六月二十一日 人間の声が出なくなっていた日
私と人間の目がばっちり合う。少年は私の頭上の角と顔を、繰り返して見ている。まるで生まれたばかりの幼子のようだ。あなたとは角があってかっこいいでしょと、思わず口角が上がってしまう。しかし、しばらく見比べたあと、人間は何事もなかったかのようにベッドの方へ足を運んだ。
なぜに? 私は悪魔で、人間にとっては見慣れない生き物であるはずなのに。どうして見てないふりなんてしやがるのか。
このままなかったことにされたら困る。
「わー!! 待ってよ無視しないでよー! 何一人で納得してるのー! 私は悪魔だよ! もっと恐れなさいよー!!」
言葉とともに、ぎゅっと人間の手を掴むと、またもや信じられないものを見るような目で見てくる。さっきのスンとした時間は一体どこへいったのか。まさか私の存在に実は気づいていなかったのか。
それにしても、何もしゃべってくれない。普通悪魔に魂取られに来たら、驚いて逃げ回るはずなのに。今まで姿を見せた人間たちはみんなそうだったし。なのに、この人間ときたらそんな様子もなく、ただ目を見開いてじっとしているだけだ。はっきりいって、面白くない。
「もぉー! ずっと無視して態度悪いなぁ。うんとかすんとか言ってみたらどうなの? 私は! あなたの! 魂を取りに来たの!」
「……………………」
おもむろに人間は近くにあったノートに手を伸ばし、ペンで何かを描いた。
『――――――――――――――――』
読めません。文字だということは知ってるけど勉強してないし、分からない。私たち悪魔は、言葉は喋れても読めないんだよね。勉強したら読めるようになると思うけど、そんな悪魔見たことも聞いたこともない。難しい顔してる人間に教えてあげないと。
「むむむ……。うん! わからん! 私は今悪魔の力によって君ら人間と言語を統一化しているけど、その力って文字にまで及んでいないんだよねー。だから何かわかんない!」
そう言ってる途中に人間の顔はさっきよりも青ざめていく。何かを考えついたのか、人間は喉を指さして手でばってんを作る。それを何度か繰り返しているのを見て、ようやく分かった。
「……あー! 君、声出ないのかぁ。前は出てたよね?」
…………声が、出ないんだ。表面上は明るく取り繕っているけど、その事実に私は愕然とした。やっぱりあの事故が原因なのだろうか。人間は心から体がおかしくなるって聞いたことがある。もしかしたら私のせいで、彼も……。
手をつかんで人間の首元に強く当てつけられる。私の長く尖った爪が浅く刺さり、つうっと薄く血が垂れる。殺せと? そんなのまだ早い。まだこの人間は長く生きられるのに。人間の目は据わっている。私のことをまっすぐ見つめているが、時折その目が揺らぐ。まるで何かを問いかけるみたいに。そうか。
「なんで今すぐ殺せるのに殺さないか知りたいの? それはねぇ、魂は生きている期間が長いほど成熟して美味しくなるからなんだよ! 私が君の魂を刈り取らないといけない期限はまだまだ先だから、もーちょっと先延ばしにしよっかなぁって」
こんなの、嘘だ。悪魔はただの地獄からの魂を刈り取る使者。魂に味などないし、成熟などという概念なんてない。決められたらなるべく早く刈り取ってこなければいけないものだ。
やっぱりこの人間には最期まで幸せをいっぱい詰め込まれた人生を送ってほしい。期限の日まで充実された毎日を、送らせてあげたい。
やはり、もう姿は見られてしまった。
今から雲隠れなんて、私にはできない。
その日がくるのを怯えて暮らしてほしくない。
「分かってくれたかな? 私はその日まで君のそばで過ごすから、そこら辺も分かっといてね! じゃあ、おやすみぃー」
無理やりそう決定して、私と人間の日々は始まった。
幸せな最期をどうか。彼に。




