第四章
【1】
朝の光が城の白い壁に反射し、広場の石畳を淡く染めていた。長い冬を越え、ようやく春が息吹を運ぶような穏やかな日だった。
だが、城の広場に集まった民衆の心は穏やかではない。神託が下り、五人の王子が揃う――その日、十歳の五人目の王子、シャムが初めて民の前に姿を現すのだ。
高く設えられた演壇には、現王の赤茶の瞳が光る。金髪が朝の光を受け、穏やかだが鋭い存在感を放つ。王の傍らには、五人の王子たちが並ぶ。
アルケスは翡翠の髪をきちんと結い、まっすぐに前を向く。彼の瞳は父と同じ赤茶だが、髪色は母から受け継いだ緑の色。まだ子供らしい小さな手で剣を握りしめ、心の中で自分に言い聞かせる。
(大丈夫、みんな平等に扱う。誰も怖がらせないように)
ヴィルギニスは少し後ろに立つ。青みがかった髪は束ねられ、手には長弓を持つが、肩には力が入らない。母が身分の低い出自であることを気にして、常に周囲に控えめに振る舞う癖がある。だが、この場では彼も一人の王子。気弱に見えないように、背筋を伸ばす。
カストルはすでに苛立ちを隠せない。嫡男としての誇りと、十歳にして抱える病弱さ。胸の奥で怒りが煮えたぎる。
(なぜ、俺が最初に祝われないのだ)
ポルックスは冷静だ。双子の弟として、兄を支える立場。だがどこか嫉妬を覚え、ヴィルギニスに微かに心を揺さぶられる。しかし、気持ちを押し殺すのは得意だ。
そしてシャム――花街で育った少年。金の髪、赤い瞳。誰も知らなかった五人目。国の中心に立つのは初めてで、緊張は隠せない。しかし彼は、怯えず、堂々と前を向いた。
「王子殿下方の登場です」
高い声が響くと、民衆がざわめく。子供たちの小さな足音が演壇に響き、石畳に反射する。
最初にアルケスが一歩前に進む。彼は笑顔を作ろうとするが、心臓の奥で鼓動が早まる。
(よし、誰も怖がらせない。平等に……)
「皆さま、おはようございます」
声は少し震えたが、届く。
民の視線がアルケスに集まる。ざわめきの中で、誰もが耳を澄ます。小さな胸に誇らしさと責任が湧く。
次にヴィルギニスが一歩前に出る。周囲を意識して、控えめに歩く。
母から受け継いだ「目立たないほうが良い」という感覚が働く。
だが、目の前に広がる民衆の顔を見ると、自然と背筋が伸びた。
(逃げない。僕も、王子だ)
「皆さま、よろしくお願いいたします」
その声は小さいが、真摯だった。アルケスが横で微かに頷き、励ます。ヴィルギニスは初めて、誰かが自分を気にしてくれる温かさを感じた。
カストルは、苛立ちで拳を握る。視線の先はシャム。民の歓声が彼の方に集中する。嫡男としての誇りが、十歳の体に収まりきらず、胸の奥で爆ぜそうだ。
(くそっ……なぜ、あの金髪に……!)
双子の弟ポルックスは、兄の苛立ちを横目で見ながら、微かにヴィルギニスへの嫉妬を覚える。だが、気にしない。自分の感情は抑える。
そして、いよいよシャムが一歩前へ進む。演壇の最前に立つと、民衆は息を飲む。
小さな肩に力が入り、瞳は金色の髪を反射する朝日に光る。何も飾らず、ただ前を見つめ、声を低く抑えて言った。
「はじめまして。私はシャムです」
声は澄んでいる。小さいながらも、確かな強さを帯びていた。
「この国のことを、知りたいです。そして皆さまのお力を借りて、学びたい」
民衆の間にざわめきが走る。
「星に選ばれた王子だ!」
「わしも生きておるうちに、あの子を見られるとは!」
その歓声は、アルケスやヴィルギニスの耳に届く。
アルケスは、自分の胸の中で呟く。
(皆を平等に扱うって約束したのに、民は彼を……)
ヴィルギニスは、少し驚き、しかし静かに見守る。母の身分ゆえに控えめであった自分が、民の前では静かに誇りを持てることに気づく。
カストルの拳は固く握られ、苛立ちで指先が白くなる。
(なんで……なんで、あいつが……!)
ポルックスは、兄の苛立ちを横目に見ながら、自分の感情を押し殺す。
シャムは、近くにいる小さな子供の手を取る。膝を折り、目線を合わせて話しかける。
「転ばないようにね。僕も気をつける」
その無邪気な振る舞いに、民衆の目はさらに釘付けになる。
アルケスは隣で微笑み、そっとヴィルギニスの肩を叩く。
(よくやった。平等に扱えている)
ヴィルギニスはわずかに目を細め、心の奥で温かさを感じる。
広場に立つ五人の王子たち。視線がそれぞれ違う方向に向く。
アルケスは民全体を見る。ヴィルギニスは民の中に自分を認める人を探す。
カストルはシャムの注目に怒り、胸が張り裂けそうになる。
ポルックスは冷静に兄を支えつつ、ヴィルギニスの存在を気にする。
シャムは民の一人ひとりに語りかけるように見つめる。
歓声は一段落すると、王が言葉を落とす。
「これより、王太子選抜の正式な開始である」
城の鐘が再び鳴り響き、民衆は感嘆と期待の声を残しつつ、少しずつ引き上げる。
広場には、五人の王子と、まだ余韻を残す歓声だけが残った。
アルケスは民の顔を一つずつ見る。十歳の小さな体に、平等と責任を抱えようとする心が揺れる。
ヴィルギニスはその横で静かに立つ。自分の存在を認めてもらえる喜びと、母の低い身分を意識する感覚が交錯する。
カストルは胸の奥で苛立ちを抑えきれない。拳を握り締め、声にならない叫びが漏れそうになる。
ポルックスは静かに兄を見守りつつ、心の奥にヴィルギニスへの複雑な感情を押し込む。
シャムは民の方を向き、微かに笑った。小さく、しかし確かな自信の芽が胸に宿る。
王都の朝は、穏やかでありながらも、五人の王子の心の中には新たな戦いの火種を落とした。神託はまだ形にならないが、民はすでに新たな光を見た――それは、金の髪の少年の姿だった。
【2】
高窓から落ちる光は淡く、玉座の背を縁取っている。
金の光。
玉座に座す現王の髪は、陽を溶かしたような金色だ。
そして――その正面に立つ少年。
シャム。
先代王と瓜二つと噂される顔立ちに、同じ金の髪。
広間の奥で、誰かが小さく息を呑む。
血は語る。
それは理屈ではない。
だが、その隣に立つ四人は違う。
アルケスの髪は翡翠のような深い緑。
双子――カストルとポルックスは淡い薄桃色。
そしてヴィルギニスは、夜明け前の湖のような青みを帯びた髪。
誰がどの母の子かは、一目でわかる。
「前へ」
アルケスが進み出る。
翡翠の髪が光を含む。
(父上と、同じ色ではない)
それを意識したことは、幼い頃から数えきれない。
王の唯一の嫡出子でありながら、母の色を継いだ。
それは誇りであり、どこかで距離でもある。
「未熟ではありますが、王家の名に恥じぬよう励みます」
整った声。
貴族たちは頷く。
「王の血筋に曇りなし」
「正統は揺らがぬ」
ラグナード伯は静かに観察する。
――王の唯一の嫡出子。
母は国内有力公爵家の娘。後ろ盾は厚い。
色は違えど、立場は揺るがない。
問題は神託だけだ。
(あの子は守る王だな)
重臣達は思う。
現王の築いた均衡を崩さぬ王。
だが時代は、均衡だけで足りるか。
アルケスは一歩下がる。
胸の内で呟く。
(父上のように、在ればいい)
超えようとは思わない。
ただ、同じ高さに立てれば。
それが彼の願いだった。
ポルックスが進み出る。
薄桃色の髪が揺れる。
柔らかな色とは裏腹に、声は冷静だ。
「穀倉地の水路整備と、騎士団の再編が急務と考えます」
ざわり、と空気が揺れる。
「貴族の兵を削ぐつもりか」
ポルックスは視線を上げる。
その瞳には計算がある。
南方の水路決壊。
表向きは軽微。
だが彼は知っている。
倉は空に近かった。
兵糧が尽きれば、騎士団は貴族の私兵に依存する。
依存は、やがて従属に変わる。
(王の剣が、王の手にない)
それが許せない。
「収穫が安定すれば、民は飢えません」
「騎士団が王直属であれば、国は一つになります」
十歳の言葉。
だが老侯の目が細まる。
(この子は、王権を強める)
ラグナード伯は考える。
それは貴族の力を削ぐということだ。
理で正しい。
だからこそ、厄介だ。
カストルの薄桃色の髪が揺れる。
「秩序を乱してはならない」
思わず口を挟む。
「急な改革は混乱を招く」
兄の焦りが滲む。
秩序を守ることが長子の役目だと信じている。
ポルックスは静かに返す。
「崩れる前に、整えるだけです」
双子の間に、冷たい火花が散る。
そしてシャム。
金の髪が燭光を受け、まるで玉座の延長のように見える。
「私はこの国をまだ知りません」
素直な声。
だが、その顔立ちは先代王そのもの。
貴族の間に、言葉にならぬ感情が走る。
懐旧。
期待。
そして恐れ。
(民は、あちらを選ぶかもしれぬ)
ラグナード伯は思う。
血の色ではなく、顔で。
最後にヴィルギニス。
青みがかった髪が、ひときわ異質に光る。
「隣国が旧王家の名を掲げたなら」
重臣の問いが落ちる。
視線が集中する。
ヴィルギニスは一瞬だけ目を伏せる。
母の国の空を思い出す。
青い旗。
失われた王冠。
「私は、この国の王子です」
顔を上げる。
「この国を守ります」
老公が呟く。
「血は消えぬ」
青い髪が、わずかに揺れる。
現王の金の髪が光る。
「血を疑うなら、余を疑え」
貴族達は王の低い声に何も返せず黙り込み視線を伏せる。
五人の髪色が、燭光の下で並ぶ。
それぞれが、それぞれの母を背負い、
それぞれの派閥を生む。
ラグナード伯は思う。
――王位とは、血の競演だ。
そして最も強い色が、最後に残る。
拍手が起こる。
乾いた音。
アルケスは玉座を見上げる。
ポルックスは盤面を描く。
カストルは唇を噛む。
シャムは静かに立つ。
ヴィルギニスは疑念を抱く。
金の光は、誰の上にも等しくは落ちない。
龍星逐鹿は、始まったばかりだった。
【3】
王子たちが退出したあとも、大広間の空気はまだ揺れていた。
燭台の火が細く揺れる。
残ったのは貴族たちだけだ。
ラグナード伯は杯を手にしたまま、玉座を見上げる。
現王――先代王の弟。その金の髪は揺らがない。
「結局は、母だな」
誰かが呟いた。
伯は口の端をわずかに上げる。
血は父から語られる。だが、派閥は母から生まれる。
「アルケス殿下は揺るがぬ」
老公が低く言う。
「正妃殿下は宰相家の娘。しかも王家とも縁続きだ」
先代王時代の宰相。あの老獪な男の血。
さらに遡れば、アレスとレンテの高祖母の姪。
王家の傍流に連なる血。
正統の塊。
「王家と宰相家の結節点だ」
「背後は盤石」
だがラグナード伯は思う。
――盤石であることは、時に重い。
宰相家の影響力は強い。強すぎる。
アルケスが王になれば、正妃の一族が再び政を握る。
それを望む者もいれば、嫌う者もいる。
「王の唯一の嫡出子だ」
別の侯が言う。
「神託がなければ、議論すら不要だった」
そう。神託さえなければ。
アルケスは“決まっていた”。
杯が置かれる。
「双子はどう見る」
話題が移る。
「将軍家の血だ」
即答だった。
先代王の正妃。将軍家の娘。
国境を守り続けてきた家柄。
その血を引くカストルとポルックス。
「軍は動くぞ」
「将軍家は黙らぬ」
カストルは秩序を語る。
それは母の家の思想だ。
武は秩序を守るためにある。
だがポルックスは違う。
彼は軍を王直属に、と言った。
将軍家の血を引きながら、将軍家の力を削ぐ可能性を秘める。
老公が唸る。
「双子であることも厄介だ」
「どちらを推す」
「割れれば弱い」
ラグナード伯は思う。
将軍家は強い。だが強すぎる軍は王を脅かす。
双子のどちらかが王になれば、軍閥の時代が来るかもしれぬ。
それを恐れる者も多い。
「ヴィルギニス殿下は――」
沈黙が落ちる。
「隣国の前王朝を受け継ぐ子」
その母は、内戦の果てに亡命してきた。
持病を抱えながらも、静かな誇りを失わなかった女。
先代王は、政治的反対を押し切り国葬とした。
「外交の天才だったから許された」
「今ならどうだ」
ラグナード伯は目を細める。
ヴィルギニスが王になれば、隣国は動く。
前王朝復興の旗に担がれるか、
あるいは和平の象徴となるか。
「危ういが、使える」
誰かがそう言った。
ラグナード伯は否定しない。
危うさは武器だ。
「シャムは」
その名で、空気が変わる。
「花街の子だ」
吐き捨てるような声。
先代王が外遊中、密かに通っていた花街。
そして、妓女が産んだ子。
生まれてすぐ母は亡くなり、王家の血筋と知らぬまま育った。
「王家の教育も受けておらぬ」
「血だけだ」
だが――
「顔が、あまりにも」
誰もが思う。
先代王と瓜二つ。
あの金の髪。
あの瞳。
民は、血筋よりも“姿”に惹かれる。
ラグナード伯は静かに考える。
母の家柄は弱い。
後ろ盾もない。
だからこそ、担ぎやすい。
「民意を集める駒になる」
「だが貴族は動かぬ」
それでいい。
王とは、民と貴族の均衡だ。
ラグナード伯は立ち上がる。
アルケスは正統。
双子は軍。
ヴィルギニスは外交。
シャムは民。
母たちが残したものは、愛ではない。
勢力図だ。
燭台の火が揺れる。
金、薄桃、青。
色は違えど、全て先代王の血。
ラグナード伯は思う。
――王位は父から与えられぬ。
母の影を、どう使うかだ。
そして現王。
弟として王位を継いだ男は、静かに盤面を見ている。
五人の母。
四つの影。
そのどれを、次の王は背負うのか。
まだ、誰も動かない。
だが、既に争いは始まっている。




