7 Memories Of You
放課後になるとキョウカはおすすめの喫茶店があると言って、私をそこへ連れて行ってくれた。
「ここ!T-Boneって言うの。」
「また通な名前だね。」
「通?」
「T・ボーン・ウォーカーっていうブルースマンがいるんだよ。」
「そうなのね、ブルースは詳しくないわ。ユウのハーモニカは好きだけどね。」
店は古典的なアメリカ風の喫茶店で、おしゃれな木の扉を開くと、シャランとベルが鳴った。
「いらっしゃい。ってキョウカちゃんか。お連れさんは......まさかユウくんかい?大きくなったね。」
「え?マスター、ユウを知ってるの?」
「そうか。ユウくんが知らないのも無理はない。僕はね、ユウくんのおじいちゃんとは腐れ縁でね。」
そう言ったのは白い口髭を蓄えた60絡みの紳士だった。イースト・スリムの正体を知る数少ない人物であるキョウカも驚いていた。
「イースト・スリム、懐かしいね。今も元気にしてるかい?」
私が恐る恐る答える。
「いえ、4月の末に亡くなりました。」
「うーむ。」と唸ったマスターは暫く窓の外をぼんやりと眺めていた。
「まさかあの男が逝くとはね。」
「おじいちゃんとはどういう関係だったんですか?」
「タクミがシカゴ中のブルースクラブを回ってライブをしたことがあってね。その時に通訳をしてやったんだ。もっと言うなら彼の最初のハーモニカは僕が肩代わりしてやったんだよ。」
「そうだったんですね。」
「まあなんだ、結局僕も彼の音に取り憑かれた一人だった訳だよ。何たってシカゴ行きの飛行機だって私が払ったんだからね。」
「えっ.......」
「まあ、驚くのも仕方ない。若い人にはまだ分からないかもしれないね。人には時として、金なんかより大切なものがあるものなんだ。」
「それは何だったんですか?」
「勿論、日本にイースト・スリムあり、ということをシカゴに知らしめたかったのさ。結果は大成功だったからいいんだけどね。」
「大成功っていうのは?」
「タクミは間違いなく日本最強のハーモニカ吹きだったし、今でも彼を超える者はいない。米軍の基地で培ったリズムはシカゴ・ブルースの拍動そのものだった。それに彼は先人たちをリスペクトするあまり、先人たちを越えようとする域にあったんだ。
シカゴの時はたったの二週間の滞在でちょっとした追っかけがいたくらいさ。あれは本物だった。現地のレコード会社からも声がかかったんだ、結局断ったのだけど。」
「それはなんで、」
「君だよ。カワベ・ユウが生まれたからさ。タクミはその一報を耳にした時、『この先は次の世代の奴らに任せる。』って言って日本に帰ったんだ。」
「僕のために?」
「そうさ。タクミは最初、病院でハーモニカを吐いて聞かせると言って張り切ってたくらい、君に期待したんだ。結局、病室で四六時中リトル・ウォルターがかかる羽目になったしね。」
「それじゃあ、私がマスターの夢を......」
「それは君次第だね。せっかくだし聞かせてくれないかい、君の音を。」
そう言われた私は咄嗟にA調のハーモニカを手にする。何故かあの曲を吹かなければ、と思ったのだ。
ハーモニカの名曲には様々なものがあるが、その中で名実共に頂点と言うべき一曲がある。リトル・ウォルターのJukeだ。JukeはビルボードR&Bチャートで一位に輝き、その後も20週もの間チャートに君臨したハーモニカのインスト曲だ。日本ではオノ・セイジロウの十八番として知られ、彼の教則本で初心者用の一曲とされているが、それは間違いだ。イントロのフレーズですら何年吹き続けても一向に正解が見えない、ハーモニカの極地が凝縮された一曲、リトル・ウォルターの聖域の深遠こそがJukeである。
私が彼の神々しいフレーズを吹き始めると、マスターが唸る。私はそんなものお構いなしに吹いて、吹いて、吹きまくる。リトル・ウォルターは同じ曲を二度吹かないという程に即興を愛したという。だから私は私のJukeを吹く。私の音を吐くことこそが彼に手向けられる唯一の花束なのだ。
私が最後の一音を吹き終わると、マスターは暫く、目を瞑ったまま、天井を仰ぐ。
「タクミが君に託したのは正解かもしれないね。リズムには改善の余地があるとは言え、君は異常だ。音使いへの狂気的なこだわりはタクミそのもの。その年でそれならシカゴにも、いや、世界に届くかもしれない。」
「ありがとうございます。」
「でもタクミが亡くなったなら、そろそろオノの派閥も動くんじゃないかな?」
「その辺は実はよく分からなくて。」
「オノはね、生前自身のスタイルを決して疑うことがなかった。そしてそのスタイルを日本に普及しようとしていた。音楽界でのハーモニカの地位向上を謳ってはいたが、結局は承認欲求の類だった。彼のシカゴ行きの時に通訳を頼まれて、下北沢のカフェでそれは長いこと語ってきたよ。当然断ったけどね。
彼の派閥の人間は殆どブルース界隈から出ようとしないからまだいいんだが、Aztecの奴だけは違った。オノの弟子としてメジャーとの関係を築いて、彼の後継者になろうとしている。しかもオノの思想をかなり危険な方向に解釈してね。僕がこの店を始めたのも丁度その頃だったから、タクミは迷惑をかけない様にと、疎遠になったんだ。せめてもう一度くらい会って話したかったけどね。」
「No Way Outの方は最近被害に遭ってるみたいです。」
「まあ、そうだろうね。あそこのマスター、ケンはイースト・スリムの一番弟子だからね。Aztec の奴が僕に辿り着くにはもっと掛かるだろうね。僕としてはユウくんに反旗を翻してほしいな。」
「私もそのつもりです。今、ブルースバンドをやろうとしてて、この前メンバーが揃いました。」
「そうかい、それなら色々と手を回しておくよ。」
「手を回すって?」
「それはその時が来てからのお楽しみってことで。ユウくんはただいいプレイを心がけてくれればそれでいいよ。」
「分かりました。」
「じゃあ二人とも、ゆっくりしていってね。」
「何だか面白いことになりそうじゃない。頑張りなさいよ?」
キョウカがそう言う。私も何故か心が躍っていた。
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