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ファタリテクロンヌ――星の下に輝く者――  作者: 常居嗣子


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第九章

【1】


 満月はあるはずだった。


 だが、空は閉ざされている。


 重く垂れこめた雲が王城の塔を覆い、雷鳴が石壁を震わせていた。

 稲光が走るたび、龍神院の尖塔が一瞬だけ白く浮かび上がる。


 龍の御加護に守られてきた王国。


 だが近年、天は応えない。


 旱魃。

 洪水。

 不作。


 そして今夜――


 龍星逐鹿の開始を祝うはずの満月は、姿を見せない。


 五人の王子は、龍神院の地下へと導かれていた。


 石段は湿り、冷たい。


 足音が反響する。


 最奥にあるのは「龍血の間」と呼ばれる古い祭室。


 中央には円形の石盤。

 その上に、龍の鱗を模した文様が刻まれている。


 神官長が振り返る。


「ここは、初代王が契約を結んだと伝えられる場所」


 雷鳴が落ちる。


「第一の試練は――献上」


 五人の視線が動く。


「王とは、奪う者ではない」


「差し出す者である」


 神官長の声は低い。


「ここに、己が最も恐れるものを差し出せ」


 沈黙。


 意味が、すぐには掴めない。


 アルケスが問う。


「物ですか」


「違う」


 神官長は首を振る。


「覚悟だ」


 嵐の唸りが地下にも届く。


 龍は沈黙している。


 だからこそ、問われる。


 王が、何を失う覚悟を持つか。



 最初に前へ出たのはカストルだった。


 小柄な体を真っ直ぐに伸ばす。


 薄桃色の髪が湿気を帯び、赤い瞳が揺らがない。


「恐れるものなどない」


 即答。


 だが、その拳は白い。


 神官長は静かに言う。


「嘘を差し出しても、龍は受け取らぬ」


 雷鳴。


 カストルの呼吸が荒くなる。


「……恐れるのは」


 声が低く落ちる。


「父上の名を汚すことだ」


 広間の空気が変わる。


 先代王アレス。


 名君。


 龍に愛された王。


「父上の血を継ぐのは、俺だ」


 その言葉は誇りであり、鎖でもある。


「だが――」


 一瞬、目が揺れる。


「もし、龍が俺を選ばなければ」


 沈黙。


 それは恐れだ。


 小さな体が震える。


「父上の名は、俺の代で終わる」


 石盤の文様が淡く光る。


 神官長が頷く。


「受け取った」


 カストルは息を吐く。


 それは勝利ではない。


 むき出しの弱さを晒した安堵だ。




 次に出たのはアルケス。


 翡翠の髪が揺れる。


 王の唯一の嫡子。


 だが、血統では第二。


「私が恐れるのは」


 静かな声。


「選ばれること」


 一瞬、空気が止まる。


 雷が鳴る。


「選ばれれば、誰かを退ける」


 視線がカストルに向く。


「退けるのが、同い年の者なら」


 言葉が続かない。


 十歳だ。


 だが、分かっている。


 王になるとは、誰かを王にしないこと。


「それでも、選ばれるなら」


 拳を握る。


「退ける覚悟を持つ」


 石盤が再び淡く光る。



 ポルックスは静かに前へ出る。


 兄の半歩後ろに立つのが常だったが、今は一人だ。


「私が恐れるのは」


 声は穏やかだ。


「兄上を失うこと」


 カストルの瞳が揺れる。


「王位よりも、兄上を選びたいと思ってしまうこと」


 それは優しさ。


 だが、王に必要なのは冷酷かもしれない。


「それでも、王になれと言われるなら」


 一拍。


「兄上を支えることを、手放します」


 石盤が深く光る。



 ヴィルギニス。


 青みがかった髪が影に溶ける。


 彼は長い間、差し出すことに慣れていた。


 召使いのように扱われることも。


「私が恐れるのは」


 淡々とした声。


「何も望まなくなること」


 それは意外だった。


「望まなければ、傷つかない」


 だがそれでは王になれない。


「私は、望む」


 わずかに瞳が熱を帯びる。


「王になることを」


 石盤が強く光る。



 最後に、シャム。


 金の髪が雷光に照らされる。


 彼はしばらく動けない。


 花街で生きてきた十年。


 恐れるものは、空腹。寒さ。暴力。


 だが今は違う。


「……俺が恐れるのは」


 声が震える。


「全部、奪われること」


 城も、名前も、贅沢も。


 そして――


「ここにいることが、夢だったと知ること」


 沈黙。


 それは一番、幼い恐れ。


 だが一番、真実。


 石盤が震える。


 今までで最も強く光る。


 その瞬間。


 雷鳴が轟き、龍神院の塔に落ちた。


 地面が揺れる。


 燭火が消える。


 暗闇。


 龍は、まだ姿を見せない。


 だが確かに、何かが目を開いた気配があった。


 五人は息を呑む。


 恐れを差し出した。


 次に求められるのは――


 覚悟の実行。


 嵐は止まない。


【2】


 龍神院の塔に落ちた雷は、ただの雷では終わらなかった。


 未明、北方の山で地鳴りが起きた。


 雪解け水を含んだ地盤が崩れ、山腹が裂ける。

 濁流が一気に谷を呑み込み、川筋を変えた。


 そして――


 北部堤防が、破られた。


 夜明けと同時に早馬が王城へ駆け込む。


 泥と血と雨にまみれた兵が、玉座の前に膝をつく。


「北部アスラ河、氾濫!

 村三つが水没!

 堤防の半分が崩壊!」


 玉座の間に沈黙が落ちる。


 現王は立ち上がらない。


 金の髪が揺れ、赤茶の瞳が静かに細められる。


「被害規模は」


「未確定。

 水はまだ上昇中」


 王は頷く。


 そして言う。


「五人を呼べ」


 五人が揃う頃には、空は完全に鉛色だった。


 雨は止まず、遠雷が続く。


 王は地図の前に立つ。


 北方一帯は、青墨で塗り潰されていた。


「龍星逐鹿は、儀式ではない」


 静かな声。


「王を決める試しだ」


 視線が五人を射抜く。


「北部を救え」


 誰も動かない。


 十歳だ。


 だが王は続ける。


「出来ぬなら、出来ぬ理由を持って戻れ」


 それは拒絶ではない。


「出来るなら、方法を示せ」


 王は一歩も動かない。


 助けない。


 ただ、見ている。




 最初に動いたのはカストルだった。


「北へ行く」


 即断。


 小柄な体が震えている。


 怒りか、焦燥か。


「堤防を直せばいい」


「今からでは間に合いません」


 ヴィルギニスが即座に言う。


「水位上昇は止まっていない」


「なら、どうする!」


 声が荒れる。


 ポルックスが間に入る。


「兄上、まずは村人の避難が先です」


 カストルは歯を食いしばる。


 堤防は“王の象徴”だ。


 だが、人命は今まさに流されている。


 アルケスは地図を見つめていた。


「川筋が変わったなら」


 呟く。


「下流の森へ流せる」


 四人が振り向く。


「森を犠牲にする?」


 ヴィルギニス。


「森は再生できる」


 アルケスは静かだ。


「人は戻らない」


 沈黙。


 シャムが口を開く。


「水は低い方に行く」


 皆が彼を見る。


「花街でも、雨が続くと水が溜まる」


 彼は指で地図をなぞる。


「ここ、低い」


 森と湿地帯の境目。


「ここを切る」


 人工的に水路を作る。


 川の逃げ道を変える。


 ヴィルギニスの瞳が細まる。


「理論上は可能」


「兵は?」


 カストル。


「足りない」


 ポルックスが静かに言う。


「騎士団は半数が南部警備」


 アルケスが決める。


「足りないなら、村人も使う」


「素人を?」


「土壌を積むだけだ」


 雷鳴。


 外の雨がさらに強まる。


 王は何も言わない。


 ただ見ている。




 北部へ向かう五人。


 馬上の風は冷たい。


 カストルの顔色は悪い。


 だが止まらない。


 ポルックスが隣に寄る。


「無理はしないで」


「してない」


 強がりだ。


 アルケスは前を見る。


 森を切る決断。


 それは批判を呼ぶ。


 だが王は批判を恐れてはならない。


 ヴィルギニスは川の流れを見続ける。


 水位。流速。地形。


「三刻以内に水路を掘らねば」


 冷静だ。


 シャムは黙っていた。


 水の匂い。


 冷たい匂い。


 十年前、路地で溺れかけた子供を思い出す。


 あの時は誰も助けなかった。


 今は違う。




 現場は混乱だった。


 泣き叫ぶ声。


 流される家畜。


 泥にまみれた兵。


「王子様だ!」


 誰かが叫ぶ。


 視線が集まる。


 子供だ。


 だが王子だ。


 期待が向けられる。


 重い。


 カストルが前に出る。


「全員、高台へ!」


 声は震えるが、通る。


 ポルックスが村長と話す。


「避難路はどこですか」


 ヴィルギニスは川岸を調べる。


「ここを切る」


 指示。


 アルケスは兵を集める。


「森を開く。今すぐ」


 斧が振り下ろされる。


 木が倒れる。


 雨は止まない。


 水は迫る。


 シャムは子供を抱えて走る。


 小さな手が、彼の服を掴む。


「助けて」


 それが王の仕事だ。




 城では。


 王が立った。


「第一陣を出せ」


 低い声。


 表立っては支援しない。


 だが、裏で動く。


 王妃が命じる。


「医官団を北へ」


 双子の母妃は軍に書状を送る。


「第二騎士団を密かに動かせ」


 誰にも悟られぬように。


 これは試練。


 だが子供を死なせはしない。


 王は窓の外を見る。


 嵐。


 龍は沈黙している。


 ならば。


 人が動くしかない。




 北部。


 森が崩れる。


 水路が開く。


 濁流が方向を変える。


 完全ではない。


 だが、勢いは弱まった。


 カストルが崩れ落ちる。


 ポルックスが抱き止める。


「兄上!」


 息が荒い。


 アルケスが見下ろす。


 守れたか。


 まだ分からない。


 だが。


 逃げ道は作った。


 シャムは泥だらけの手を見つめる。


 王は、きれいじゃない。


 ヴィルギニスが空を見る。


 雲は、わずかに薄れていた。


 龍が守ったのではない。


 五人が動いた。


 それでも。


 嵐は、まだ終わらない。


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