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【1】
翌日から、学園の空気は目に見えぬところで変わった。
大きく騒がれたわけではない。
講堂で名指しがあったわけでもない。
けれど、よく整えられた場所ほど、少しのずれはかえって目につく。
まず、ダミアノの周りから人が一歩ずつ遠のいた。
あからさまに避ける者は少ない。学園では、露骨な態度もまた見られるからだ。
それでも、食堂で向かいの席が埋まるまでの間が少し長い。前から来た者が、ダミアノの顔を確認するとぎりぎりのところで別の方向へ変わる。課題用の自習室が閉じられたあとも、寮同士の気兼ねなく席を隣り合わせる光景もそこだけ妙に減った。
ダミアノはその変化にすぐ気づいた。
気づいたからといって、顔には出さない。
だが、出さないまま機嫌が悪くなる顔は、隠したうちに入らない。
朝食の卓で、ガイオスがパンを割る手を止めた。
「……今日は、席が空いてますね」
それを口に出す時点で愚かだ、とダミアノは思う。
思いながら、薄く笑った。
「気のせいだろう」
そう言った声はいつもと変わらない。
変わらなかったが、空いた席が埋まる事はない。
リセアスは黙ったまま、温かな汁へ匙を沈めている。顔色は相変わらず良くない。夜、眠れていないのだろう。そういう分かりやすい弱り方も、今のダミアノにはいちいち腹立たしかった。
学園側は、彼らを大っぴらには吊し上げなかった。
その代わり、やることは静かに徹底していた。
学園街へ向かう門では、白い手袋をした監督役が名を確かめる。
通路の端で立ち話をしていれば、ほどなく別の上級生が通りかかる。
授業と食事と寮の往復、そのどこにも見張りの顔はない。ないのに、勝手な動きだけがきれいに切り取られていく感覚になる。
そういう類の処分だった。
ポルックスは、それを二日目の朝にはもう悟っていた。
ジェスル棟から学園棟へ向かう途中、以前ならいつも講堂寄りの道を取っていたダミアノたちが、今は寮監の視線が届きやすい中央の道しか歩いていない。偶然ではない。
あの手の人間は、本来なら人の目を避けて動く。
それができなくなっている時点で、学園はすでに囲い込みを始めていた。
ケラノスはその朝、珍しく少しだけ足取りが軽かった。
器具はまだ持ってきていない。
胸のどこかにある警戒が消えたわけでもない。
けれど、通路の角で人の気配に肩を強ばらせる回数は、確かに減っていた。
「ちょっと、息しやすい」
窓際で水を飲みながら、彼はぽつりと言った。
ポルックスは隣に立ったまま、外の光を見ていた。
「よかった」
「よかった、で済ませていいのかな」
「済ませなくていい」
「どっち」
その問いに、ポルックスは少しだけ考えた。
「息しやすいなら、それはそれでいい」
「……うん」
「でも、忘れなくていい」
ケラノスは水の入った器を両手で持ったまま、しばらく黙っていた。
それから小さく笑う。
「忘れたら、たぶんまた同じことされるもんね」
「そうだね」
軽い言い方だった。
だが、その軽さの下へ置かれたものは軽くない。
少し離れたところで、そのやり取りを見ていたシャムは、自分の胸の内が妙に静かなことに気づいていた。
講堂のあと、悔しさは残った。
それでも、それがただの置き去りではなかったことを、今のケラノスの顔が教えている。
飛び込んだこと。
傷ついたこと。
それでも見過ごさなかったこと。
全部が無駄ではなかった。
「顔、ましになったね」
シャムが言うと、ケラノスは目を丸くした。
「ひどかった?」
「ひどかった」
「やだなあ」
そう言って笑う顔は、前と同じではない。
けれど、前より弱くもなかった。
一方、クレイス棟では、カストルがその静かな処分を見て、逆に落ち着かなくなっていた。
目に見える罰なら、分かりやすい。
人前で叱責され、しばらくどこかへ閉じ込められ、そうして終わるなら、怒りの行き場もまだある。
だが学園はそうしない。
目立たぬように囲い、逃がさぬように道を狭め、本人たちにだけ足場の狭さを思い知らせる。
そのやり方は、たしかに理にかなっていた。
だが、理にかなっているからこそ、感情の置き場がない。
「まだ腹が立つ?」
セリノスが、寮棟へ戻る途中で訊いた。
「……立つ」
カストルはすぐ答えた。
「でも、怒鳴るところがなくなった」
言ってから、自分で少しだけ嫌になる。
まるで子どもみたいだ。
だが本音でもあった。
セリノスは赤い髪を風に揺らしながら、小さく頷く。
「学園は、たぶんそこを狙ってる」
「何を」
「感情の置き場をなくして、頭を使わせて考えさせる」
カストルは顔をしかめた。
「嫌なやり方だな」
「うん。でも、効く」
その“効く”が、ひどく正しい響きを持っていた。
アルケスは、もう少し遠いところからその変化を見ていた。
ダミアノたちが静かになった。
それだけなら、偶然かもしれない。
だが、偶然で済むほど学園の空気は雑ではない。
食堂で、ズヴォルタは何も言わなかった。
上級生たちも、やはり何も言わない。
けれど、“放っておいている”感じではない。
むしろ、必要なところだけを見て、余計な反応を切っている。
あれが学園の規律なのだろう、とアルケスは思った。
人前で正義を掲げるのではなく、もう同じ形を取らせないように道そのものを変えてしまう。
そういうやり方だ。
「気になるか」
ズヴォルタが、ふいに問うた。
食堂の席で、アルケスは匙を置いた。
「……少し」
「見るなとは言わない」
「はい」
「だが、それだけを見るな」
アルケスは頷いた。
講堂のあとの悔しさは消えていない。
けれど、それをただ自分の届かなかった結果として抱えるだけでは足りないことも、何となく分かってきた。
学園は課題だけを見ているのではなかった。
課題のあと、誰がどう立つかまで見ている。
なら、自分もまた、その先を見なければならないのだろう。
夕方、寮棟と学園棟のあいだの空は、白さを失って薄い青へ沈み始めていた。
ダミアノたちの周りには、まだ完全な噂は立っていない。
それでも、何かが変わったことだけは皆が知っている。
そして、その“何か”を不用意に口にしないのが、今の学園の空気だった。
静かな処分は、声より先に景色を変える。
それを、新入生たちはそれぞれ別の形で学び始めていた。




