プロローグ
「本当に行くのかい?」
「うん。まだ見ぬ料理が私を待ってるから!」
そう言ってエリスは村の入り口から一歩外へと飛び出した。この日のために短く切った銀髪が風に靡く。食材集めのために何度も通った道でも、今日は特別である。なんといっても、今日はエリスの十五歳の誕生日。待ちに待った、旅立ちの日だった。
「いってきます!」
戻ってくるのは何年後になるかもわからない。それでもエリスは期待に胸を膨らませていた。これは、あるド田舎生まれの少女が、世界中の料理を食べ尽くして、一人前の料理人を目指す物語である。
エリスにとって、村は世界のすべてだった。それが変わったのは、忘れもしない。十歳の頃のこと。
「この村で一番おいしい料理を食べさせてくれないか?」
山の奥の小さな村に珍しく訪れた旅人が、そんなことを言いながら、村唯一の食堂であるエリスの家に転がり込んできたのだ。その時はちょうどお祭りの時期で、村の男たちが狩ってきた大きな猪に穀物やハーブを詰め込んで丸焼きにした、年に一度のごちそうがもうすぐ出ることになっていた。村の人々は旅人を手厚く出迎えて、そのごちそうも目一杯旅人にふるまった。そのときの旅人の話が、今のエリスを突き動かしている。
「エリス、世界にはもっといろんな料理があるんだ。この村の食べ物はおいしい。食材が新鮮だからね。でも調理方法が少ないんだよ」
「そうなの? 私、お祭りのお肉よりおいしいものなんて、食べたことがないわ!」
長い銀髪をさらりと傾けて、エリスは緑色の目をきらきらさせて旅人の話に聞き入った。この村にはない大きな水たまりの海と、そこから取れる新鮮な魚。この地域では取れない、変わった形の野菜たち。暑い地域で振舞われる、特別辛いけれどいい香りのするスパイスという、ハーブに似た調味料。どの食べ物の話もエリスには面白くて仕方なかった。
「私、大きくなったら旅に出るわ! そしたら、世界中のおいしいものが食べられるでしょう?」
「いいね! じゃあ、エリスにはこれをあげよう」
旅人は大きな鞄をごそごそと探って、一冊の手帳を取り出した。
「これは僕の日記。今まで行った町と、そこで食べたものについて書いてある。エリスの旅の道しるべになるだろう」
「もらっちゃっていいの?」
「ああ。僕はこれがなくても、ここが覚えているからね」
旅人は自分の舌を指さして笑っていた。
そうやって手渡された旅の日記は、今エリスの手の中にある。五年間何度も何度も読んだせいでページの端っこの方がぼろぼろになった手帳を抱きしめて、エリスは意気揚々と歩きだした。
「まずはこの山の麓の町に行かないとね!」
鞄と胸を期待に膨らませて、エリスは初めて山を下りる。その背中を、優しく春風が押していた。