10.円盤山にて。Ⅱ
由美がゼイゼイしながら山頂に辿り着いた時は、すでに日が傾き掛かっていた。
たかだか標高三百メートル程度とは言っても、山道が山の周囲を回りながら上がっているのでけっこうな距離になってくるのだ。
「あー、もう駄目ー」
とても眺望を楽しむどころではない。肩に食い込むトートバッグをドサリと置いた由美は、呼吸を整えながらベンチに腰を下ろした。
帽子を脱ぐと、五月の涼やかな風が由美の引っ詰めにした長い髪を揺らして山裾を駆け下りていく。由美の背後には銀色の円盤を模したモニュメントがでんとそそり立ち、いわれを記した立て看板や有料双眼鏡も設置されている。由美が登ってきた山道も以前は無いもので、かつての里山は観光地のように整備されていた。
「………………」
ベンチでだらりと足を伸ばしている由美の横を、シルバーの宇宙服姿の観光客達が言葉もなく通り過ぎる。由美が途中の見晴台から見た一行だった。スロープカーで上がって来たのだろう、由美より早く山頂に着いて観覧を終え、またスロープカーの乗り口に戻っていった。相変わらずぐにゃんぐにゃん(?)している。
近くに宇宙港があるせいか、いまでもセレプトト星人達が観光に来るのだ。
由美の実家も観光イチゴ農園をやっていて、円盤山登山からのイチゴ食べ放題が観光ルートの定番のひとつであった。
宇宙服を被ったままで、どこからイチゴを食べているのかはともかく――お客様の顔などジロジロ見ない――彼らは指向性のテレパシーのような意思伝達手段を使っているというのが定説だった。
その宇宙服の下の本体を知る者はほとんどなく、もちろん由美も知らない。
「……健太なら知っているかもしれないけど……」
うっかり声に出してしまい、由美は慌てて口元を押さえた。
気を取り直し、ペットボトルのお茶を一口飲んでから購入したばかりの国語辞典最新版をケースから取り出し、パラパラとめくる――。
件くだんの出来事からしばらくの間は新聞やテレビを賑したが、やがて健太もこの地に戻って来て、由美も晴れて殺人犯の汚名返上となりすべてが元の通り落ち着くかに思われた。
だが、一躍時の人となった健太とは中学までは一緒だったけれど、東京の高校、大学へと進学した彼がそのまま国連付属機関に就職してセレプトト星人と地球人の間を取り持つ仕事に就いたという噂を最後に、由美との交流は完全に途絶えた。
健太の情報は地方局のニュースや母親の井戸端会議を通して知るだけである。
ちなみに、当時のことをテレビ番組などで取り上げられるといまだに『君付け』で呼ばれてしまうのは、幼くして有名になったせいだろう。
高卒で地元の信金に入行した由美が、三年前に退職して家業の観光イチゴ農園の手伝いをしているのとは雲泥の差である。職業に貴賎無しとはいえ、健太の世にも奇妙な立身出世物語はまるで実感がなく、遠い世界の出来事のようだった。
「――本当に、あたしとは偉い違いだわ」
誠に遺憾だ。由美は大人になって止めた癖――つい、口を尖らせる。
眼下に広がる子どもの頃と何ら変わらない、時間の流れに取り残されたような浅緑色の風景を、由美はぼんやりと眺めやる。
――いや、嘘だ。
子供の頃は村だったこの地区は、数年前の市町村合併で市に変わった。
こうやって見下ろすだけでも廃屋や放置された田畑が目立ち、角度をずらせばコンビニの派手な外装が浮かび上がるだろう。昔馴染みの年寄りは亡くなり、両親も年老いた。何も変わってないと思いたい、自分の感傷に過ぎないのだろう。
そしてかつては国内外から観光客が訪れた円盤山も、いまは酸性雨で溶け掛けた円盤が斜めに地面に突き立った形のモニュメントが、当時の浮かれようを忍ばせているだけだ。忘れた頃に、セレプトト星人達が観光にくるぐらいで。
健太が飛び去ったあとの、うら寂しい里山の闇にひとり残された時のことを、たまに夢に見る。時が過ぎたというのに、自分はまだあの場所に居るのだろうか。
妄想を振り払うように、無意識に由美は手にした国語辞典を放り投げようと――。
暴挙に及ぶ前に、振り上げた手から五百グラムの重さが、忽然と消失する。
「――よっ。ここにいたのかよ。探したぜ」
聞き慣れない低い声に振り返ると、スーツにネクタイ姿の若い男が立っていた。
(↓続きます)




