魔王の生んだ災厄は今日も高らかに笑う
「アズリア!お前との婚約は破棄する」
少年が声高々にそう告げると、少女はまるで天使のように微笑んだ。
そして周囲は恐れおののいた。
***
世界でも一二を争う強大な軍事力と、大きな領土を持つ大国ガーラント。
その王都にはよりよい人材を育成するために作られた魔法学校、ラストール魔法学園がある。
国内から集まったエリートが揃うその学園は現在一人の少女に牛耳られていた。
その少女の名はアズリア・カーティス。
虫も殺せなさそうな儚げな印象を受ける美しい彼女は、伯爵家の令嬢ながらも王家の血も引く高貴な血筋を持つ。
そして父親は国の宰相を務めている。
父親は国内外から魔王と恐れられており、噂では国王ですら逆らえないとか。
そんな血筋も家柄も持ち得た彼女を人々は、天使の皮を被った悪魔。もしくは魔王の生んだ災厄などと言って恐れていた。
学園に彼女の行く手を遮ろうとする者はいない。
誰もが目線を合わせたらやられるとばかりに視線を外し彼女に道を譲っていく。
教師達ですらアズリアに何か弱みを握られているらしく彼女に反抗する者はいなかった。
しかし、そんな彼女の前に立ち塞がる無謀な挑戦者が現れた。
「アズリア!」
足を止めるアズリアの前に立ち塞がったのは男女の二人組。
男の方はアズリアのよく知る人物であった。
「アズリア!
今日こそはっきりと言わせてもらう。俺はこのプリシアと一緒になる。お前とは婚約破棄だ!」
そう言って隣で寄り添うプリシアという少女の方を引き寄せる男はルノー・メルフェスという、爵位はないものの貴族に負けぬ発言力を持った実業家の家の跡取り息子で、まあ簡単に言えば親同士が決めたアズリアの婚約者だ。
お昼休みで人通りの多い中、人目もはばからず大声を上げるルノーに、周囲の生徒は一瞬時を止めたが、すぐにそれぞれの顔には呆れや哀れみが浮かぶ。
婚約破棄を宣言されたアズリアは驚いた様子もなく、悲しむでもなく、むしろその顔に微笑みを浮かべる。
それは周りから天使のような悪魔の微笑みと恐れられている極悪なもので、野次馬は流れ矢に当たるまいと瞬時にアズリアから距離を取った。
「まあ、婚約破棄?」
一見すると天使にしか見えない笑みを浮かべたままで、アズリアは寄り添うルノー達二人の目の前に立つ。
「私との婚約を破棄すると、ルノー、あなた今そう言ったのかしら?」
こてんと小首をかしげるアズリアの姿は愛らしいが、何故かルノーは顔を強ばらせる。
「そ、そうだ!お前なんかよりこのプリシアの方がずっと可愛らしく俺に相応しいからな」
すると、アズリアはクスクスと声を上げて笑った。
愛らしく笑うアズリアだが、ルノー、そして周囲の者達の顔色は悪くなっていく。
そんな中で空気が読めないのかルノーに寄り添うプリシアは、アズリアが笑ったことを馬鹿にされたと感じたのか眉間にしわを寄せる。
「なあに、婚約者を取られておかしくなっちゃったのかしら?」
空気の読めないプリシアのその言葉に、アズリアは声を上げて笑うことを止め、プリシアの顔をじっと見る。
「あなたプリシアさんと言ったわね?確かアーバン子爵の出だったかしら?」
「そうよ、今時親が決めた婚約なんて古いわ。やっぱり愛がなくちゃ。だから身を引いてちょうだいね」
「あら、あなた方には愛があると?」
「そうよ。私達愛し合っているの」
ふふんとドヤ顔をするプリシアに、アズリアは笑みを深くしたかと思うと、プリシアに近付きそっと声をひそませた。
「それはそうと、ねえ、あなたあれはほんとなの?
あの×××(ピー)ってこと」
声をひそませていたので周囲にアズリアの声は聞こえなかった。だが只一人聞こえていたプリシアは血の気が引くように顔色が変わっていく。
「あ、あなたそれをどこで……」
「あらそんなこと関係ないでしょう?あなたがまさか……ねえ?」
「止めて!」
アズリアが意味深な流し目をすると、プリシアは声を荒げる。
様子のおかしくなったプリシアに、ルノーが慌てる。
「どうしたんだ、プリシア。
アズリア、いったい何を言ったんだ!?」
「あら、私は真実をお聞きしただけよ。プリシアさんがまさか……」
「きゃー、いや、止めて!!」
大勢の人の前で話そうとしたアズリアをプリシアが声を被せて止める。
アズリアの声が周囲にも聞こえるような若干大きいものだったのは言わずもがな、わざとだ。
「お願いします、言わないで。それだけはお願い!何でもしますからっ」
プリシアはアズリアに縋り付いて懇願する。その顔は必死さが滲み出ていた。
いったいどんなまずいことをあの悪魔に握られたのかと、周囲の者達は同情半分、興味半分で野次馬していた。
「そうねぇ、そうしてあげたいけど、でもどうしましょう。あなたは私から婚約者を取ろうとする恋敵ですもの。敵を排除するためなら致し方ないと思わない?」
「あ……いや、その、私はルノーとはなんの関係もないわ!!」
ここに来てあっさりと言葉を覆したプリシアに動揺したのはルノーの方だ。
「プリシア何をっ」
「あら、でも愛し合っているのでしょう?そう言っていたじゃない。親の決めた結婚なんて古いって」
「全然そんなことはないわ!
それなりの家に生まれた者として親の言うことを聞くのは当然だわ、ええそうよ!」
「じゃあ、ルノーのことは愛してないと?」
「全然全くこれっぽっちも愛してないわ、他人よ他人。友達ですらないわ!」
「あらそう、それなら私があなたに何かする理由もないわね」
「内緒にしていただけますか!?」
「あなたが私の敵じゃないなら」
「なりません!今後一切逆らおうなんて思いもしません、誓います!」
「それならかまわないわ、行ってよし」
「ありがとうございますっ!」
失礼します!っとアズリアに90度のお辞儀をして去って行ったプリシア。
「プ、プリシア……」
ルノーの手が虚しく宙で止まる。
そしてがっくりと床に膝を付いた。
ああ、やっぱりな。それが野次馬達の心の声だった。
なにせこのルノーがアズリアに婚約破棄を宣言するのはかれこれ37回目だったからだ。
36回過去に婚約破棄を失敗しているというのにまだ諦めていなかった根性がすごい。
しかしたった今、37回目の婚約破棄が失敗に終わった。
ルノーは今にもこぼれ落ちそうなほど目を潤ませると、廊下のど真ん中でアズリアに勢いよく土下座する。
「お願いします、俺と婚約破棄して下さいぃぃぃ!」
先ほどまでの威勢の良さはどこへやら、衆人環視の中で晒す情けない姿。
だがその姿を笑う野次馬は誰一人いなかった。
何故なら自分がもしあの悪魔……いや、アズリアの婚約者だったのなら、今のルノーのように人目も恥もかなぐり捨てて同じことをする自信があるからだ。
ルノーには同情と哀れみが集まっていた。
そしてにっこりと微笑むアズリアの返事は簡潔明快。
「イ・ヤ」
ルノーの顔に絶望が浮かぶ。
「何でだー!別にお前俺が好きなわけでも何でもないだろ」
「そうね、幼なじみ以上の好意はないわね」
「だったら良いだろ別に。俺はもっとお淑やかで優しい女の子が好みなんだ。まかり間違っても笑いながら人を脅すような女はごめんだ!」
「別にあなたが私を好きだろうが嫌いだろうが構わないわ。私はメルフェスの後継者の夫人の座が欲しいだけだもの」
実業家でもあるルノーの家のメルフェス家。
しかしそれは表向きの話であり、その実態は裏の世界を牛耳る裏社会のドン。
アズリアはどちらかというとそちらの方に魅力を持っているのだ。
この婚約は裏の世界を任せるにはちょっと頼りないルノーに悩んでいたルノーの父親が、幼い頃から父親譲りの極悪さが滲み出ていたアズリアに目を付けたことから始まった。
アズリアの母親は幼いうちに婚約者を決めることに乗り気ではなかったが、アズリアの方がメルフェスという家の家業に興味を持ったことで結ばれることとなった。
父親曰く頼りないルノー少年が気付いた時には、がっつり外堀を埋められた後だったのだ。
そこから始まった婚約破棄に向けた足掻きはことごとくアズリアにぶち壊されるという結果に終わっている。
しかし多くの者からはこんな悪魔に裏社会での権力を与えて良いのかと問題視されていたりする。
今のアズリアとルノーの立ち位置を見れば分かる通り、ルノーが後を継いだ時にアズリアを止められるとは思えない。
恐怖政治が始まるのではと、裏社会の者達ですら恐れおののいているとかいないとか。
「そんなにうちの家が欲しいなら父さんと養子縁組でもしてうちの子になればいいだろ。良い案だそうしろ!そしたら結婚しないで済む」
「あら駄目よ、メルフェスはその血筋によって引き継がれてきたのよ。私が裏社会の権力を手に入れるにはあなたと結婚するしかないもの」
「俺はお前と結婚なんて嫌だ!」
「恨むなら愛人がたくさんいるのに後継者となる子供をあなたしか作らなかったおじさまを恨みなさい」
「くっ、なんて俺は不幸なんだぁぁぁ!」
「まあ、可愛そうだから愛人の存在ぐらいなら許してあげても良いわよ」
「俺はお前との結婚自体が嫌だと言ってるだろうが。絶対に婚約破棄してやるからな!」
「あらそう、まあ頑張ってちょうだい。おじさまが許すとは思えないけど」
ルノーの父親に気に入られている自信があるからこその言葉だ。
おほほほほっと高笑いしてアズリアはルノーを背にして歩き出すと、波が引くように人々が道を開けていく。
今日も魔王の生んだ災厄は楽しげに学園生活を送るのだった。
ご覧いただきありがとうございます。
リーフェの祝福の主人公の妹アズリアちゃんのお話しでした。