犯罪
ちょっと待て、こいつ……ちょっと待てよ。今、なんて言った?
「あの時の皐月君の顔は印象に残ってますね。ただでさえ目立っていたのに、涙目で……フフッ……教室を出ていくんですから。あんなの忘れようと思っても無理ですよ」
「な――――っ!?」
衝撃の事実を淡々と話す彼女。その顔には明らかに俺をバカにするような笑みが浮かんでいて、弱みを握った者特有の余裕っぷりを見せていた。
俺は顔から火が出そうなほどの羞恥に襲われると、その場にうずくまる。
……こいつ、なんて性格の悪い女なんだ。今までか弱いぼっちだと思って接してきたのに、実は内心で俺を嘲笑っていたなんて。
今俺の目の前にいるのはただの女の子じゃない、正真正銘の悪魔だ。
……となれば、さっきのお願いにも何か目論見があるんじゃないか? このまま安々と引き受けてもいいんだろうか。
「ちょっと、そんな敵を見る目で見ないでくださいよ。私だって可哀想だなって思って見てたんですから」
「嘘だろ、もし本当にそうならあの時助けてくれてたはずだし」
「無茶言いますね……じゃあ逆に聞きますけど、もし私がそうなってたらあなたは助けてましたか?」
「いや、無視して本読んでた」
「人格終わってますね」
蔑むような目で俺を見下ろす彼女。
……仕方ないじゃん。ぼっちは目立ったら終わりなんだし、一挙手一投足に気を配る必要があるから下手に動けないんだよ。あとその目はやめてくれ。逆に俺が悪魔だって勘違いしそうになる。
「はぁ~、分かりました。次からは私も一緒に授業受けてあげますから、それでいいでしょう? だから元気出してくださいよ」
「えっ? ……ああ、それもいいかもな」
「……なんですか、今の間は」
どこか煮え切らない言い方をする俺に、彼女は何かを察したらしい。急に疑いの目つきになったかと思うと、何かを探るように訊いてきた。
この場を丸く収めるには、この事は隠した方が絶対に良い。それが分かっていた俺は、黙秘を貫こうとした――のだが、彼女の眼圧がそれを許さなかった。
「……たぶん出席足りないから単位落としたと思う」
ボソッとこぼすくらいの声量で白状すると、彼女は目を見開いてありえないといった表情をした。
そして、罪を犯した者を責めるかの如く怒号を飛ばし始める。
「何やってんですか! あれがトラウマになったのは分かりますけど、絶対耐えてでも頑張るべきでしたよ!」
えっ、何故だ? 確か、俺の計算ではその科目が取れなくても大丈夫なはずだが。
身を案じるような彼女の口ぶりに、じわじわと不安が生まれる。
「おいおい、そんな言われることでも……って、何その顔。えっ、やばいの? 確認だけど、別にその科目は落としても良いんだよな?」
「はい、今期は。ただ、来年から科目を担当する教授が変わるそうです。なんでも、毎回千字のレポートとグループワークを課すユニークな人だとか」
……なるほど、そういうことをしてくるのか。
おい、この科目の教授を選んだ奴出てこい。めちゃくちゃセンスないぞ。
「分かった、俺その授業取るのやめるよ」
「残念ですが、あなたが落としたのは必修科目ですので、来年取れなければ進級できません」
「八方塞がりじゃないか! もうどうしたらいいんだよ……てか、一回俺の話は止めないか。元の話をしよう」
次々と傷口を開かれて限界になった俺は、取り敢えず話題を引き戻す。これ以上現実を見せられると消し炭になってしまいそうだ。
「……現実逃避するのは構いませんけど、私は知りませんからね?」
「来年の事は来年考えるためにあるから大丈夫だ」
虚勢の笑みでグッと親指を立てる俺に、彼女は呆れた溜息をついた。
「はぁ、まあいいですけど……えっと、話の続きでしたね。実は、やって欲しいのはとても簡単な事なんです。皐月君は、”私が他の人と会話しているところを見てアドバイスする”、これだけお願いします」
「ほう、詳しく聞いていいか?」
「さっき、私から人が離れていくって言いましたよね。でも、それは自分の事を客観視できていないからだと思います。そこで、皐月君の出番ですよ。私が避けられるポイントをあなたが炙り出すことで、私は会話で欠点のない人間に生まれ変われる訳です」
……既にいくつか欠点が見当たる気がするが、一旦それは無視しておこう。
しかしなるほど、これは素晴らしい。確かに彼女の言う通りだ。
要するに、俺は安全地帯から彼女の粗を探して後方支援をすれば良い訳だ。なんてお気楽な仕事なんだ。
「了解した。でも、肝心の相手はどうするんだ? 適当な人に話しかけても成功する確率は低いと思うけど」
「大丈夫です、それならもう目星を付けてあります。これを見てください」
彼女は自信満々に言うと、自身のスマホを差し出してくる。
何かと思い画面を見れば、そこには市外にある繁華街を背景にして写る三人の女の子がいた。それを見て、俺は思わず息を呑む。
彼女らの顔立ちが、モデルやアイドルに引けを取らないほどの美貌だったからだ。さらに、イメージにハマった服装や髪型が各々の魅力を引き出し、どこから見ても”陽キャの集団”という空気を醸し出している。
明らかに”あっち側”である人たちの談笑する姿は、青春謳歌の象徴と言えるほどに眩しく輝いていた。
是非一度見てみたいと思ったが、残念ながらこの大学の学生ではなさそうだ。学内で見かけたことがないし、もし居れば噂になっているはずだから。
「おいおい、まさかターゲットにするのって……?」
「ええ、この人たちです」
「嘘だろ?」
予想より遥かに早く出番が来たことに俺は驚きを隠せない。
花園さんの言う通り、彼女は自身をあまり客観視できていないようだ。
確かに、彼女も顔立ちは整っている方だと思う。だが、それだけでは足りない。
写真の雰囲気から見るに、たぶん彼女らは明るい性格で、常にはしゃいでいるタイプだ。それに対して花園さんは比較的落ち着いた空気を纏っている。
はたしてタイプの違う彼女たちがマッチするかどうか怪しいところだ……。
「……ちょっと考え直さないか? ほら、何事も段階ってものがあるだろ。初の旅行先にアメリカを選ぶ人がいるか? まずは国内みたいな慣れた場所でゆっくり経験値を貯めてだな――」
「何言ってんですか、目標は高い方がいいでしょう?」
「確かにな。でも、最初から高い壁を登ろうとすると大怪我するかもしれないぞ?」
「それに私、ずっとこの人たちに憧れていたんです。まさに青春してるって感じで、大学生の理想形だと思います。もし私がその輪の中に入れたらどれほど幸せか、想像するだけでわくわくしますよ!」
「(こいつ、会話する気ないな)」
俺は、妄想で目を輝かせる彼女を見て、説得は無意味だと悟った。
これは彼女の中で決定事項なのだ。たぶん、何を言っても耳を傾けてはくれないだろう。
仕方ない、すでに落ちが見えている気がするものの、彼女らと接触する方向で話を進めるとしよう。
「分かった、じゃあそれで決まりだな。日にちはいつにする?」
「それはまた後日連絡します。念のため確認ですが、いつ呼んでも構いませんよね?」
「ああ、予定がなければいつでもいいぞ」
「ぼっちのあなたに予定も何もないでしょう。取り敢えず決まったらすぐ連絡しますね」
「じゃあ何で聞いたんだ」
無自覚な煽りが少々癪に触るが、無事ターゲットが決まったので今日のところは解散だ。
俺たちは席を立つと、次の授業へ向かうためにカフェを出た。
「ところで、さっきの写真はどっから取ってきたんだ? 誰かにもらった――とかではないよな?」
その別れ際、俺は少し気になっていたことを訊いてみた。友達のいない彼女のフォルダーに人の写真があったことを不思議に思ったのだ。
「これはですね、彼女たちの間で繁華街で遊ぶという話が出たので、その時に行って撮ってきました」
「……もう既に友達じゃないか。一緒に繫華街なんて行けるならそれはもう立派な友達だぞ? どんだけラインが厳しいんだよ」
なんだ、自分をぼっちだとか言ってたが、全然そんなことないじゃないか。というか、こんな美人の集団にいるならむしろ学内で高い地位に君臨していると言える。
孤独で可哀そうだと少しでも同情した俺の気持ちを返して欲しいくらいだ。
「いえ、別に一緒に行ってはいませんよ。彼女たちの後を勝手についていっただけです」
「ああ、そうなのか……っておい、ちょっと待て。それってストーカーだし、盗撮……」
突然の暴露に対して犯罪らしき行為を指摘すると、彼女はピクッと肩を震わせながら目を泳がせた。それから、焦ったように必死に首を振って否定してくる。
「ち、違いますから! 繫華街に行ったのは私も興味があったからですし、写真も小動物やオシャレな料理を撮るのと同じで、別に深い意味はないです!」
「……それなら別にいいの……か?」
罪に問われるか否か判断しかねている俺は、顔をしかめて彼女の目をジッと見る。
それに対して、彼女はそっぽを向いて目だけをチラチラと合わせてくる状態だ。
「い、いいんですよ! 全く、変なこと言わないでください。……あっ、じゃあ私こっちなので、先に行きますね」
彼女はそう言うと、この場からそそくさと逃げるように行ってしまった。
一人取り残された俺は、その後ろ姿をボーっと眺めながら思考を重ねる。そして、その末に思った。
(…………いや、アウトでしょ)
どうやら、彼女は少しやばい人らしい。