1−8 残酷な選択
数日後の夕方、シャルは産着を完成させた。我ながら上出来だと満足している。少し歩くのも辛くなってきた身体で、産着を濯ぐため川へ向かう。
お腹が大きくなるのに比例する様に、子供への思いも大きくなってくる。
子供を幸せにすれば、自分も幸せになれる。
川へ到着し、しゃがみ込む。穏やかな流れに映った自分の顔を見て、シャルは溜め息を吐いた。
では何故、こんなに辛いのか。
――――嘘が混じっているからだ。大量に。
この地へ続く洞窟を歩いていたときと同じ。
「自分の名誉のため、村のため」と己を偽って歩いていたときと同じ。
毎晩毎晩、あの男を思い出す。
この穢れた身体を消したくなる。
この腹の中の子供への愛情、理屈抜きの愛情に偽りはない。
しかし、子供が幸せになれば、私も幸せなのか?
涙が落ち、川面に映るシャルの顔が波紋で歪む。
シャルは不安や悲しみに飲み込まれそうになる。
その時――――。
「えっ!? くっ……!? ああっ!」
激烈な痛みが、下半身から全身に走った。その痛みの理由を、シャルは一瞬遅れて理解した。
「なっ……、何故!? まだ早い! まだ駄目よっ!」
シャルの訴えも虚しく、足の間から羊水が溢れる。その中に血液が混ざっていることにシャルは気付いた。
しゃがみ込む姿勢もままならなくなり、川辺に倒れるように横になる。
私の血ならいくら出ても構わない。
しかし分からない。
この血は誰の血なの!?
どっちの血なのよ!?
「ああああああっ!」
シャルは絶叫した。
――――
いつもの定位置、大草原の中央で丸くなっていたラストラがその巨躯からは想像も出来ない速度で立ち上がった。
シャルの絶叫が聞こえた。
黒い翼を広げ、飛び立つ。
声が聞こえた方向――、シャルがよく行く川辺を目指す。
数秒で目的地につくはずだが、ラストラにはその数秒が非常に長く感じられる。
上空から、川辺に倒れているシャルを見付けた。
両手を胸の前で交差させている。
のたうち回ったのか、周囲の草、シャルの白いローブが赤黒く染まっている。
降下する。着地の衝撃をシャルに与えないため、速度を落とし降りたった。
シャルの身体は痙攣している。腹の膨らみが消えている。
ラストラは、シャルの身に起きたことを理解した。
「シャル……」
「うぅ……」
シャルのうめき声が聞こえる。元々白いシャルの顔が、更に白くなっている。
「ラストラ様……」
「もう喋るな。大丈夫だ」
シャルが小さく笑った。
「『腐食の王』と畏れられるラストラ様が嘘を吐くなんて……」
そう言われて、初めてラストラは気付いた。
――オレは嘘を吐いた。
シャルは助からない。
助けられない。
このまま死ぬだろう。
そんなのは、シャルを見た瞬間に分かったことだ。
何故、嘘などオレは?
「ラストラ様……」
シャルが交差させた両手を解き、ラストラへ何かを差し出す。
血まみれの胎児。既に人の形になっている。
「私は死ぬでしょう。恐ろしくはありません。どうか……、どうかこの子だけは助けて下さい」
ラストラは胎児を見た。全く動かない。呼吸もしていない。
しかし、まだ死んではいない。
ラストラは迷っている。
嘘も迷いも「腐食の王」には似つかわしくないものだった。
ラストラとて、「腐食の王」とて、何もかも思い通りに出来る神のような存在ではない。
死んだ生物を生き返すどころか、生物の傷や病気を治癒する能力さえ持ち合わせていない。
しかし、一つだけ可能性がある。
その可能性についてラストラは迷っている。
このオレの能力、誰かに引き継ぐまで死ぬことも許されない能力。
オレに引き継いだ後、先代が「やっと死ねる」と安堵していた能力。
ドラゴンの身体とは比較にもならない小さな入れ物。
死にかけの胎児。
「ラストラ様……、どうか御慈悲を……」
シャルのか細い声がラストラの迷いを吹き飛ばした。
このまま放っておいたら死ぬのは間違いないのだ。
選択の余地などない。
――――名も無き者よ。死なずに済んだとしてもお前が歩む道に救いはないぞ。
もし、「死んだ方がよかった」と思うときが来たら。
そのときは、オレを好きなだけ怨め。
そのときは、オレがお前を喰ってやるわ。
――――
シャルは途切れ途切れの意識の中で、差し出した我が子が少しだけ重くなったのを感じた。
な……、何か入った?
次に動きを感じた。小さな手足がゆっくりと動いている。
ああ……。ラストラ様が助けてくれたのだろうか……。
「ふぎゃああああ!」
産声が聞こえた。
その産声を聞いた瞬間、シャルは息絶えた。
シャルカラット・ルーミー、たった十九年の短い生涯を終えた。