16 Can't Hold Out No Longer
土曜日の今日、私は阿佐ヶ谷駅に来ていた。<No Way Out>で働くレンに呼び出されたのだ。少し早く着いてしまった私は駅の近くの広場に座っていた。喫煙所とトイレが隅の方にあり、昼休憩の社会人がちらほらたむろしていた。
「お待たせ〜!」
そう言って駆け寄ってきたのはレン、いつもはお店のTシャツを着ているが、今日は可愛らしい服でおしゃれしていた。
「今日はいきなり呼び出してどうしたの?」
「実はね、ユウに見せたい場所があるんだ。」
そう言ってレンは私の手を取って駆け出した。
「ここよ。」
そこにあったのは改修工事中の建物だった。駅から三分ほど歩いたところにあり、一階に煙草屋がある建物の二階だった。
「ここって、何があるの?」
「ここにね、<No Way Out>の姉妹店ができるのよ。」
「姉妹店?マスターが手を広げるってこと?」
阿佐ヶ谷駅を走る中央線沿いには多くのブルース・クラブがある。中野や高円寺には昔ながらの老舗も少なくない。しかし、<No Way Out>がAztecの影響でどうなるか分からない今、新たに店を構えるだろうか?
「いえ、今度日本に戻ってくる知り合いが経営するらしいよ。」
「そんな人いたんだ。」
「まあ、詳しいことはお店が始まってからのお楽しみってことで。」
「名前はもう決まってるの?」
「うん、<Easy City>っていうらしいよ。」
「楽しみだね。」
「まあ、詳しい話はいつかお父さんから聞いてね。」
「うん。」
「見せたいものは見せたし、どこか行こっか。」
私たちはたこ焼きを買って食べ歩きしたり、カフェに入ってたわいもない話をして、楽しいひと時はあっという間に過ぎてしまった。私たちは家も近いので、私はレンを家まで送っていく。するとレンが「疲れたし、少しここの公園で座ってもいい?」と言う。
「いいよ。何か飲み物買ってくるね。」
「ありがとう、でも飲み物はいいや。」
「分かった。」
二人でベンチに座ると、不思議な静寂の時間が訪れた。
「今度の学園祭でAztecと対バンすることになったよ。」
「うん。」
「セトリ決まったけどいい感じなんだ。」
「うん。」
「バンドが軌道に乗ったら、阿佐ヶ谷のお店でもライブしたいなぁ。」
「うん。」
私が何を言ってもレンはただ「うん。」とだけ返事をする。まるで心ここにあらずといった感じだ。
「あのね、ユウ。」
ふと、レンが切り出す。
「うん。」
「私、高校も違うし、音楽もやってなかって、すっかりユウと距離ができちゃった。でもね、私はレンのことずっと考えてるの。」
「うん。」
「だから何が言いたいかっていうと、私はレンのことが好きなの。私と付き合ってください!」
「えっ、」
私はいきなりのことに言葉を失う。今までずっとただの幼馴染だと思ってたレンが、私に好意を寄せていてくれたことに驚きが隠せない。
「今レンはタクミさんの意志を継いで、ブルースに命を賭けてるのは分かってる。恋愛なんてしてる暇ないだろうし、すっかり会うことが少なくなった私のことが好きじゃないことも分かってる。でも、いいえ、だからこそ、そんなユウが好きだってことを伝えたかっただけ。」
「ありがとう。私もレンのことが好き。」
「えっ。」
私の答えにレンが驚いた鹿の様な、驚愕の表情を見せる。私はずっとハーモニカを吹いていただけで、恋愛なんて分からない。でも「好き」と言ってもらえたことが、自分を尊敬して認めてもらったことがこの上なく嬉しかった。
「じゃあ......」
「うん。付き合おう。私の方こそ、よろしくお願いします。」
気が付くと、レンは泣いていた。ブルースに宿る、精神的なエネルギー、暴力的なまでの衝撃とはここまで大きいものだったんだ、と私は気付く。人を愛するということは、こんなにも麗しく、尊く、そして残酷なことなんだ。愛する人の些細な気持ちが、人を至福にも絶望にもいざなってしまう。この時、ただただ私はレンをその絶望に落としてしまわなかったことに安堵した。
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