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第7話

 

「では、聞いてほしい」


 王はお茶で口を潤すと、ふっと息を吐き出す。


「この国には『聖女の御渡り』と呼ばれる聖女召喚の儀式がある。それは十年に一度行われている儀式で、わたしが王となってからは、今回が初めてだった」


 千鶴は「十年に一度」と小さく呟いた。


 聖女召喚の儀式は国儀であり、子孫繁栄を願って行うものだ。しかし、実際に聖女が召喚された記録は一切残されていないということを、王は前置きする。




 事の経緯はこうだ。


 一年前、十年に一度の国儀が神殿で執り行われた。

 聖職者が祈りを捧げる形式的なもので終わるはずだったが、その日は違っていた。儀式の間が光に包まれ、そこに突如として現れた人物こそが千鶴だった。

 どこかを呆然と見つめていた彼女は、光が消えた瞬間、その場に倒れこんだ。


 密室であるその部屋にいたのは、王と数名の聖職者だけだ。扉の前には護衛の騎士が控えており、何者かが一瞬のうちに侵入することは不可能に近い。

 見たことのない服を身に着けた少女が聖女であると決定づけたのは、その風貌が伝説の通りであったからだ。本当に聖女が召喚されたのだと、周囲は色めき立った。


 声をかけても、軽く揺さぶっても、聖女は目を覚まさない。硬く冷たい床にそのままにしておくわけにはいかず、客室に寝かせて目が覚めるのを待つことにした。

 しばらくして王が客室へ足を運ぶと、そこはもぬけの殻であった。同時に、とある聖職者の男も姿を消したことが判明する。

 その男は熱心な聖女信仰のある者だったが、狂信的で度を越えていると一部からは指摘を受けるほどだった。厄介だったのは、彼自身が有力な貴族出身だということだ。神殿に身を置く者は基本的に世俗と離れた生活をしているが、男の実家からは神殿へ莫大な寄付がされていた。それを理由に、本来であれば許可が必要である外部との接触にも、周囲は目をつむっていた。


 聖女失踪から数日後、男は何食わぬ顔で神殿に戻ってきた。すぐに問いただすが、「実家から呼び出しを受けていた」の一点張り。なにを聞いても知らないと言うだけで、口を割ることはなかった。

 決定的な証拠が得られない限り、犯人として捕らえることはできない。聖女の所在が確認できるまで、召喚に関して緘口令が敷かれることになった。


 結果的に、犯人はその男で間違いなかった。

 王都にある彼の実家は、聖女失踪と同時期に外壁を高くする工事を開始していたことが判明した。また、年頃の娘がいないにも関わらず、若者向けのドレスや装飾品を多く購入していることも報告された。

 男の父である屋敷の主は、理由は明かさないものの「我が一族の繁栄は確実なものになった」と周囲に自慢していたという。しかし、それだけでは屋敷に聖女がいるという証拠になるはずもなかった。

 屋敷への潜入にはだいぶ骨を折ったが、諜報部隊によって計画は確実に実行されていった。

 そして、ついに確証を得ることができた頃には、誘拐から一年が経とうとしていた。


 綿密な計画を練り、それを実行したのが昨日になる。

 あとは、千鶴の知る通りだった。




 王はお茶を一口飲むと、小さく息をついた。

 静まり返った部屋で、千鶴は自分を落ち着かせるように無意識に胸に手を当てる。


「ほかの聖職者たちは、首謀者の危うさに気づいていたにも関わらず、野放しにしたことを心から反省している。それに、最初にチヅルが眠っている間、警備を厳重にしなければならなかった。それを怠ったのはわたしの責任だ。本当に申し訳ない。チヅルを誘拐した首謀者と、その親族である屋敷の者たちはすべて捕らえている」

「一つ、確認なんだけれど」

「なんでも聞いてくれ」

「使用人のみなさんに、怪我はないのよね?」


 心配そうなその視線に、王は虚を突かれた。


「……優しいチヅル。屋敷の主人や側近たちは抵抗したが、使用人は最初からおとなしかったと報告を受けている。一番にチヅルの身を案じていたそうだ。痛めつけることはしていないから、安心してくれ」


 千鶴を安心させるように微笑む。しかし、それ以上の明言は避けた。

 聖女誘拐は緘口令が敷かれているため、関係者は秘密裏に処罰される。この先について、千鶴に言うつもりはなかった。


 口をつぐんだ王に、千鶴は「ありがとう」と頷くにとどめた。

 もう会うことはないだろうけれど、少しでも罪が軽くなるように祈るのは甘い考えなのだろうかと自問自答する。


 しかし、終わったことだ。

 事実を知ることができた。彼女にとっては、それで十分だった。






「最初に言っていたけど『聖女の御渡り』は十年に一度で、実際に召喚された記録は残されていないんだよね?」

「そうだ」

「それは、本当に召喚されていなかったの? それとも、今回のように召喚されたけど、記録に残されていないの?」

「……実は、それも分からないんだ」


 聖女の御渡りが国儀となったのは数百年も前のことだと言われているが、正確なことはいまだ解明されていない。分かっているのは、先祖代々が欠かさず行ってきたという記録書があること。そして、聖女は子孫繁栄と幸福の象徴だということだけだった。

 また、歴史学者が解読したという、古語で書かれた伝説が存在している。


「伝説?」

「……チヅルは、屋敷ではなにも聞いていないと言ったね」


 王はそう言って立ち上がると、本棚にある一冊の本を手に取る。差し出されたその本は豪華な装丁ではあるが、子ども向けの絵本のように厚みがなかった。


 千鶴がそれを開くと同時に、王は子守歌を歌うように暗唱を始めた。




 ――――


 異世界の乙女は繁栄の象徴なり

 御眼は黒曜石の如し 御髪は夜の如し


 すべてのものが跪く香りを纏わせながら

 すべてのものを魅了する笑みを浮かべながら


 母なる聖女は我らを許すだろう

 月が欠ける夜 聖女はすべてを許すだろう

 柔らかな愛で 我らを包むだろう


 ――――




「これが、この国に伝わる『聖女の御渡り』の伝説だ」






 たった数行だけが記された本。

 つづられた文字をなぞる千鶴を、王は無言で見つめていた。


 『聖女の御渡り』は国儀であり、同時に伝説でもある。過去、国儀が行われた記録だけは十年単位できちんと記録されていたが、実際に聖女が世界を渡ったという記述は一切残されていない。

 聖女は子孫繁栄の象徴であるが、学者によって見解は異なっている。一部では聖女を迎えることができた一族にのみ幸福が訪れると言われており、それが今回の誘拐につながった。


「なぜ、今回の召喚でチヅルが選ばれたのか、それはわたしたちにも分からない。言い方はよくないが、神殿で祈りを捧げているだけで、具体的な召喚の呪文はない。今も解明しようとしてはいるが、分かる確証もない。召喚されたときのことで、なにか覚えていることはあるだろうか」

「……なにも覚えていないわ。いつも通り過ごしていたと思うけど、なぜか思い出せない」


 覚えているのは、登下校のために道を歩いていたことだけだった。

 記憶がすっぽりと抜け落ちている気持ち悪さは、一年前から千鶴を苛んでいる。一時的な記憶障害なのか、世界を渡ったことによる後遺症なのか、それは誰にも分からない。

 眉をひそめた千鶴に、王はそれ以上なにも聞かなかった。






「今話したことが、千鶴がこの世界に召喚されて、今日までに至る事実だ」


 お互いが喉を潤すようにお茶を口に含む。先にカップを戻した千鶴は、口を開くことに迷う素振りを見せた。


「……混乱しているんだけど、最初にこれだけは確認させて」

「なんだろうか」

「元の世界に戻る方法は、ないのよね」


 王をまっすぐに見つめるその瞳は、すでに答えを知っていた。

 その凪いだ瞳から目をそらすことなく、王は心の中で嘆く。動揺を悟られないよう、拳をさらに強く握りこんだ。


「解明されている伝説に、そのような記述はない。現時点で、チヅルをチヅルの世界に帰す方法は、ない」


 事実を語ってほしいと言われた通り、王はきっぱりと千鶴に告げた。

 彼女は小さな声で「そう」と呟いて視線を落とし、しばらく黙り込んだ。






 千鶴は、王の拳に自身の手を重ねる。白くなるほど握りしめられたそれは、膝の上でわずかに震えていた。

 その行動に驚いた王が千鶴を見やると、そこにあったのは彼女の優しい眼差しだった。


「どうして……」

「ありがとう、ロドルフさん」

「え?」

「言いにくいことを言わせてしまった。そうだろうとは思ったけど、言葉にしてほしかったの。ごめんね」


 どうして笑っていられるのだと聞こうとして、それを問うことはできなかった。その笑みが、胸が締め付けられるような儚いものだったから。


 王は千鶴の頭を胸にかき抱く。


「チヅルが謝罪する必要など、なにもない……! チヅルの故郷を奪ってしまったことを、心からお詫びする。本当に、本当に申し訳ない」

「……ロドルフさんが謝る必要もないよ」


 エルネストに比べて細身に見えた体だったが、包み込む腕は男性のそれだった。久しい他人のぬくもりに、おずおずと背中に腕を回すと、王はなにも言わずにより強く抱きしめた。


 千鶴が流した涙のわけが郷愁にかられたからなのか、ただ他人の温かさに安堵したからなのか。それは彼女自身にも分からなかった。





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