ある冬に記す習作
どのくらいの間眠っていたのだろう。虚窓より見える光はかすかなもので、すでに眠ってしまった街に灯る電灯と行き交う船舶の灯りだけが波のように現れては消えていく。ぼうっとしていた意識が引き戻されてしばらくすると、車内放送のアナウンスが流れる。
「——次は、西明石、西明石、終点です。どなた様もお忘れ物がございませんようお気をつけください。本日はJR西日本をご利用いただきありがとうございました。」
社会人一年目の慣れぬ残業で疲れていたとはいえど、まったくひどいものだ。ため息をつきながら緩慢な動作で立ち上がると、電車は減速してプラットホームへと吸い込まれるように滑り込む。徐にドアが開いてそこから駅に降り立つと、ぬらりとしたヒルにも似た南風が潮の香りとともに鼻腔に入り込んでくる。電光掲示板には本日の運行は終了いたしましたと表示されているだけである。今夜はもう帰れそうにない。
自宅で寝ることはもうすっかり諦めてしまった後、人気のない改札を出て手元にあったスマートフォンでホテルを探す。八月の頭、熱帯夜で肌にはすでに汗がにじみ不快だというのに、心は乾ききった荒野のように空虚であった。
龍神の雨乞いか、はたまた聖書にある黙示録の大雨のようなこんこんと絶えることのない水の流れによらずしてこの心を満たすには一体どれだけの手段があるだろうか。そういささか無益なことを考えながらも、どうにかして身体を休められそうな宿を見つけて、あてがわれた部屋に入る。もうこの心には数十年雨など降っていないように思えるが、実際には私はまだ弱冠にも満たない小童なのだ。何がこう私の心を荒野へと変えてしまったのだろうか、噴水や灌漑ごときの人智では満たせぬその荒野、水もないというのに一頭のシロクマが——ええいまただ。忌々しい。考えるのを拒むほど彼は迫ってくる。こうなってはもう寝るよりほかに仕方あるまい。そう思って私はホテルの粗末な寝台で目を閉じた。
目を閉じてすぐに意識が深いところに落ちていく。北海の冷たい海水に身体が投げ出されて冷たい海水が静かに肺胞を満たしていく。苦しくはないが荒野とはまた違った寂しさというのがひしと感じられる。だんだんと光も届かなくなっていき、ついに安息が得られるかと思ったが、海底に身体が接すると、矢庭にシロクマの彼が何もない暗闇から現れて私を丸呑みにする。次の瞬間もう私の意識は陸に戻されていた。
時計の針はあれから半刻ほど進んでいた。掌にじんわりとかいた汗があの夢のシロクマを物語っているかのようであった。シロクマの夢を見てしまうともうその夜は眠れない。かのシロクマは安息の闇も私の睡眠も等しく奪い去ってしまうのだ。私は観念して今宵の宿の部屋を後にする。身一つでさまよう深夜の寝静まった街は暗闇の中、裸足で薊を踏みつけるような痛快さであふれている。海が近いので浜辺に出てきた私はちょこんとただ月だけで照らされた白砂の上に座る。スーツに身を包んだ裸足の会社員が浜辺でただ佇んでいるというのは場にそぐわない、静寂をその一声で破ってしまうかのような珍妙さをはらんでいた。
しばらく座ったままで物思いにふけっていると、暗闇に目が慣れてきたのか思いもよらぬ先客がいるのを発見する。少女だ。波打ち際で何やら砂を触っているようである。ほの明るい月光に照らされた少女は、その小さな体躯からは似つかわしくない大きな真白の帽子を被り、花の刺繡が施された真白のワンピースを着て、絹の足を砂浜に直にさらし、その病的なまでに白い頬はわずかに紅潮しているかのように見えた。しかしこの暗さではいくら目が慣れようと近づかなければ紅色に染まった頬を見ることはかなわない。希わくば近づきたいという心持ではあったが、私の眼には少女がこの世のものならざるものと映ったので、遠くから眺めておくにとどめておいた。
潮風にさらされてすっかり落ち着いた心は、ほんの一瞬であれど東に行く代わりに西に連れ去られてしまった私の身の上と、忌々しきシロクマの彼の存在を忘れさせてくれた。
思えばこの一年間は苦難の連続であった。ひたすら東を目指して仕事を求めてきたが、高卒の身の上、しかも木曽の山中くんだり出身の田舎者では、肉体労働以上の待遇を求めることは明らかに自身の力不足であった。しかし、そのように認識できない私は半ば無謀ともいえる就職活動をしてしまった。私は昔から身体も弱かったので当然肉体労働で暮らしていくにはすぐに限界が来る。そう思って冬の間暮らしただけの華やかで残酷な東京の街を後にして、地元へと帰って親を頼り、縁故採用で今の職場で働くようになったのであった。
今日も長い残業の帰り、西明石行きの列車は最終列車だったらしい、あろうことかそんな列車で終着駅まで乗り過ごしてしまった。そんな精神だけがただ広い虚空に飲まれるのにも似た、垂直に掘られた大鑽井から水の代わりにどす黒い感情が噴出するのにも似た生活を送るようになってまもなく、あの忌々しきシロクマの彼が現れるようになったのだ。
最初のうちはシロクマの彼はうすぼんやりとしてごく薄い絹布越しに見るような危うさ、そして味気無さがあった。しかし、ただ他人の面目のためだけに働き続けるうちに彼はどんどんと彩度を増して、活力を増して、そしてついに布越しに見ていたと思い込んでいた私を喰らってしまったのだ。私の夢そのものさえも喰らいつくして。
それは六月の頭、仕事の帰りにちょうど宇治の宇治橋のあたり、光さえも跳ね返す黒の奔流が私を呼んでいるかのように思えた残業終わりのあの時、その水面を大いなる意志に操られたようにずっと見入っていたあの日だったか。新人には分不相応な大役を任されたにもかかわらず、一切周囲からの支援もなく、その大役を一人で背負い込むことを余儀なくされたあの忌まわしい日。
その日を境に世界は何もかもが変わってしまった。夜になり床に入ると寝られはするが、朝が来るまでに夢にシロクマが出てきて、毎日私を喰らってしまう。そうするともうその日は眠気をすっかり無くしてしまって寝ることはかなわない。バクが夢を食べるとはよく言うものだが、シロクマが夢を食べてしまうというのは頓と見当がつかない。しかし、こうやって実際に私の夢は毎日食べられているのだから、シロクマが夢を食べるのだということは認めざるを得ないだろう。
夏が本格的にやってきて、世界がだんだんと青く染まっていくというのに、私の心はどんどんと白く染まっていた。その心のうちに荒涼と横たわる白さはまるで元から私であったかのように振る舞い、かつて私であったものを色褪せさせ、天地で声を上げてたけり立つ洪水によってではなく、粒のそろった白砂によってかつて私であったものをすっかり洗い流してしまった。
奇しくもいま私はその白砂のように不気味なほど美しい砂浜の上に座っているのだ。それに純白をまとった少女もいる。シロクマのことを忘れようとするほど、かえってシロクマの存在を強く認識させられる。砂浜に座っている間ずっと、シロクマの彼が海からやってきて私を食ってしまわないかなどというおおよそ考えなくてよいことを考えたりもした。すると、夏の盛りで暑いはずの浜辺の空間が熱で溶かされた鉄骨のごとく歪んで見えてきて妙な寒気を覚えたので、少女には声もかけずに浜辺を後にしたのだった。
十月の時分になって、高校時代の友人二人に大津に行かないかと誘われたので、何があるのかもわからないが一応ついていくことにした。就職以来一切取っていなかった有給休暇を使い、友人と待ち合わせをした市営地下鉄の烏丸御池駅の改札で待っていると、シロクマの写った水族館の広告が目に飛び込んでくる。私が毎日のように夢ごと食べられるシロクマの彼というのは果たして水族館にいるような愛らしいシロクマと同じものであるだろうか、それともドストエフスキーが述べた忌々しき白い悪魔的なシロクマなのだろうか。思索をいろいろと巡らせてみたが、ただあの気味の悪い真白が思い浮かんでくるだけで彼の正体を突き止めるには至らなかった。
待ち合わせの時間を過ぎてから十分ほど待つと、友人は二人そろってやってきた。二人とも専門学校と四年制大学という違いはあれども学生で、同じ高校で就職したのは私一人だけだという。地下鉄と連絡の私鉄線に乗って四宮の駅まで行き、そこからタクシーを使って大津市内に入る。あの学生の身なりのどこにそんな潤沢な資金があるのかと感心しながらタクシーを降りると、ハトのマークの商業施設が目についた。
そこで飲み物を人数分買って友人に案内されるまま歩いていくと、夏の祇園祭で見たような立派な曳山が街を練り歩きながら何やら撒いているのが見えた。人が多く秋であるというのに祇園祭の宵山に似た熱気が感じられる。その熱気のうねりはみずちの毒気にも似た醜悪さ、多くの人間は平生に神など顧みないのであるのに、有事の際となればこぞってわが身の救済を願う薄汚さが確かに存在しているように思われた。そんな人の波に臆せず進んでいく友人を見て、私とは脳のつくりの何もかもが違うのだと認識する。仕方なく友人の後についていくと、撒かれていたものが厄除けを祈念する粽と、手拭いであったことがわかる。
昔は祇園祭でもこうして粽を撒いていたというが、少なくとも現在、学生生活を謳歌している若年層の人間は粽を曳山から撒くことを祇園祭では見たことがないだろうし、知りもしないだろう。そして友人も大津祭以外で粽を曳山や山車から撒く祭りは見たことがないという。
人ごみの中で気分が悪くなりながらも友人たちに付き従っていくと、突如として柔らかいものが頭に当たるのを感じた。手拭いだ。そう知覚するや否や群衆が私には目もくれずに手拭いのほうに我先にと群がっていく。その光景を目の当たりにした自分はもう祭りなんて楽しむことができなくなってしまって、友人たちに気分が悪いからと一言告げてその場から立ち去った。
友人たちからはからくり人形を見ていかないともったいないと引き留められたけども、やはりその言葉も私を引きとどめる一助とはならなかった。
引き寄せられるように頭の中を空にして歩いていくと、いつの間にか琵琶湖畔に出ていた。適当なベンチを見繕って腰かける。ぼうっと水面を滑っていくクルーズ船を見つめていると、急になにかに見つめられたような気がしてあたりを見渡す。薄曇りの秋空に飛行機が飛んでいる。他には何もない。ただ広いだけの空と静かな水面が広がっているだけだ。
果たして本当にそれだけなのか、ぬぐい切れぬ不安に身を任せていると、またあの忌々しいシロクマが、私の夢をとって食べてしまう冒涜的な白が眼前に迫ったかのように思われた。遠くの水面がざわざわと揺れる。私は考えるよりも数瞬早く、本能的にその場から立ち去っていた。
あの心持は何だったのだろうかと思案していると友人から連絡が来ていることに気づく。文面を見ると、幸運なことに粽をお前の分まで確保できたからこっちへ戻ってこないかという趣旨の文章であった。友人と会うことが就職した今となっては貴重であるのは理解していたが、身体がそれを許さなかった。先ほどの忌むべき彼が脳裏に焼き付いて離れないのだ。息が上がり、動悸もする。ふらふらとその場に倒れこみそうになる感覚が絶えず身体を襲っていたが、こんなことに屈するものかと歯を食いしばって何とか駅まで歩く。そして電車に乗ってから友人に、また奴が出たからそちらには戻れそうにないと返事をする。
実のところ、これまでに友人たちにシロクマのことを話したことはなかった。したがって奴の正体が何なのか友人たちは知るすべを持たないということになる。少々薄情ではあるが真白の忌々しき恐怖と比べたら知己への無礼というのは些末なものだ。少なくともそう自分の中では思っていた。誰にも相談できず深淵の奥へと落ちていく。もうそれでいいのだとさえ思った。この日もやはりシロクマに食べられる夢を見て飛び起きてからは全く眠れなかった。
それからまた季節は進み、年が明けて二月になった頃、東大寺の修二会、地元ではお水取りと呼ばれている行事が行われるというので物見遊山のために奈良にやってきた。奈良は木曽と違って、めったに雪に覆われないから好い。あの忌々しいシロクマの彼のことも少しは考えなくて済みそうだからだ。
近鉄ではなくJRを使い奈良まで出てきてしまったために少し中心街からは遠い。じわりとした盆地特有の底冷えが身体をゆっくりと舐るように体温を奪う。寒さには強いようだと思い込んでいた私であったが、どうも奈良の底冷えというのは木曽の寒さの質とはまた違っているように感じられた。
十五分ほど歩いて東向の商店街まで来ると、アーケードの中にはやはり慣れない人ごみと華々しい電飾や商品がいっぱいであった。人同士の間が狭いのと屋根があるので外ほどの寒気はなかった。人の波をかき分けつつ奥へ奥へと進んでいくと、人の波はどんどんとのけ難いものになっていった。一息つこうと適当に近くの人のいないところにあった自販機で温かい緑茶のペットボトルを開け、熱いのにもかかわらずぐいっと一気に飲み干す。体の芯から直に温められているかのような錯覚に陥る。また十五分ほど経ったであろうか、アーケードの端まで来てもやはりまだ人の波は途切れない。これが祭りかと十月の一件で知っていながらも、ただただ嘆息することしかできないのであった。
強引に人の波をかき分け、また前へ前へと進んでいくと、いつの間にか来るつもりのなかった猿沢池のほとりまで出てきてしまっていた。天蓋より綿あめを逆さにして落としたような大粒の雪の降るさまを見て、また底冷えで水も凍るほど冷やされた鉄の風をこの身に受けるのを感じて、先刻に温めておいたはずの心と身体はもう芯から冷え切っていた。寒さにすっかり身体を縮ませながらも何とかして歩いていくと、何やら神々しいまでに白い湯気を立てている一角が目に入る。しかも何やら食欲をそそるような匂いをたてているのである。近づいてみると牡丹鍋を売る屋台であった。
木曽の山中ならまだしも、奈良という由緒ある古都で牡丹鍋が売られているというのは驚くべきことであった。もうこの際、暖を取ることができれば何でもいいと思って決して安くない金額を思い切って払って鍋を受け取ると、ほかに人がいるのに配慮も何も忘れて食べる。先刻の自販機で購入した温かい緑茶とは比べ物にならないほどの暖かさが身体へと流れ込んでくる。
その暖かさにすっかり満足した私は本来の物見遊山するという目的をすっかり忘れてしまって、自宅への帰路を急ごうとしていた。そんな中、あの夏の日に見かけた少女が雑踏の中に夏の姿そのままで静かに立っていた。今度こそと声をかけようと近づいて行った私は、急速に脳の中へと流れ込んでくる忌まわしいシロクマの姿に一瞬たじろいだ。そうであってもやはり、あの夏の日のひと時の記憶は忘れがたいものがあったので必死に忌まわしき彼に頑強に抵抗しようと試みる。平衡感覚がだんだんと狂い、意識は靄がかかったようにうすぼんやりとしていき、身体からおもむろに力が抜けていく。このままでは何も変わらないと自分を奮い立たせて彼女のもとに一歩ずつ歩を進める。私自身を突き動かすのは恋心でも邪などす黒い感情でもなかった。ただ彼女が、彼女だけがシロクマの彼をこの世界から放逐できるという根拠のない自信であった。やがて彼女の真ん前まで来て、私が声をかけようとしたところ、市井の人々が何やら騒いでいるのが聞き取れた。何かと思って重たい眼でわきを見ると、池のほうに白くて何やら大きな物体がいきり立っているのが見えた。
シロクマだ。そう瞬時に判断した私は、また本能的にその場を後にしようとしていた。しかし相手のほうが数枚上であった。私を視界に捉えるや否やこちらに向かって突進してその勢いのまま私を頭から喰らってしまったのであった。かすかに人々の騒ぎ声が聞こえてきてはいたが、すぐに私の意識は闇へ落ちた。
時間の感覚も無くなって久しいころ、目を覚ましたのはついに最も忌まわしい存在となり果ててしまった白だけの空間であった。てっきり次に目を覚ました時には地獄にでもいるものかと思い込んでいたが、どうやら私は地獄に落とされたわけではないらしかった。奇妙なことに身に着けていた腕時計はどこも傷ついた様子はないのに、時針が抜き取られていた。自分の意識は確かにあるというのに、この場所が何なのかそれすらもわからない。これではあんまりじゃないかと半ばべそをかきながらただあてもなくまっすぐに歩いていく。
時間の感覚も疲労も全くもって感じられず、焦燥感だけがどんどん募っていった。退屈は健康を害する最大の敵だ。かつて先人たちが絵を描き、また万物を創造してきたその営みの数割かは退屈という病魔の特効薬として生み出されてきたものではなかったか。先人たちがそうであったように、私もまた特効薬を自ら生み出さないと人間性を失ってしまうという焦燥感が確かにあった。さて、そうはいったものの、この身一つで何もない空間に放り出されたとあっては道具を使っては退屈に対抗することはついぞ叶わないだろう。そう思ってしまって私は深い思索の海へと沈んでいった。
そこは自分以外の何者も立ち入ることを許されない聖域、いわば母なる無意識の濫觴であった。そうであったはずだったのだけれども、なぜかあの忌まわしきシロクマというのははるか遠く私の無意識の根元まで舐りつくしてしまっていた。もう万策尽きたという絶望の表情を顔に貼り付けながらシロクマを見ていると、急速に自分のいた空間というのが不安定になっていって、ついに自我という個体を形成する細胞の一片まで散り散りになってしまうかのように思われた。やはりその感覚というのに狂いはなかったようで、目に入るものすべて——自らの存在さえも、忌まわしきシロクマさえもみな等しく瓦解していった。そこで私としての記憶は完全に途切れた。
一体全体、誰の記憶を見せられているのか。気分の悪いものであるので心底うんざりしてしまう。少女はまたため息をついた。これでもう何回目だろうか。その記憶というのは総じて楽しいものではない。少女にはまだ理解の出来ぬ営みの中で繰り広げられる理不尽。形容しがたい絶望と焦燥感。そして避けられ得ぬ消失。名も知らない、名も存在してはいけない、すでに現実世界から跡形なく抹消されてしまったニンゲンだったモノにまた触れてしまったのだ。だがこれは少女の生業、人間としての何かを失って抹消されてしまったニンゲンを既存の宗教や信仰に依らず排除するためである。こうすることでこの世界の安寧を守る一助となっているのだ。かのシロクマは名もなき彼の前では語るべくもあるまい。それと同じように彼女の名前もまた語るものでもあるまい。純白をまとった彼女もまたそこに在るだけの存在であるのだから。