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第8話

 

「ロドルフさん、ちょっと苦しいです」


 もぞもぞと動く千鶴に一言謝罪した王は腕の力を緩めたが、体を離すことはしなかった。俯いたままの彼女の顔を暴くようなことはせず、王は静かに語りかけた。


「チヅルを、異世界の少女を『聖女』だと、勝手に祭り上げる我々を拒絶しないのか? 君にとって、不本意なことだらけだろう?」

「……なにを信じるかは、その人の自由だよ。確かに、説明されても納得できないし、受け入れるのは難しい。でもね、否定も拒絶も口にするのは簡単だけど、自分が信じていることを否定されるのは辛いことだから……だから、それはできない。わたしは、わたしを聖女だと信じられないけど、ほかの人にとっての『真実』は、否定できない」


 涙を手の甲でぬぐった千鶴は、力強い目で王を見上げる。

 ゆっくりと話す千鶴をずっと見ていた王は、その視線をしっかりと受け止めた。彼女の瞳に残る涙は、目線の強さを引き立てるスパイスのようであった。


「わたしの故郷には、『郷に入っては郷に従え』ということわざがあるの。要するに、新しい土地に来たら、そこの習慣に従うのが賢いってこと。まあ、聖女として振舞うことは難しいけれど、周りの人はそういう目でわたしを見るでしょう? だから、わたしはロドルフさんを、そうね……利用、するわ」

「……利用?」


 迷った末に選ばれた「利用」という言葉と表情はどこか挑戦的で、駆け引きを持ち出されたのだと王は予感する。しかし、先ほどまでの重たい空気はなく、どこか遊びを仕掛けられているような気分になった。


 言葉を待つ王に、千鶴は指を三本立てる。


「三つ、お願いがあるの」


 王の腕の中から抜け出した千鶴は、勢いよく立ち上がった。芝居めいた咳払いを一つすると、「さて」と言って王を見る。まるでこれから推理をする探偵のようだと声に出さずに笑った。




 千鶴が一つ二つと読み上げる内容に、王は笑みを隠さない。利用すると前置きした彼女の願いは、大変可愛らしいものだった。


「チヅル、わたしを利用するのではなかったのかな?」

「うん。だから、利用するわ。国一番の家庭教師を呼び寄せるなんて、そうそうできることじゃないでしょ? あと、法に触れないことであれば行動を制限しないでほしいっていうのは、わたしがその辺を歩き回るってことよ? 周りにいる人が聖女に気づいても、むやみに声をかけたらいけないの。王様が『命令だ!』って言えば、なんとかなるんじゃないかな?」


 指を一つ二つと折り、願いの詳細を口にする。


 聖女らしい振る舞いは千鶴には分からなかったが、王よりも偉い聖女の立場を使って、利用という名のお願いをすることにした。

 どんな願いであったとしても、王は叶える努力をするだろう。


 国にとって、千鶴が聖女であることは真実だが、千鶴にとってはそうではない。王は自国の事情を千鶴に押し付けていると思っていたし、事実そうでもあった。しかし、ここで暮らしていく以上は千鶴も受け入れていく必要がある。それでも彼女なりの平穏な暮らしを得るためには、王の力が必要だった。


「さっきも言ったように、わたしは他人の真実を否定しない。だから、ロドルフさんもわたしの真実を否定しないで。だから、あなたの立場を惜しげもなく利用して、わたしが聖女としてではなく、一人の人間として生きていけるように自由をください」

「……約束しよう。チヅルがこの国の正しい一般常識を学ぶことができるよう、わたしが信用する国一番の家庭教師を手配する。生活の拠点はこれから相談させてほしいが……市井に出るのは、しばらく先だ。それでいいだろうか?」


 王のまっすぐな視線に、千鶴は満足したように頷く。


「ありがとう。ロドルフさん」

「いや……礼を言わねばならぬのは、わたしの方だ」


 千鶴は王の謝罪を受け入れることはしなかった。それに気づいているだろう王も、再び謝罪の言葉を口にすることはない。


 許すと言うだけなら簡単だ。しかし、それでは心が晴れることはない。誰のせいでもないと思いながらも、謝罪の言葉を簡単に受け入れられるほどの心持ちはなかった。すべてを許せるほど千鶴は寛大ではないし、受け入れるには時間が足りなかった。


 それでも――――。


(この世界でも、わたしは生きていける。きっと、大丈夫よ)


 自分を納得させるように、千鶴は俯いて目蓋を閉じた。

 そんな彼女を見つめていた王は、再びぐっと拳を握りしめた。






 非常識になるのはこの部屋を出るまでだと王を言いくるめて、最初の席に戻った。夕食のあとにも関わらず、お菓子の美味しさについ手が伸びる。


「美味しさって罪ね。このままだと太ってしまうわ」

「……チヅルは、むしろ華奢だと思うが」

「だめよ。体を動かすことなんて、今まで散歩くらいしかなかったのよ? エルネストさんに鍛えてもらおうかしら。どうですか?」


 千鶴はそう言ってエルネストを見る。急に話を振られた彼はさすがに驚いたようで、言葉に詰まっていた。


 長時間立たせていることに申し訳なさを覚えるが、彼は「訓練しておりますので」の一点張り。王の護衛を任されていることはもちろん、この部屋に立ち入ることを許されているのだから口は堅いのだろうし――今までの行動で容易く想像できるが――信用のできる臣下なのだろう。


 その後、ティーポットにあるお茶を飲み干すまでお茶会は続いた。






「忙しいのに時間を作ってくれてありがとう。ロドルフさん」

「いいや。チヅルこそ、まだ体も休まっていないのに会ってくれてありがとう」


 王はエルネストを近くに呼び寄せ、いくつか小声で指示を出した。エルネストが扉を開いたと同時に王が席を立つ。

 見送ろうと同じように立ち上がった千鶴だが、その前に王が立ちふさがった。エルネストほどではないが見上げるほど背が高く、思わず一歩あとずさる。


「どうしたの?」

「……最後の願いはなんだ?」


 神妙に口を開いた王に、ばれていたかと千鶴は笑う。


 先ほど彼女が告げた願いは二つだった。律義に確認してくるあたり、王もエルネストと同じように真面目で律儀な性格をしている。

 彼女は少しためらう様子を見せたが、意を決して口を開いた。


「……名前で呼んでほしいわ」

「名前?」

「そう。わたしのことは『聖女様』じゃなくて、名前で呼んで。百歩譲って『チヅル様』でもいいの。お願いできないかしら? わたしが普段から会う人だけでもいいの。わたし個人がきちんと認識されているって、分からせて」


 最後の願いは叶えられるか不安で、言うことをためらった。たいしたことではないと前置きしようとしたけれど、この世界に来てからエルネストに会うまでの一年間、誰からも名前を呼ばれることがなかった。王とエルネストにいたっては強引に呼ばせたようなものだし、屋敷の者たちは畏れ多いと言って拒否し続けていた。


 ちらりと見上げた王と視線が合うと、彼はゆっくりと膝をついた。今度は王が千鶴を見上げ、不安そうな彼女の手を取る。


「だめ、かしら?」

「そんなことはない。チヅルの希望通りにすると誓おう」

「……ありがとう」


 千鶴の視線が王を捉えた。柔らかく微笑んだ彼女に、王は眩しいものを見るように目を細める。

 重ねられた手をぐっと握った千鶴が、「あのね……」と言って一瞬黙った。王がどうしたと問う前に口を開く。


「もう一つ、お願いができたの。聞いてもらえる?」

「わたしに叶えられることであればなんなりと」

「……周りに人がいないときは、わたしたち、これからも非常識でいませんか?」


 さらに強く王の手を握る。すると彼は声を上げて笑った。


「チヅルの願いを断ることなど、わたしにはできない。あなたがいいと言うのなら、そうさせてもらおう」


 千鶴の手にそっと口づけを落とした。いまだ慣れない行為に赤面した千鶴が王を睨んでも、彼は嬉しそうに笑い続けている。その表情は、まるで少年のようだった。






 王とエルネストは、侍女が部屋に戻ったことを確認して退室していった。


 侍女の一人が、千鶴に声をかける。

 それに驚いた千鶴が彼女を見ると、少し緊張した面持ちで、それでいてどこか照れくさそうに微笑んでいた。


 千鶴の願いが、一つ叶えられた瞬間だった。





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