身体を捕捉する。
――被検体:クラーラ・フォン・ホーエンベルク。
――属性:光属性。高出力量子発光ユニット内蔵の疑い。
――通信履歴:聖量子教会との暗号化通信、アクティブ。
(あらら、これは真っ黒じゃない。まあ、いいわ。こっちの騒動はさっさと片づける。本命は、そのあとよ)
「悪女、ですの? 具体的にどのポートを突破して、どんな不正アクセスを私が働いたとおっしゃるのかしら?」
「しらばっくれるな! クラーラに対する嫌がらせの数々……彼女の『聖量子端末』へのDDoS攻撃、さらには教会の量子サーバーへの不正侵入! すべてお前の仕業だという証拠がある!」
ペタウリスタが叫ぶと、周囲の貴族たちからどよめきが起こった。
王子と聖女による悪役令嬢への断罪劇。
当人は完璧な筋書きのつもりのようだが、トラウムのHUDには、まったく異なる証拠が表示されていた。
「殿下、その『証拠』とやらを、少し拝見してもよろしいかしら?」
トラウムは静かに右手をかざした。アップフェルの扇子に仕込まれたナノ光ファイバーが、微弱なパルスを放つ。
「な、何をしている……!?」
「私の『悪女』としてのデータを更新しているのですわ。――侵入、アクセス承認」
一瞬、大広間のホログラフィック照明が明滅する。
トラウムの放った電夢潜行が、いとも容易く防壁を破り、王子の網膜素子と、聖女の腕輪に隠された聖量子端末へ同時に潜り込んだ。
「……ッ!? 頭が……割れるッ……!」
クラーラが突然、頭を抱えて膝をついた。
彼女の周囲を漂っていた神秘的な光が乱れ、ノイズまみれのグリッドへと変貌する。青い火花が弾け、聖なる輝きは見る影もなく崩れていった。
「これは? 光の加護は……? アップフェル、貴様何をした!」
ペタウリスタの目に映ったのは、特にこれという特徴もない少女。高貴な光を失い狼狽えている。
あの儚げな、誰からも好かれる要因。それは、違法な精神書き換えプログラム——『マインド・改』のログを撒き散らす送信機だった。
「聖量子教会の『光の加護』の正体は、対象の脳波に直接介入する洗脳用マルウェア。ペタウリスタ殿下、お気の毒ですが……あなた、完全にルート権限を奪われ、傀儡にされていましたわ」
「そんな……嘘だろう? クラーラ!」
「終わりよ、終わりだわ……」
ペタウリスタの呼びかけにも答えず、ぶつぶつと独り言を呟き続けるクラーラの瞳から、光が失われていた。そこに、かつて誰からも愛された聖女の面影はない。
トラウムは扇子をパチンと閉じ、崩れ落ちた王子と聖女を見下ろした。
「婚約破棄の件、謹んでお受けいたしますわ。ただし、サイバー法第十二条違反、および国家権力への不正アクセス容疑で、そちらの『聖女様』を即座にデバッグ……もとい、拘束させていただきますけれど」
アップフェルの華麗なドレスが、ざわめく人々の声を受け、いっそう艶やかに揺れた。
◇
その後、姿を現した国王の采配によって、事件の後も夜会は続いていた。
王子の婚約破棄騒動など、貴族たちにとっては格好の娯楽らしい。誰もが先ほどの一件を肴に、好き勝手な噂話に興じている。
(やってしまった)
トラウムは内心で苦い顔をした。アップフェルの悲しみを感じ取り、ついつい演出過剰にやりすぎてしまった。今回の任務は失敗かもしれない。
だが、まだ時間は残されている。トラウムがホールに戻ると、人々が一斉に取り囲んだ。好奇、好色、政治、その理由は様々だ。
(本当に……たくましいというか、現金なものね)
アップフェルの完璧な笑みを崩さぬまま、トラウムは心の中で盛大にため息をついた。
「アップフェル様。先ほどのご不当な扱い、実に痛ましく拝見しておりました。あのような愚かな王子など、あなた様には到底不釣り合いです」
「もしよろしければ、我が公爵家の庭園で、心を癒やすお茶会でも……」
次々と寄ってくる男たちの甘言を右から左へ聞き流しながら、トラウムは扇子の裏でHUDの解析シークエンスを回し続けていた。
先ほどの鮮やかな「婚約破棄返し」によって、アップフェルの潔白と毅然とした態度は、大広間の誰の目にも明らかになった。
婚約者を失った最高位の公爵令嬢。容姿端麗で、いわれなき罪を跳ね返す知性まで備えている。
政略結婚を目論む若き貴族や、家格を上げたい男たちが千載一遇の好機とばかりに押し寄せてくるのも無理はなかった。
(……怪しい動きをすれば目立つと思ってヒヤヒヤしていたけれど、向こうから勝手に列をなして寄ってきてくれるなら話は別よ)
トラウムがこの「悪役令嬢」にジャックインした本来の目的。
ONZOUSIは、人間を模して造られたアンドロイドである。
人間と見分けのつかない外見。自然な表情や身振り。周囲の人間の言動を学習し、状況に応じた振る舞いを選び取る高度な知能。
人間の社会に潜入し、標的に接近するために開発された兵器。貴族社会に溶け込みスパイ活動、時には暗殺も行う。
遠距離からの観察や簡易検査では正体を見破ることが難しい。だが、貴族たちが一堂に会するこの夜会は、ONZOUSIを発見するには絶好の舞台だった。
トラウムはアップフェルの身体を借り、彼女に近づいてくる者たちを調べていた。身分の高い令嬢には、それだけ多くの人間が自ら接触してくる。相手の反応を観察する機会にも事欠かない。
「ご心配には及びませんわ、皆様。わたくし、至って健やかですの」
可憐さと気品を振りまきながら、トラウムは接近してくる男たちの手首や首元へ、アップフェルの指先から微弱な走査パルスを送り込んだ。皮膚の下を流れる生体電流や、わずかな反応の乱れを読み取るためだ。
HUDに検査結果が次々と表示される。
――子爵家の次男。生体反応正常。単なる出世欲。
――近衛騎士団の若手将校。心拍数上昇。ただの一目惚れ。
――隣国の外交官。脳波パターン正常。狸親父の政略。
(どいつもこいつも、欲望に忠実な人間ばかり……アップフェルも大変ね)
若干うんざりしつつ、トラウムは淡々と仕事をこなしていく。
ONZOUSIは生体反応を模倣する機能も備えている。怪我をすれば血すら流れるのだ。通常の検査だけで判別できるとは限らない。
それでも、完全に人間と同じというわけではない。演算処理の瞬間的な偏り、通信の痕跡、微細な反応の不整合。どこかに必ず、模造体であることを示す痕跡が残る。
トラウムはその痕跡を探していた。
(この機に乗じて、私に接触してくる可能性もある。焦らず、一人ずつ調べるしかないわね……)
「――アップフェル嬢」
不意に、これまでの男たちとは明らかに異なる、静けさを帯びた声がかかった。HUDの隅で、異常なデータパルスの揺らぎが走る。黄色い警告表示が点灯した。トラウムは扇子を緩やかに引き下げ、極上の笑みを浮かべたまま、声の主へと視線を向けた。
目の前に現れたのは、洗練されたスーツ風の軍服をまとい、榛色の瞳を冷ややかに輝かせた男だった。
(……来るわね)
HUDがかすかな高周波ノイズを拾う。だが、まだ断定はできない。ノイズの原因が相手にあるのか、それとも他の人物にあるのか。現時点では判断材料が足りなかった。
(まだ、どれが本命なのか確定できないわ……)
トラウムは内心の緊張を完璧な仮面の下に隠した。そのとき、別の男が彼女に近づいてきた。
「おお、アップフェル様! 婚約破棄などお忘れなさい。あなたほどの麗人には、よりふさわしい相手がおりますとも。我が領地など――」
ベタついた視線を向けてきたのは、あからさまに欲望を剥き出しにした伯爵家の跡取り息子だった。手にはワイングラス。すでにそうとう酔っているようで、顔は真っ赤で、その目元は緩みきっている。
延々と続く自領の自慢話を聞き流しながら、トラウムはデータを精査していく。やがて結論が出た、この男ではない。
トラウムは扇子で口元を隠し、氷点下の声で言い放った。
「いい加減、不快ですわ。お引き取りなさい。あなたの頭の配線、完全にショートしていてよ。……いえ、それとも、脳みそが下半身のデータポートと直結でもしているのかしら?」
「なっ……!」
「下品な発言で、わたくしの高潔なファイアウォールまで汚染されそう。お帰りになって、どうぞ一生ROMっていてくださる?」
「ぶ、無礼な……!」
あまりに手厳しい罵倒に、男は顔を真っ赤にした。周囲から失笑が漏れる中、逃げるようにその場を去っていった。
(よし、一人目。……ただの馬鹿で助かったわ)
トラウムはパチリ、と扇子を閉じた。
次に声をかけてきたのは、第二王子フルークだった。
兄ペタウリスタの一件で、彼の立場は大きく激変している。
王族としての義務感から、形だけでも挨拶に来たのだろう。足取りは重く、表情も強張っていた。
ふっと微笑んでみせると、フルークの表情が少しだけほっとしたものになった。
(あらあら、王族ともあろう者が、こんなにわかり易くて大丈夫なのかしら)
トラウムとしても、ONZOUSIが第二王子に成り代わっているとは考えていないが、どんな可能性も潰しておく必要はある。
いくらかの儀礼的なやりとりが交わされ、雑談へと移っていく。その間も、トラウムは忙しく精査を走らせていた。
「兄上の失態。同じ王族として、大変申し訳なく思っています」
「聖量子教会にはお気をつけ遊ばせ、と以前から申し上げていたはずです」
「面目ない。聖女伝説を悪用するまでやるとは思わず……」
『サーチ結果。人間』
HUDに映った結果に、トラウムは胸をなでおろす。
身をかがめると、耳元にそっと囁いた。
「――ご無理をなさる必要はありませんわ、殿下。立場上、声をかけろと命じられたのでしょう? ですが、お気遣いだけで結構ですわ。あなたのお顔に、愛想笑いは似合いませんことよ」
HUD上で、彼の脈拍と血圧が跳ね上がった。
「いったい、何を――」
「お気になさらず。……本来、あなたにはほかに好いたお相手がおありでしょう? こんな不毛な夜会に縛られている暇があるなら、大切な人のところへ行かれたほうが、この国の次期統治者としてもよっぽど有意義ですわよ」
フルークは驚愕の色を浮かべた後、複雑な安堵の表情を見せた。
「……助かった。恩に着るよ、アップフェル嬢」
彼は小さく一礼すると人混みの中へと消えていく。その背を見つめながら、トラウムは小さく息を吐いた。
(こちらも一件落着。とりあえず、そういうことにしておきましょう)
◇
次々と候補が消え、最後に残ったのは、先ほどから静かに佇んでいた榛色の瞳の男だった。
いつの間にか、周囲の貴族たちは遠巻きに二人を見守っていた。広間の一角には奇妙な空白が生まれている。
外から見れば、事件を乗り越えた美しい公爵令嬢に、一人の騎士が静かに寄り添っているように映るだろう。絵画にでもなりそうな、絵に描いたような二人だった。だが、トラウムは警戒の最高潮に達していた。
証拠はない。ただ、確信があった。
いつの間にか、HUDの警告は消えていた。外部ネットワークの接続状況も、表面上は正常。生体反応の模倣にも不自然な点は見つからない。
男は近づいてくると軽く一礼し、フッセル・グルントと名乗った。
「先ほどは、さぞお辛かったでしょう」
「もう過ぎたことです。ですが、お気遣い痛み入ります」
口調も間合いも、礼儀正しい騎士そのものだった。HUDの数値は、どこまでも平常だ。平常すぎるほどに。
データベースに検索をかけてみても、フッセル・グルントという騎士は確かに存在していた。
トラウムは、自身の心に敷いた警戒網に綻びが生じているのに気が付き、身震いした。
「そうですか。……私には、そう見えませんでしたが」
そう言ってこちらを見る榛色の瞳が、仮初めではなく本人の悲しみを見つめているように感じられた。
不思議だ。防壁を破って侵入された形跡はない。正体がバレているはずはない。それなのに——
HUDの数値に異常は認められない。それなのに何故こんなにも、この男こそONZOUSIだという確信があるのか。
トラウムは、ごく自然に彼が差し出した手を取っていた。
互いの瞳を見つめながら、二人は軽やかにステップを踏んだ。男が手を引けば令嬢が身を翻し、広がるドレスの裾が花のように舞う。
楽の音に合わせて幾度も向き合い、離れ、また寄り添う二人の姿に、いつしか周囲の視線が集まっていた。
最後の音色が広間に溶け、二人は互いに一礼した。公爵令嬢の優雅な所作と、男の洗練された身のこなしに、見守っていた貴族たちから感嘆の声が漏れる。次の瞬間、万雷の拍手が二人を包んだ。
この胸の高鳴りは、どちらに由来するものなのか。
違和感の正体を確かめるように、より近くで榛色の瞳を覗き込んだ、その瞬間だった。
「――この淫売が!」
怒声が響いた。
先ほど手酷く振られた男が、物陰から飛び出してきた。その手には、違法に持ち込まれた高出力レーザーガンが握られている。
「俺に恥をかかせた罪を、償わせてやる!」
甲高いチャージ音が鳴り響いた。
殺意を帯びた灼熱のレーザーが、トラウムめがけて一直線に放たれる。
(っ……回避が間に合わない――!)
トラウムは咄嗟に通信速度を倍に上げ、回避を試みるが、計算結果は無情にもアップフェルの死を予想していた。
——その刹那。
「アップフェル様!」
すっと目の前に割り込んだ影。
ドシュッ。
鈍い音とともに、鮮烈な閃光が大広間を走る。
レーザーは、トラウムをかばった男の肩から胸部を貫通していた。
「っ……く……!」
フッセルは鮮血を散らしながら、床へと崩れ落ちた。
「なっ……どうして……!?」
トラウムは咄嗟に男の身体を抱き留めた。
その腕の中で、男の身体から微弱な電磁パルスが漏れ出している。
HUDに異常な数値が並んだ。
筋肉の収縮に似せた人工駆動系の停止。血液に見せかけた循環液の漏出。外装の破損部から露出する人工神経束。
そして、通常の人間には存在しないはずの機械構造。
(……やっぱり!)
トラウムの視線が男の顔へ戻る。
榛色の瞳がかすかに明滅し、電子音と人間の声が混ざり合ったような音が響いた。
「……私たちは、生きている、んだ」
フッセルの声は、ひどく不安定だった。
「何を言って……」
薄れゆく意識の中で、彼は苦しそうに、それでいてどこか満たされたような笑みを浮かべた。
「私にも……あなたたちと同じ……その時……が」
その言葉を最後に、彼から発せられる生体量子シグネチャが急速に弱まっていった。
やがて、すべての反応が途絶えた。外から見れば、それは美しき令嬢をかばって凶弾に倒れた、気高き男の最期だった。
だが、トラウムにはわかっていた。
腕の中で熱を失っていくこの男こそ、自分が処理するはずのONZOUSIだったのだ。
人間社会に紛れ込むため造られた人造兵器。人間を模倣するために生まれ、人間の振る舞いを学習し続けた存在。
紛い物が、人間よりも人間らしくありたいと願った果てに、自らの存在を証明するかのように命を投げ出した。
トラウムは倒れゆく偽りの騎士を抱き留めたまま、震える指先で、その冷たくなっていく身体をそっと握りしめる。
衛兵に取り押さえられ、わめく男の怒号が、トラウムの耳には、どこか遠くのノイズとしてしか入らなかった。
任務は完了した。
捜査対象は特定され、処分された。
それなのに。
(ねえ。あなた、本当に心なんてなかったの?)
答えは返ってこない。
HUDが自動で解析を走らせていた。
――接続先:聖量子教会。
――送信元:被検体。「マインド・改」制御鍵、保持。
――機能停止直前の行動ログ:命令系統との紐づけ、なし。
教会を断罪するには、十分すぎる証拠だった。
けれど、最後の行動だけは、どこにも属していなかった。
(……そう。自分で選んだのね)
夜会のホログラフィック照明が、色を失った瞳に虚しく映り込んでいた。




