4.出立
家族との別れ
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上を見上げれば、そこに広がるのは蒼穹だ。目元に手を翳すことで降り注ぐ陽光を遮って、ラリーサは〝絶好の出立日和ね〟と笑う。王宮の前――馬車回しには、5台の馬車が停まっている。前後の4台にはラリーサが隣国へ連れて行く侍女たちが、中央の一回り大きな馬車にはラリーサと筆頭侍女であるマルファが乗る予定だ。そして、馬車を取り囲むようにして並ぶ軍馬たち。
馬車回しに姿を見せたラリーサの前に、十数名の騎士たちが進み出て片膝をつく。
「出立の準備は整っております」
胸に手を当て頭を垂れた騎士たち――ラリーサが残していくと決めた専属の護衛騎士たちへ、ラリーサは〝ありがとう〟と声を掛け、立ち上がるように皆を促す。
「国境の領地まで……よろしくお願いしますね」
ニコリと微笑んだラリーサに、騎士たちは僅かに眉根を寄せる。ラリーサが物心つく頃から傍に居てくれた者もいれば、ラリーサが自ら望んで護衛騎士とした者もいる。出来れば、全員連れていきたいと思う。しかし、国を違えるということは今まで自身が積み上げてきたものを一度リセットするということだ。新たな国で、一から信用を築いていくことは容易いことではない。それに、すでに家族を持つもの、婚約者がいるものもいる。己のために、騎士たちが犠牲になることはないと思う。
それは、侍女たちも同じで。ラリーサは連れて行く侍女や護衛騎士たちを最小限に絞り、連れて行くとした者たちの話も一人ひとりからしっかりと聞き、相手の気持ちを尊重した。同時に、専属以外の者たちへも〝もし、ともに移動してくれる者がいれば〟と選択肢を広げることもした。そして、選別された――〝ともに行く者〟と〝残される者〟。残していく専属たちへ、少しでも感謝の気持ちを示せればと思う。
「マルファ」
ラリーサに呼ばれ、背後に控えていたマルファが大事に手に持っていたハンカチを開く。そこには、朝部屋で残していく侍女たちへ配ったものと同じ真珠のピンがあった。
「私から、今までの感謝を込めて……」
真珠のヘアピンを一つ取ったラリーサは、一番長く己に仕えてくれた護衛騎士の1人の襟元にそっとそのピンを差す。
「ヘアピンの形でごめんなさいね。どのようにも、好きに加工して下さいな」
〝奥様にプレゼントとして差し上げるのもいいかもですね〟と笑ったラリーサに、騎士は〝これは、私のものです〟と僅かに声を詰まらせる。一人ひとり――残していく護衛騎士たち皆に真珠のピンを手渡しながら声をかけ、最後にラリーサは〝自分は、本当に人に恵まれた〟と微笑む。そして、クルリと振り返ると王宮の入口まで見送りに出てきてくれた〝家族たち〟へ殊更丁寧にカーテシーをする。
「皆様、いつまでも息災で……トリーフォンの地より、イリダール王国の幸福を願っております」
そう言って飛び切りの微笑みを浮かべて見せたラリーサに、堪らずといった様子で先大公の下の娘である従妹のスサンナがポロポロと涙を零しながら駆け寄ってきた。
「リーサ姉様ぁ……っ」
ぎゅうっと己の腰にしがみ付いてきたスサンナに、ラリーサは〝あらあら、まぁ〟と笑いながら涙で塗れた両頬を優しく手のひら包み上を向かせる。
「可愛い顔が涙でぐしゃぐしゃね。スサンナは、笑った顔が一番可愛いのに」
マルファからハンカチを受け取ったラリーサが、優しくスサンナの頬を濡らす涙を拭う。
「わ、笑えませんっ」
ふるふると首を横に振るスサンナに、ラリーサは優しく微笑み〝私を想ってくれてありがとう〟とその額へキスを落とす。
「スサンナっ。リーサ姉様を困らせてはダメよ」
瞳を潤ませたスサンナの姉――セラフィマが、レフに肩を抱かれながら歩み寄ってくる。
「リーサ姉様……本来ならば、私が果たすべきお役目ですのにっ」
そう言って言葉を詰まらせたセラフィマに、ラリーサは〝あら、結婚は役目でもなんでもないわ〟と明るく笑う。
「私は、不幸になるためにトリーフォン帝国に行くわけではないし」
「……姉上なら、トリーフォンでも悠々自適に過ごせそうだけど」
苦笑したレフに、ラリーサが〝当然よ〟と胸を張る。
「自分の居場所は、自分で作ります」
「姉上なら、あっという間に後宮を自分の支配下においちゃいそう」
軽口を交えながら歩みよってきたルスラーンに、ラリーサは〝それは、褒めてるの?〟と眉根を寄せて見せる。
「誉めてる、褒めてる」
〝嘘くさいわね〟と溜息をついて、ラリーサは祖父の傍でそわそわとしているソゾンとエラーストに向かって手を伸ばす。
「いらっしゃい」
ラリーサに呼ばれ、二人は弾かれたように駆け出し、折り重なるようにしてラリーサの身に抱き着いた。
「……姉上、お元気で。俺の即位式には、招待状を送りますからっ」
絞り出すようにして告げたエラーストに、ラリーサが〝楽しみに待ってるわ〟とその頭を優しく撫でる。
「姉上、お祖父様の補佐は、僕が全力で頑張りますからっ」
〝姉上のようにはいかないけれど〟と告げたソゾンの頬を、ラリーサが〝あなたなら、すぐに私を超えるわよ〟とそっと撫でる。
「近衛師団は、俺たちに任せて」
「私はお飾りの〝近衛師団長〟だったから実務は副団長に丸投げだったけれど、あなたたちは副団長に押し付けずに、自分たちで書類仕事をやるのよ」
〝二人いるのだから〟と続けたラリーサに、双子は〝肝に銘じて〟と己の胸を拳でトンと叩く。
「お姉様、私には何かできますか?」
セラフィマに涙を拭われながらスサンナが尋ねる。それにニコリと笑みを返して、ラリーサはスサンナとセラフィマの手を取ると、〝あなたたちには、トリーフォン帝国から嫁いでくる皇女様を気遣ってあげてほしいわ〟と告げる。
「弟たちでは行き届かないようなところを、あなたたちがフォローしてくれたらとても頼もしいわ」
そう言って笑みを深めたラリーサの懐で、エラーストが〝……姉上がトリーフォンに行くことになった元凶に優しくする必要なんてない〟とボヤく。そんなエラーストに大きな溜息を一つついて、ラリーサは〝こら〟とペシリとエラーストの頭を軽く叩く。
「夫となるエラーストがこの調子なのだもの……お願い出来るかしら」
苦笑したラリーサに、セラフィマとスサンナが〝もちろんです〟と頷く。
「レフとセラフィマの成婚式も見たかったのだけれど……」
少し淋しそうに笑ったラリーサへ、レフとセラフィマが〝招待状は送ります〟と声を揃える。
「待ってるわね。許可が下りるかは……行ってみないとわからないわね」
「難しいのは承知していますが、だからと言って送らないという選択肢はありません」
レフの言葉に〝ありがとう〟と微笑んで、ラリーサは大きく腕を広げて懐にくっつくエラーストとスサンナ、そして後ろに立つソゾンとセラフィマを纏めて抱き締めた。
「皆、元気でね」
そうゆっくりと紡がれたラリーサの言葉に、皆が瞳を潤ませる。四人を抱き締めるラリーサを、レフとルスラーンが背後から抱きしめた。
「姉上も、お元気で」
「もちろんよ。私、トリーフォンではのんびりだらりと〝お飾り正妃〟を頑張るつもりだから」
〝ふふふ〟と笑ったラリーサに、皆がクスクスと笑声を重ねる。
「姉上に、〝お飾り正妃〟は無理だと思うよ」
「皇帝は、姉上より5歳ほど年下だと聞きましたし」
「絶対に、黙ってなんてられないと思う」
〝賭けてもいい〟と言いきった四兄弟に〝まぁ〟と瞳を大きくして、ラリーサは〝絶対にお飾り正妃になってやるんだから〟と意気込む。そして、コロコロと軽やかな笑声をあげながら、離れた場所で見守る祖父へと視線を向ける。
「では、お祖父様。行って参ります」
そう朗らかな声音で告げたラリーサに、祖父はにっこりといつもと変わらない笑みを浮かべると〝また、会おう〟と言って片手を上げた。
早くトリーフォン帝国の皇帝出したいんだけど……先はまだ長い……。