【短編版】接吻したら即結婚!?婚約破棄された私が助けたのは隣国の皇帝でした
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「シュヴァリエ皇帝陛下……! 後で何なりと裁きは受けますから、ご容赦を……!」
オフィーリアの人生で初めてのキスは、未来の夫の命を救うための、ムードの欠片もないものだった。
◇◇◇
「オフィーリア・ダンズライト! 今この時をもって、貴様との婚約を破棄する! 理由なら言わずとも分かるだろう?」
ハイアール王国の第一王子──ダッサム・ハイアールの婚約破棄宣言が響いたのは、彼が主催する舞踏会の会場だった。
綺羅びやかなシャンデリアの下。流行を取り入れたドレスを着た令嬢たちの一部は扇子を開くと笑みを隠し、令息たちの数人はくつくつと喉を鳴らす。
ほとんどの舞踏会参加者は「そんな馬鹿な……」とぽつぽつと零しながらオフィーリアに同情の目を向けるが、その中でも異彩を放っているのがダッサムの隣に居る可憐な少女だ。
「ダッサム様……っ」
この大陸には生まれない黒髪に黒目の童顔な少女──マナカは、百年に一度異世界から転生してくると言われるキセキの存在だ。
約半年前、人々を癒す特殊な力を持って現れた彼女は、『聖女様』だと言われている。
そんなマナカは、ダッサムのことを崇拝しているような眼差しで眺めていた。
「隣にいらっしゃる聖女様──マナカ様と新たに婚約を結びたいが故、私が邪魔になった、ということで宜しいですか?」
「なっ! 言い方を弁えんか、愚か者! 貴様は私が聖女であるマナカを気にかけることに嫉妬し、彼女に数々の嫌がらせをしただろう! いくら私のことが好き過ぎるとはいえ、嫉妬など醜いぞ……!」
「……なるほど」
オフィーリアはポツリと呟いて、溜め息を零した。
そして次の瞬間、扇子を力強くパシンと閉めたオフィーリアの蜂蜜色の髪がふわりと揺れる。
乱れた横髪を耳に掛けると、髪の毛と同じ美しい蜂蜜色の瞳をスッと細めて、嫌がらせの内容を問いかけた。
「お前は王宮で彼女に会うたびに、聖女としてもっと勉強しろだのマナーが間違っているだの、小言をグチグチグチグチ言ったらしいじゃないか!」
「グチグチと言ったつもりはありませんが……それが嫌がらせですか?」
「これを嫌がらせ以外の何だと言うんだ! マナカはこの国に一人しか居ない聖女だぞ!? 恥を知れ!」
ダッサムの言葉に、オフィーリアは再び静かにため息を漏らす。
……許されるのならば、その程度の理由で、かつ客観的意見を何も集めていない状況で婚約破棄を宣言する殿下の方が恥知らずでは? と言いたかったが、口を噤んだ。──それに。
(殿下に好意はなかったわ。どころかむしろ嫌いだった。……殿下がマナカ様に興味を抱いてからは、こういう日がいずれ来ることも想像していたし。……けれど、十年以上婚約者だった方にこんな公の場で罵倒されるのは、流石に傷つく……)
表情をほとんど崩さないオフィーリアだったけれど、気を抜けば声が震えてしまいそうだったからだ。
しかし、オフィーリアは自身は何も間違ったことはしていないのだからと言い聞かせて、凛とした態度を貫き通した。
それからダッサムはというと、マナカから聞いたというオフィーリアの醜聞を饒舌に語った。
先程の嫌がらせに加え、マナカが社交界の爪弾きにあうよう画策したとか、マナカを階段から落とそうとしたとか、あれやこれやを語るダッサムはオフィーリアを見て異常なほどに楽しそうだ。
オフィーリアがそんな事をした覚えはないと伝えても、「マナカが言っているんだから正しい!」というよく分からない理論を繰り出してくるので、もはや目も当てられなかった。
「私は将来ハイアール国の国王になる人間として、オフィーリアのような醜い女を妻にはできない! よって彼女との婚約は破棄し、新たに聖女マナカを私の妻にする! 皆のもの、盛大な拍手を……!!」
その瞬間、一部で巻き起こる歓声と拍手。
婚約破棄宣言があった際、オフィーリアのことを嘲笑っていた者たちばかりである。
(レリーヌ侯爵家に、バジリオ伯爵家。……その他の方も、我がダンズライト公爵家を引きずり降ろしたい者ばかりね)
代々筆頭公爵家としてハイアール国の政に大きく関わり、膨大な権力を持ったダンズライト公爵家を良く思っていない貴族たちが少なからずいることを知っている。
だから、オフィーリアはこの事態に驚くことはなかった。
(それに、ダッサム殿下が今回のパーティーに他国の有力者を沢山呼べと仰っていたのは、この状況を──私を悪者にして、マナカ様を新たな婚約者にすることを知らしめたかったから、かしら)
それからオフィーリアは一旦思考を切り替えると、歓声が鳴り止んだタイミングで、もう一度口を開く。
「改めて申し上げますが、私はマナカ様を爪弾きにしたつもりも、危害を加えようとしたこともございません。知識やマナーを身に付けたほうが良いとは何度か申しましたが、それには理由が──」
「ええい! 黙れ黙れ……! 貴様の言い訳など聞きたくもないわ!!」
「……っ」
憤るダッサム、オフィーリアは押し黙る。
将来妃となるため幼い頃から教育を受けてきたオフィーリアは、どんな状況でも冷静に対応出来るよう鍛えられてはいたけれど、いくらなんでも将来夫となるはずだった人物にこう何度も怒鳴られるのはなかなかに堪えたのだ。
(私の今での努力や我慢は、一体……何だったの……っ)
けれど、今は過去に目を向けても何も変わらない。それに、何もこの事態は想定できていなかったわけではないのだから。
オフィーリアは大丈夫、大丈夫よ、と自身を言い聞かせてから、優雅なカーテシーを披露してみせる。
そんなオフィーリアに、会場中の雑音が一瞬姿を消した。
「婚約破棄の件は承りました。この場に居られない両陛下には、殿下からお伝え下さいませ。書面については──こちらを」
パチンと指を慣らし、近くに待機させていた従者から、オフィーリアは書類を受け取り、それをダッサムへと手渡した。
「は? 何だこれは?」
「……? 婚約解消に必要な書類ですが。ダンズライト家側の署名は全て終えてありますから、そちらの署名があれば直ぐに受理されるはずですわ」
「俺が言っているのはそういうことじゃない! 何故事前にこの書類を準備してあるんだ!! しかも署名まで終えて……!」
先程より怒号の際に飛ばす唾が増えたダッサムの額には、色濃い青筋がブチブチと音を立てて浮かぶ。
今日一番感情的になっているその姿に、何故望みの婚約破棄が叶うというのにこんなに怒り狂っているのだろうとオフィーリアは疑問だった。
けれど、そんな疑問を解消することも今やもうどうでもいいことだ。
オフィーリアは淡々とした口調で言葉を続けた。
「殿下がマナカ様と逢瀬を繰り返し、愛を育んでいることには気付いておりました。同時に、以前よりも一層私に当たり散らすようになったことも。両親にも相談しましたところ、立場的に公爵家のこちらからでは婚約解消の申請は出来ないため、婚約破棄を言い渡されたら直ぐに同意できるよう書面は用意しておこうという話になっておりました」
「……っ!! つまり、この状況も貴様の想定の範囲内だと……。……舐め腐るのもいい加減にしろよ!」
「……!?」
目を血走らせたダッサムは、王族とは思えないような口調で捲し立ててくる。
「貴様のそういう何でもお見通しといった面や性格が昔から大嫌いだったのだ!! なまじ勉強やマナーが完璧だからと調子に乗りおって……! 将来王になる私のほうがどう考えても偉いのに、貴様はいつも偉そうに勉強しろだの貴族の前では弱みは見せるなだの……何様のつもりだ!? お前のような可愛げのない女など、俺が捨てれば誰も拾わんぞ!!! 泣いて許しを請えば側室くらいにはしてやったというのに……婚約解消の署名を済ませているだと……? ふざけるな!! クソクソクソ!!!!」
「…………っ」
好かれているだなんて思わなかったけれど、まさかここまで嫌われているだなんて。
「……そう、でしたか」
ショックで、もう立っているのも精一杯だ。
それなのに、ダッサムは未だにオフィーリアに罵倒を続け、それが終わる頃には今度は比較するようにしてマナカを称賛し始めた。
可愛らしいとか、話しているだけで癒やされるとか。そして、最後には──。
「私の新たな婚約者はこの国に一人しか居ない聖女だ! オフィーリアなんかよりも魅力的で、素晴らしい能力も持っている!」
「やだ……ダッサム様、褒め過ぎですよ……」
「そんなことはないよ、マナカ。ああ、そうだ。この場で聖女の力を披露してやってくれないか? そうすれば、この国においてそなたがどれほど貴重で尊い存在なのか、より皆が理解するだろう!」
「分かりました……!」
オフィーリアに見せつけるようにしてマナカの腰を引き寄せながら提案したダッサムに対して、マナカは何とも嬉しそうに魔法の呪文を唱える。
そして次の瞬間、マナカの体を纏うように現れた光の粒は会場中に浮遊した。
「これが、キセキの力……凄い……」
誰かがそう呟いたこの力こそ、マナカの能力。魔力を持つものはあれど、今やもうこの世界の人間には誰ひとり使うことができない奇跡の御業──魔法だ。
それもマナカが扱うのは回復を司る光魔法であり、その光の粒は、会場中の貴族たちのちょっとした怪我や、内臓の不調などを癒やしていく。
その様子にダッサムは未だにオフィーリアを見つめ、優越感に浸るような笑みを浮かべていた、のだけれど。
──キャァァァ!!
会場後方から聞こえる令嬢の叫び声とざわつきに、オフィーリアはくるりと振り返る。そして、ざわつきの正体──倒れている男の元に、急いで駆け寄った。
「……っ、シュヴァリエ皇帝陛下! 大丈夫ですか!? ……っ、皆様は落ち着いてください! シュヴァリエ皇帝陛下の従者の方は近くにいらっしゃいますか!?」
マナカが聖女の力を発動した瞬間、突然倒れたシュヴァリエ。
オフィーリアは、慌てた様子の貴族たちを落ち着かせる。
そして、シュヴァリエの状態を素早く観察した。
(呼吸が浅くて苦しそう……じっとりと汗をかいていて、胸を押さえている。考えられるのは持病が悪化したか、突然の発作……? あっ、もしかして……)
直後、「私です!」と言って駆け寄ってきた彼の従者らしき男に、ハッとしたオフィーリアは、彼に問いかけた。
「シュヴァリエ皇帝陛下は魔力持ちですか?」
「は、はい! その通りです!」
「やっぱり……それならこの症状は、マナカ様の魔法の影響を受けた魔力酔いに間違いないわね」
この世界では、約数百年前に魔法が使える者は居なくなった。
そのため、マナカのような魔法が使える異世界人が貴重とされる。しかしときおり、魔法は使えないが、魔力を有した者が生まれることがある。所謂魔力持ちだ。
ハイアール国には、現在魔力持ちは居ないが、隣国のリーガル帝国は過去に魔法大国だったからか、人口の一パーセント程度が魔力持ちであることを、オフィーリアは知っていた。
(魔力持ちの者は、他者に魔法をかけられると、自身の魔力が乱れて魔力酔いを起こす……異世界から転生してきた聖女しか魔法は使えないし、我が国には魔力持ちはいないから、実際の魔力酔いを見るのは初めてだわ)
呼吸困難や胸の苦しみから始まり、最終的には死に至る、それが魔力酔いだ。
勤勉なオフィーリアは魔力酔いについても詳しく、突然倒れた彼の症状と、タイミングからして、おそらくシュヴァリエは魔力酔いに間違いないのだろうと推察した。
(早急に処置しなければ、皇帝陛下のお命が危ない……!)
「おい! 皇帝陛下はどうなされたのだ! 答えんかオフィーリア! まさかお前が毒でも盛ったのか!?」
だというのに、悶え苦しむシュヴァリエを労るわけでもなく、仁王立ちのままで戯言を抜かすダッサム。
王族教育をまともに受けていれば、魔力持ちや魔力酔いのことは知っているはずなのに、この状況が理解できないダッサムに、オフィーリアは怒りを覚えた。
「……っ、今は殿下を相手にしている暇はありませんわ! この状況で皇帝陛下が魔力酔いであることも分からないようなら引っ込んでいてくださいませ! 邪魔です!」
「なっ!? 王子の私に邪魔だと!? 不敬だぞ貴様!」
不敬も何も、人の命が懸かっているときに馬鹿なことを言うダッサムが悪いのだ。
オフィーリアは内心そう開き直ってダッサムを無視すると、呻き声を上げるシュヴァリエに顔を近付けた。
「意識はありますか、皇帝陛下……!」
「うっ……あ、ぐっ……オフィー……リア、じょ、う」
碧の瞳を薄っすらと覗かせ、額にレッドブラウンの前髪を張り付かせているシュヴァリエは、普段の端正な顔立ちの中に、弱々しさとほんの少しの色気を孕んでいる。
何度かこういったパーティーで顔を合わせたことがあるオフィーリアの名前をきちんと言える程なのだ、どうやら意識はきちんとあるらしい。
オフィーリアは少しだけ安堵すると、言葉を続けた。
「陛下は今、我が国の聖女、マナカの魔法により魔力酔いを起こされております! このままではお命が危ないため、私が処置を行いますこと、お許しください……!」
「……っ、あ、あぁ……」
オフィーリアは、失礼いたしますと言ってシュヴァリエの頭を自身の膝の上に乗せて彼が呼吸しやすいよう体勢を整えると、急いで自身の従者に声を掛けた。
「今すぐ公爵家の馬車内にある薬箱を持ってきなさい! 急いで……!」
「はいっ!!」
会場がざわつき、背後からはダッサムの罵倒する声、マナカの動揺した声が聞こえる。
この会場にいる殆どの者がシュヴァリエの体に何が起こっているのか分かってはいないだろうから、それは当然だろう。
けれど、オフィーリアは違う。
常に穏やかな笑みを向けながら、必ずお助けしますからと、シュヴァリエに励ましの言葉をかけ続けていた。
「オフィーリア様! 薬箱を持って参りました!」
「ありがとう……! 助かったわ!」
そのとき、オフィーリアは従者から薬箱を受け取ると、それを開いて目的の薬を取り出す。
「シュヴァリエ皇帝陛下、今から私が開発した、魔力酔い止めの薬を飲んでいただきます」
芯の通った声で言葉を紡いだのは、オフィーリア・ダンズライト。
彼女がダッサムの婚約者に選ばれたのは、公爵家の娘で勉学に長けていたからだけではない。
「ああ、ご安心ください。国家薬師の資格を持っていますので、調合技術には長けていると自負しています。魔力酔いについての文献も読み込みましたから、効果は大丈夫かと……」
ハイアール王国では、他国の追随を許さないほどに薬学が発展している。
そんなハイアール王国で一番取るのが難しいとされている──薬の調合、処方まで自由に行うことが出来る、国家薬師。
妃教育で多忙ながら、最年少で最難関の国家薬師の資格を取得したオフィーリアは、薬師としても優秀だった。
「シュヴァリエ皇帝陛下、これを飲めば魔力酔いは治まるはずです。少し苦いですが、飲めますでしょうか……?」
「……っ」
国家薬師になったオフィーリアは、今はもう国一番の薬師と名高い。
貴族令嬢の彼女は一般的な国家薬師よりも薬を扱う時間は短いものの、立場的に他国の有力者と会うことが多いため、他国でしか採れない薬草や、薬の材料となる特殊な生き物などの情報に強く、それらを扱って次々に新たな薬を開発しているためだ。
現に、今手に持っている魔力酔い止め薬も、以前にパーティーでシュヴァリエと話した際に、新しい薬草が見つかったと教えてもらい、そして買い取り、それを使用して調合している。
まだこの国にも魔力持ちがいた頃、過去の聖女の魔法で魔力酔いが起こるという文献が残されていたため、それを参考にしてオフィーリアが作り上げたのだ。
(早く、シュヴァリエ皇帝陛下をお助けしなければ)
オフィーリアは、薬の瓶を蓋をしゅぽんっと開けると、呑口をシュヴァリエの口へと近付け、傾けていった。
「シュヴァリエ皇帝陛下。お口を開けていただいてもよろし──」
「ぐっ……がッ……」
「皇帝陛下……?」
しかし、シュヴァリエの口の中に薬が入っていくことはなかった。
症状が悪化してきたらしいシュヴァリエが、より一層悶え苦しみだし、唇を噛みしめるようにして顔を歪めているからである。
「皇帝陛下……! お辛いのは分かりますが、このお薬だけどうにか飲むことはできませんか……!」
「あ゙あ゙っ……ゔッ……!」
相当辛いのか、顔を真っ青にしているシュヴァリエの口元から顎にかけて、ツゥ……と薬が伝っていく。
(……っ、この様子では、無理かもしれないわね)
意識はあるように見えるが、あまりの苦しさにこちらの声があまり届いていないのかもしれない。
おそらくこの状態のシュヴァリエの口に薬を注いでも、吐き出してしまうのがオチだろう。
「どうしよう……どうしたら……っ、このお方を助けられる……?」
悩むオフィーリアに、手を貸す者は彼女の従者と、シュヴァリエの従者くらいだ。
彼らはオフィーリアに「何か出来ることはあるか」と尋ね、二人の傍らに寄り添っている。
反対に、ダッサムとマナカを含む他の貴族たちは皆、遠目からオフィーリアたちの様子を窺うだけだ。
ダッサムに関しては、よほど先程オフィーリアに邪魔だと言われたことを根に持っているのか、未だに奥歯をギギギと噛み締めているのだが。
「……っ、薬を飲ませなければ助けられない……。けれど、今の状態ではご皇帝陛下本人の力だけで飲むことは難しい……今、私がこのお方に出来ることは……」
協力してくれる従者たちはいれど、決定権は自分にある。
今、シュヴァリエの命を握っているのは間違いなく自身であることを自覚しているオフィーリアの額には、粒状の汗が滲んだ。
「……! そうだわ……! これなら……!」
そのとき、必死に頭を回転させたオフィーリアにはとある考えが浮かぶ。
しかし、「何か良い考えがあるのですか?」と食い入るような視線で見つめてくるシュヴァリエの従者に、オフィーリアは問いかけた。
「貴方、結婚はしているの?」
「え? はい」
その返答を聞いてからは、自身の従者を見て、「貴方も……結婚していたわね……」と呟くオフィーリア。
ぽかんとしている従者たちから、再びシュヴァリエへと視線を移す。
「……シュヴァリエ皇帝陛下には悪いけれど、奥さんを傷付けるのはいけないものね……」
「「奥さん??」」
声が被る従者たち。オフィーリアはそんな彼らに一瞥をくれてから、覚悟を決めたかのように力強い瞳でシュヴァリエを見つめる。
──そして。
「シュヴァリエ皇帝陛下……! 後で何なりと裁きは受けますから、ご容赦を……!」
やや羞恥を孕む声色でそう言ったオフィーリアは、自身が手に持っている魔力酔い止め薬を勢いよく口に含むと、そのままシュヴァリエの唇に、自身の唇を重ね合わせたのだった。
ややひんやりとした唇はシュヴァリエの状態の悪さを表しているようだ。
見た目よりも唇が柔らかい……なんて邪な感想が頭の片隅に出てきそうになるけれど、これは人命救助のためで無粋な行為ではないのだからと、オフィーリアはシュヴァリエに薬を口移しで飲ませることに意識を注いだ。
(あっ、少しずつ飲み込んでいるわね)
ごくんと小さな音を立て、喉を上下させるシュヴァリエにオフィーリアは安堵する。
周りの貴族から「破廉恥な!」やら「キャー!」やら「尻軽女でもあったのか貴様!」なんて煩い声が聞こえてくるが、今は知ったことではなかった。
おそらくダッサムが言ったのだろう、「尻軽女でも──」という台詞には若干苛立ちはしたけれど。
「……んっ、これで全部飲んだわね……」
自身の口内にあった薬は全て無くなり、シュヴァリエは嚥下を終えた様子だ。
魔力酔い止め薬は即効性があるので、直ぐに体調は良くなるはずだと、オフィーリアはシュヴァリエを注意深く見ていると。
「……っ、オフィーリア、じょう?」
薄っすらと目を開けて、先程とはまるで違う穏やかな表情を見せたシュヴァリエの声に、オフィーリアは彼にグイと顔を近づけた。
「シュヴァリエ皇帝陛下! お加減はいかがですか!? 息苦しさや胸の痛み、倦怠感などはありませんか!?」
「……っ、ああ。どこにも異常は、ない」
「それは良かったです……! 皇帝陛下を危険な目に遭わせてしまったこと、何とお詫びすれば良いか……大変申し訳こざいませんでした……! 本当に、ご無事で良かっ──って、あら? 少しお顔が赤いようですが……まさか、私が知らない薬の副反応が──んむっ」
オフィーリアの言葉は、そこでぷつりと途切れた。
シュヴァリエの大きな手によって、口元を覆われたからだった。
「……薬がどうこうではないし、本当に体調には問題ないから大丈夫だ」
「……ふぁい」
未だに口を塞がれているせいで「はい」さえまともに言えなかったけれど、とりあえず大丈夫そうなら良かった。
……そう、安堵したものの、シュヴァリエの手に口を塞がれていること自覚したオフィーリアは、自身の頬がぶわりと熱が集まるのが分かった。
(そうだ私、人命救助のためとはいえ、さっきシュヴァリエ皇帝陛下と、キッ……キスを……!!)
口移しをしているときは比較的冷静だったというのに、シュヴァリエの無事が確認できた途端、オフィーリアの内心は先程のキス(口移し)で頭が一杯になった。
そんなオフィーリアから手を離したシュヴァリエは、上半身を起こすと、駆け寄って来た従者に「心配をかけてすまなかった」と謝罪している。
周りの貴族たちもシュヴァリエの無事を確認したためか、拍手して歓喜しており、流石にこの空気には乗らなければまずいと思ったのか、ダッサムもマナカと共に手を叩いていた。
調子が良いという言葉に尽きるわけだが、今のオフィーリアにはそんなことを思う余裕もなく。
「──オフィーリア嬢」
「ひゃ、ひゃいっ!!」
突然シュヴァリエに呼ばれ、オフィーリアは大袈裟なくらいに肩を揺らす。
先に立ち上がったシュヴァリエが「ほら」と手を差し出してくれたので、その手を掴んで立ち上がったものの、羞恥から彼の顔を直視することは中々に難しかった。
(友好国の皇帝陛下と顔を合わせないだなんて失礼に値するかもしれないけれど……ううっ)
それでも、妃教育を施されてきたオフィーリアは、自身の感情よりも他者との友好関係だったり、国益を優先しなければいけないと脳裏に刷り込まれている。
だから、必死に羞恥を胸の奥に押し込んで、やや潤んだ瞳でシュヴァリエと目を合わせると、彼がゆっくりと片膝を床に突いた。
そして、シュヴァリエはオフィーリアを真剣な瞳で見つめた。
「オフィーリア嬢」
「は、はい……」
(あ、あら? そういえば皇帝陛下は、全く動揺していないわね……)
シュヴァリエが遊び人だという噂は耳にしたことがない。むしろ、二十五歳にしてまだ妻を娶らず、仕事が恋人との噂があるほどだ。
もしその噂が嘘で、彼が本当は遊び人だったとしても、こんなに大勢の前でキス(口移し)をしたとなれば、少しくらいは動揺が表情や声に現れるのではないか。
(あっ、分かったわ! もしかしたら、口移しで薬を飲ませたときだけ意識が朦朧としていて、キスをしたことに気付いていないのかもしれない……!)
そうだとしたら、シュヴァリエの態度にも説明がつく。
オフィーリアはそう考えた結果、心に落ち着きを取り戻した、というのに。
「倒れてからずっと貴方が励ましてくれていたことも、素早く薬を手配してくれたことも、それを……口移しで飲ませてくれたことも、全て覚えている」
「えっ……」
そう言って、シュヴァリエはオフィーリアの手の甲に、そっと口付けてから、再び口を開いた。
「俺は貴方のお陰で死なずに済んだ。ありがとう、貴女は俺の女神だ」
「〜〜っ」
ほんのりと頬を赤く染めて、穏やかな笑みを浮かべて見上げてくるシュヴァリエに、オフィーリアは咄嗟に声を出すことはできなかった。
女神だと言われたことの恥ずかしさや、手の甲へのキスに先程の口移しをまた思い出したから、そして──。
「シュヴァリエ皇帝陛下は、魔力酔いの最中のこと、全てを覚えていらっしゃるのですか……っ!?」
「……ああ、はっきりと。貴女がご容赦をと言いながら、口移しで薬を飲ませてくれたときの唇の温度まで、正確に覚えている」
「〜〜っ!?」
「そこでだ。命を助けてもらったばかりで、こんなことを言うのは何なんだが──」
そこでだ、ではない。キスの話を繰り広げたいわけではないけれど、そんなにさらっと終われる話でもないはずだ。
(いや待って! 私はどうしたいの……!? もう訳が分からない……! とりあえず逃げ出したい……っ!)
オフィーリアは言うことを聞いてくれない自身の感情に戸惑いながらも、シュヴァリエに対して反射的に「何でしょう!?」と答える。
すると、シュヴァリエの喉仏は一瞬大きく縦に揺れ、直後、彼は穏やかさの中に真剣さを孕んだ瞳で、オフィーリアを見つめた。
「オフィーリア・ダンズライト公爵令嬢。これまでの次期王太子妃としての振る舞いや手腕、聡明さはもちろんのこと、私が倒れたときの声がけの優しさや、薬師としての能力の高さ、口移しをしてでも私を助けようとする勇敢さや、貴女には非がないのに、直ぐ様国の代表として謝罪をする責任感の強さに、俺は心惹かれた」
「えっ……あの……」
「先程貴女はそこにいるダッサム・ハイアール殿下と婚約を解消すると話していたな。……その婚約解消の手続きが済み次第……貴女さえ良ければ、私の妻になってくれないだろうか」
「……つ、ま……? ……妻!?」
一生分に感じるほど褒められるだけに飽き足らず、まさか隣の大帝国──シュヴァリエ・リーガルから求婚されるだなんて。
「ふっ……オフィーリア嬢、大丈夫か? 突然のことで驚くのは分かるが、少し落ち着くと良い」
シュヴァリエから求婚されて、壊れたおもちゃのように「妻」という言葉を連呼したオフィーリアだったが、彼に話しかけられたことでハッと意識が現実に戻る。
いつの間にか立ち上がり、こちらを優しげな瞳で見下ろすシュヴァリエは、オフィーリアに対してゆっくりと頭を下げた。
「本当に済まないな、突然。しかも、こんなに人前で……婚約解消の話をしていた矢先に、求婚だなんて」
「あの、その……失礼ですが、冗談、などでは……」
「悪いが一切冗談ではないよ。私は本気でオフィーリア嬢──貴女を妻にしたいと思っている」
「……っ、ほんき……で……妻に……」
シュヴァリエは再びオフィーリアの手を取ると、その手の甲に優しく口付けを落とす。
そして上目遣いをして、聞き心地の良い低い声で囁いた。
「……そう。私は本気だ。どうか、私の求婚を受け入れてくれないだろうか」
「で、ですが、私は……ダッサム殿下から婚約破棄されたばかりの身で……」
シュヴァリエの求婚には驚いたものの、決して嫌ではなかった。
むしろ、ダッサムとは違って、常に皇帝としての佇まいを崩すことなく、国や民のために身を粉にして働いているシュヴァリエのことは以前から尊敬していたので、求婚されたことは嬉しかった。
能力を認めてくれたり、褒めてくれたことも嬉しかったし、ダッサムと婚約を解消してもいずれ誰かの元に嫁ぐのならば、こんな素敵な人なら良いのにと感じたほどだ。
(けれど……いくら婚約解消の書類をこちらが準備したって、こんなに大勢の前で婚約破棄と言われてしまった私は、社交界で傷物扱いされてしまうわ。きっとシュヴァリエ皇帝陛下の汚点になってしまう。……それは、いけないわ)
だから、オフィーリアは本心を隠して、シュヴァリエからの求婚を断ろうと思ったのだけれど。
その瞬間、シュヴァリエはオフィーリアの耳元に顔を寄せて、囁いた。
「どうか断らないでくれ。貴女を妻にしたいのには、もう一つ大きな理由──事情があってな」
「事情……?」
「ああ。実は我がリーガル帝国には、皇帝の地位を継いだ者が妻を娶る際、ある決まりがあるんだ」
そのとある決まりとやらがあるから、もしかしたらシュヴァリエは今まで結婚をしていなかったのではないだろうか。
聡いオフィーリアはそこまで察して、そして続く彼の言葉に耳を傾けた。
「実は、皇帝は即位してから初めて口付けを交わした者を妻にしなければならない決まりがある。その相手に断られた場合は、一生配偶者を持てない」
「……!? それって、つまり──」
「オフィーリア嬢が私の妻になってくれないと、私は一生独身だということだ。……皇帝という立場である以上、死ぬまで独身というのは流石にな……ということで、オフィーリア嬢」
(ああ、なるほど。そういうことだったのね)
オフィーリアは、この段階で全てを理解した。
おそらく自身はシュヴァリエに嫌われてはいないだろう。それに、彼の褒め言葉や求婚の言葉は完全な嘘には聞こえなかった、けれど。
シュヴァリエが求婚してきたのは、皇帝の配偶者選びの決まりがあるからなのだと。
このことを耳打ちで打ち明けて、皆の前では正式に求婚してくれたのは、オフィーリアの立場やプライドを、守るためなのだろうと。
だから、オフィーリアは──。
「──改めて、私の妻になってくれないだろうか」
「……はい、もちろんでございます。よろしくお願いいたします、シュヴァリエ皇帝陛下」
シュヴァリエに惹かれている気持ちは胸の奥にしまい込み、そして求婚を受け入れた。
寂しさや切なさも覚えたけれど、これで自身が傷物扱いされることを危惧して断る必要はないのだという安堵もあり、体現しがたいほどに複雑な感情がオフィーリアの心を覆う。
「ありがとう! オフィーリア嬢! 絶対に幸せにするから」
けれど、満面に笑みを浮かべるシュヴァリエに、複雑な感情はパンっと弾けて、心に花が咲いたような嬉しさに包まれるのだから、オフィーリアの乙女心も単純と言えば単純なのかもしれない。
(うん。こんなに喜んでくださっているんだもの。このお方の妻として、頑張りたい)
オフィーリアは、そう強く決意した。
──その後のこと。
シュヴァリエに「貴殿と、新たな婚約者のマナカ殿には酷く怒りを感じている。後で貴殿たちのことは正式に抗議させてもらうから、そのつもりでいろ」と言われたダッサムは、両親に怒られることを想像して顔面蒼白になり、その場に崩れ落ちたのだとか。
直後、威嚇する子猫のようにオフィーリアを睨みつけてきたダッサムを見て、周りの数人の貴族はこう言っていたという。
「ダッサ……」と。
◇◇◇
舞踏会が終わってから、しばらくして。
三日後にオフィーリアの実家に行くと約束を取りつけてから彼女と別れたシュヴァリエは、ソファでホッと息をつく。
気を抜けばついつい緩んでしまいそうになる表情を必死に引き締めれば、従者に話しかけられた。
「シュヴァリエ様、まだ頬が緩んでおりますよ」
「……仕方がないだろう。ずっと好きだったオフィーリア嬢が求婚を受け入れてくれたんだ。婚約破棄されて傷ついた彼女には悪いが……これを喜ばずにいられるか」
シュヴァリエは破顔した表情を隠すように俯く。
そんなシュヴァリエに、従者の男はフッと微笑んだ。
「まあ、そうですね。それにしても、案外すんなりと求婚を受け入れてくださって良かったですね。オフィーリア様ならば、婚約解消された私では……と断るのではないかと思いましたが」
「ああ。そう言われそうな空気を感じたから、先に手を打った」
「え? 何をしたのですか?」
目を見開いている従者に対して、シュヴァリエはしれっと言い放った。
「皇帝に即位した者は、初めて口付けを交わした者しか妻に出来ないと。断られたら私は一生独身だと言った」
「は!? その決まりって確か、大昔に無くなりましたよね!? シュヴァリエ様知ってますよね!? 何でそんなことをわざわざ言うんですか! 普通にずっと好きだったから貴女以外じゃ嫌なんだって伝えれば良いじゃないですか!」
「そう伝えようかとも思ったんだがな──」
既にダッサムの婚約者だったオフィーリアに外交で会ったのは、もうかれこれ五年前になるだろうか。
影では必死に努力し、薬師としても優秀だと言うのに偉ぶらず、次期王太子妃としての使命を必死に全うしようとするオフィーリア。シュヴァリエは直ぐに彼女から目が離せなくなった。
好きだと自覚するのには、それ程時間はかからなかったと記憶している。
「オフィーリア嬢は、何も悪くないのに婚約破棄をされて、この国の王太子妃としての未来を奪われた。今まで必死に努力し続けてきたのにだ。きっと傷付いているだろう。それに、もしかしたら、あんなクソ男にも、多少の情はあったかもしれない。それならなおさら深く傷ついていているかもしれないだろう? そんな状態の彼女に俺が愛を囁いたって、重荷になるだけだと思ったんだ」
「………………シュヴァリエ様……」
「だが、俺はやっと誰のものでも無くなったオフィーリア嬢を手放すことなんてできなかった」
他国の王太子の婚約者を好きになったって、その恋は叶うはずはない。
だから、何度も諦めようと思った。何度も、この思いは捨てようと思った。
けれど、捨てるどころか、外交の際や、パーティーなどでオフィーリアと会うたびに、好きだという気持ちは募っていった。
そんなオフィーリアがようやく、自身の妻になってくれるかもしれない機会が訪れたのだ。
シュヴァリエは、どんな手を使ってもオフィーリアを自身の妻にしたいと願った。
「だから、オフィーリアには、貴女しか妻にできないと伝えた。そうすればオフィーリアの性格からして絶対求婚を受けてくれるだろうし、この結婚は政略的なものだと思うことで、俺の愛が重荷になることはないだろう」
「それなら、今後は伝えないおつもりなのですか? シュヴァリエ様が、オフィーリア様のことを深く愛していることを」
「オフィーリアの傷が癒えたら直ぐに伝えるさ。だが、それまでは、彼女に好きになってもらうよう、できる限りのことはする」
そう言ったシュヴァリエの瞳は、オフィーリアを騙している罪悪感からか、少しだけ切なさを孕む。
けれど、その蒼い瞳の奥には切なさを簡単に凌駕するほどの熱情があり、そのことに気付いている従者は、ハァとため息を吐いて、ぽつりと呟いた。
「私としては、さっさと本当の思いを伝えたほうがオフィーリア様にとっても、シュヴァリエ様にとっても良いと思いますがね」
「ん? 何か言ったか?」
「いえいえ、何でもございませんよ」
「……? そうか」
従者の言葉に納得したシュヴァリエは直後、自身の唇に指を這わせた。
「オフィーリア嬢……俺は早く、貴女に愛していると伝えたい」
医療行為の一貫だとしても、しっかり触れたオフィーリアの唇の温度や柔らかさを思い出し、シュヴァリエは愛おしそうにそう呟く。
──オフィーリアとシュヴァリエが本当の夫婦になるのは、もう少し先のことになりそうだ。
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