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序幕
知恵比べをしたことがあるだろうか。
童話などでは強大な怪物が脆弱な人間にまんまと騙されたりするが、そういうものの全てが作り話とは限らない。
わたしはロンドン郊外に建つ図書館の館長であり、童話の教訓を大人になってから学んだ愚者でもある。
ゴシックまがいの近代建築三階に位置する自室からは街並みが一望できるのだが、冬明けに多少のスモッグを孕んだ我が国の首都は早朝の霧で成した分厚いヴェールに身を隠しており、テムズ川からそう遠くないというのにビッグ・ベンすら窺えない。
窓を閉めると冷たい若葉の香りが舞い込み、暖炉の温もりとの湿度差で眼鏡を曇らせる。去年の今頃は、心まで霞に覆われていたのを思い出す。そして人は変わることがある。現在の自分が存在するのも、あの出会いがあってこそだろう。
今年もケンジントン・ガーデンには見事な桜が咲いた。爽やかな春の季節が訪れ、待ち侘びた日を運んできたのだ。
太陽が高く昇ったら、あの人に会いに行く。約束を果たすために。
景観が麗らかな日差しの下に映えるまで、ひとつの物語を話すとしよう。