36.執務の割振り
ゆったりと朝食を済ませた後、アリスタルフとラリーサはともに執務室へと向かう。アリスタルフの腕に手を添えて歩きながら、その日一日の互いの予定を確認する。本日は、共に一日中執務に集中する日となっている。
「私、思ったのですけれど……」
執務室の椅子に腰を下ろしながら、ラリーサは己の手をとってくれているアリスタルフを見上げる。
「アル様は、少し執務の範囲を絞って、まずは〝統治する〟ことに慣れるのがよいのではないかと思うのです」
ラリーサの言葉に、アリスタルフとミハイルが〝統治に慣れる?〟と首を傾げ、キリルとキーラの兄妹は、〝それも有りかも?〟と納得したような表情を浮かべる。
「はい。私もそうだったのですけれど。慣れぬうちから全てを見通そうとしても、見落とすことばかりが多くてうまくいかないと思うのですよ」
「まぁ……そうかもしれないが。皇帝である俺がやらねば、誰がやる?」
僅かに眉根を寄せ、渋い表情を作ったアリスタルフに、ラリーサが〝もちろん、最終決定はアル様のお仕事ですよ〟と告げる。
「ですが、まずは狭い範囲でも、最初から最後まで抜けなくきっちりと〝統治する〟経験が必要なのではないかと思うのです。そうしてから、徐々に執務を広げていってもよろしいのでは?」
「皇帝が、そんな悠長なことでいいのだろうか……」
〝情けなくないか?〟と僅かに眉尻を下げたアリスタルフに、ラリーサが〝いつまでも国が落ち着かぬ方が、よろしくないですよ〟と微苦笑を浮かべる。
「アル様が持つ直轄地は、帝都に近い場所にありますよね?」
「あ?あぁ。スピリドン兄上から継承した領地が4つと、元々俺に与えられていた領地が3つだな。前者は、代々皇帝が統治する領地となっているため、帝都に近い。後者は、どこも辺境に近い僻地だな。俺が持つ領地のうちいくつかは、いずれルフィナやイサークへ移譲を考えている」
ラリーサの傍から離れ、己の執務椅子に行儀悪く斜めに座ったアリスタルフが机に片肘をつき、足を組む。
「ならば、まずは帝都と前者4つの領地をメインに執務をされたらいかがでしょう。それ以外の執務に関しては、出来る限り私の方で対応致します。アル様と私の間のみでの割振りであれば、他の者たちにとやかく言われることもないのでは?」
〝いかがですか?〟と続けたラリーサに、アリスタルフが〝俺としては、有り難いが……〟と再び眉根を寄せる。
「いくら国政に慣れているとはいえ、それではリーサに負担が掛かり過ぎる」
「えぇ。ですから、私のフォローをぜひネストル様にお願いしたいところですねぇ。ミハイルにも、そろそろ人材探しに重きを置いてもらいたいですし……」
ラリーサが、ジーッとアリスタルフを見据える。含みのある視線に先に白旗を上げたのは、アリスタルフの方だ。
「……わかった。例の件について、数日中にネストル兄上から〝快諾〟の返事をもぎ取ってくる」
「まぁ!期待しておりますわね。そろそろ、あの空き机も主を欲しがっている頃ですよ」
アリスタルフがネストル用に用意した執務机へ視線を向け、ラリーサが〝ふふふ〟と笑う。
「ついでに、イサークたちへも仕事を与えるか。茶会で約束したからな。リーサは、どんな仕事がいいと思う?」
アリスタルフからの尋ねに、ラリーサが〝そうですねぇ。いくつかありますけれど〟と頬に手を添えて僅かに首を傾げる。
「一つは、書類の〝配達〟でしょうか。いろいろな部署を見て回るだけでも、文官たちが日々どのような仕事をしているか、子どもたちの勉強にもなりますし。それに……子どもは見ていないようで、大人をよく見ているものですよ」
にっこりと笑みを深めたラリーサの意を汲んだアリスタルフが、〝リーサは、一つのことで複数の成果を得るのが上手いな〟と笑う。
「些細なことでいいのです。意味のないこと、くだらなく見えることでも。子どもたちが気になったことを聞かせてもらう。そんな中に、時々〝宝物〟が混じっていることがあるのですよ」
〝祖父に言われて、弟たちも同じことをしていましたね〟と、ラリーサが懐かしそうに微笑む。
「子どもたちの話をしっかりと聞くことで交流も持てますよ」
「では、子どもたちには、書類の配達を申し付けよう。ヴァレリーには、合わせて書類の整理も頼みたいな」
「そうですね。あ。書類の整理は、ルフィナ様にもお声掛けしてよろしいですか?」
「ルフィナが興味を示すようならば、皆で一緒にやればいい。ミハイル。子どもたちの侍従たちと一度話をしたい」
己の執務机に座って書類の整理を始めているミハイルへ視線を向け、アリスタルフが命じる。それに、仕事の手を止めたミハイルが〝畏まりました〟と瞳を伏せて目礼した。
「エルモライ様へはお声掛けいたしますか?」
ミハイルの尋ねに、アリスタルフはしばし考え込むように間を置いた後、〝まだ、よい〟と首を横に振る。
「ジャイナが〝まだ、3歳だ〟という理由で講義や鍛錬から逃げるエルモライを黙認している間は、声をかけずともよい」
「畏まりました。その旨、ジャイナ様へお伝えしても?」
「かまわん。が、あちらから問いがあった場合に、だ」
「承知いたしました」
一つ頷いたミハイルが、苦笑を浮かべて〝二人とも、そろそろ執務を始められては?〟と告げる。それに〝それは、そうだ〟と笑って、二人は居住まいを正す。
「さぁ、今日も一日頑張ろうか」
アリスタルフの言葉に、ラリーサが頷き、ミハイルが己が厳選したアリスタルフの侍従を二人室内に招き入れる。そして、ラリーサが執務の手伝いに引っ張り込んだキリルとキーラが〝はっ〟と恭しく礼をとった。
◆◆◆
「というわけで、ネストル兄上。リーサの補佐をお願いしたい。この通りだっ」
向かいのソファーに座り、深々と頭を下げるアリスタルフに、ネストルは困ったように笑い一つ溜息をつく。
「……子どもたちが、執務の手伝いが出来ると喜んでいた」
「兄上が厭われるようなら、ヴァレリーとイヴァンには遠慮してもらいますが?」
「子どもたちがあんなにも喜んでいるのにか?……これ以上、子どもたちに嫌われたくはないよ」
苦笑し、ネストルは降参だというように両手を上げる。
「妻から手紙が届いた。皇宮の外に邸をいただけるならば、帝都に戻ってもいいと書いてあった」
「それは……」
期待に瞳を煌めかせたアリスタルフを可笑しそうに見つめ、ネストルが〝いったい、誰が私の妻を口説き落としたのだろうね〟と笑う。
「リーサは、何もしておりませんよ」
「そうか?」
「……アクサナ姉上とブリュンヒルト義姉上には、何やらお願いしていたようですが」
「それは、何もしていないと言えるのか?」
「リーサが直接手を出したわけではないですし」
ほんの少し気まずそうに視線を逸らし、アリスタルフは目の前に置かれた紅茶に手を伸ばす。そんな弟の姿に小さな笑声を溢して、ネストルは〝妻と子どもたちを先に落とされてはね〟と肩を竦めた。
「それに……心苦しくなかったわけではないんだ。アルに全てを押し付けて、逃げてしまった自分を情けなく思っていた」
〝すまなかった〟と頭を下げたネストルに、アリスタルフが〝おやめください〟と告げる。
「それが……領地で過ごす時間が、兄上にとっては大切だったのではないですか?」
「だが……」
「疲れておいでだったのですよ。兄上がスピリドン兄上と共に頑張っていらした時、俺は何もできなかった……いや、しなかった。今は、俺が頑張る時なのだと思います」
〝結局は、兄上に助力を請うているのが、情けないですが〟と苦く笑ったアリスタルフへ、ネストルが〝そんなことはない〟と優しい表情で首を横に振る。
「兄上と私が国を統治した年月と、アルが皇帝として国を統治した年月に対した差はない。兄上は皇帝となるべく育てられた皇子だったが、お前はそうじゃない。その分、苦労は多いだろう」
〝例え、お前が聖石を持っていると言っても……〟と、ネストルがすまなそうに瞳を伏せる。
「……邸の準備が整ったら、妻を帝都に呼び寄せる。私は、皇宮外からの通いにさせてもらいたい」
「兄上のよいようにしてください。一応……皇宮内の離宮もそのままにしておきます」
「それは、皇宮に寝泊まりしなければならないほど、こき使うという意味かな?」
ふっと口元を緩ませたネストルに、アリスタルフは〝まさか〟と首を左右に振った後、含みのある笑みを浮かべて見せる。
「そんなつもりはありませんが……結果的にそうなってしまった場合は、ご容赦くださいますか?」
アリスタルフの言葉に、ネストルは僅かに瞳を見張った後可笑しそうに笑声をあげて〝そうならないことを祈るよ〟と返した。
執務要員一名確保っ!!




