第4話
そうこうしている間に日が傾いてきた。
ルシンダが準備してくれたお菓子と何杯目かのお茶を飲んだところで、ポレットが千鶴に声をかける。
「姫様、トゥーブロン様がお見えになりました。お通ししてもよろしいでしょうか」
誰だと口を開く前に、千鶴はそれがエルネストの家名であることを思い出した。
開いたまま放置していた本にしおりを挟み、入室を促す。
侍女の手によってカーテンが閉められ、室内に明かりが灯された。それと同時に扉が開かれ、エルネストを迎えるように三名の侍女は礼をとる。
それに倣って立ち上がろうとするが、入室したエルネストに「どうかそのままお座りください」と制された。それならばとエルネストも座るように勧めるが、立ったままでいいとかたくなだった。
千鶴が拗ねたような表情をすると、控えていたルシンダが新しいお茶をカップに注ぐ。
「姫様、トゥーブロン様は職務に忠実な御方なのです」
「ルシンダ……忠実と堅物はちょっと違うのよ」
「まあ」
ルシンダは柔らかく微笑むと、なにも言わずに茶器をもう一客用意した。
お茶を注ぐことなくカートに置かれたままのそれを見て瞬時に理解した千鶴は、エルネストを見て満面の笑みを浮かべる。
「一緒にお茶をしましょう」
「は」
「エルネストさん、先ほどと服装が違いますよね。剣はお持ちのようですけど、騎士のお仕事中ではないと推察します。もし、わたしの言っていることが正しければ、ここに座ってください」
ぐっと息をつめたエルネストを見て、図星だったのだと千鶴は笑みを深めた。
屋敷にいたときには、このように会話を楽しむこともなかった。特に同性との会話は以前のような快活な性格を思い出させ、寡黙なエルネストを巻き込んで楽しい時間を過ごしたいと思うようにまでなっていた。
一方のエルネストは、侍女と打ち解けた様子の千鶴に胸をなでおろしていた。同時に、一介の騎士である自分が聖女と同席するなどあり得ないと、握った拳にじんわりと汗をかいていた。
彼女がお茶に誘う言葉は巧みで、自身が持つ語彙力を総動員して失礼のない断り文句を探す。
「チヅル様、確かに今は勤務中ではございません。しかし」
「トゥーブロン様? 姫様がお望みでいらっしゃいますよ」
千鶴の意図を汲んだルシンダは、新しい茶器を素早くテーブルに置くと、慣れた手つきでお茶を注いだ。そして、有無を言わさぬ「温かいうちに、どうぞ」の言葉。
ほか二名の侍女も、微笑むだけでなにも言う気はないようだ。
退路を断たれたエルネストは、観念したかのように一歩を踏み出す。椅子を引こうとする侍女を制し、自ら椅子に手をかけた。
女性には敵わない。そう思いながら。
「エルネストさん、休憩中なのにここに来ていいんですか? ちゃんと寝ていますか?」
「はい。先ほど休ませていただきました」
エルネストはこの状況に頭を悩ませていた。
仮眠を取ったあと、千鶴の様子をうかがうために部屋を訪れた。
三名の侍女と楽しそうに話す様子にほっと息をついたのも束の間、まさか自分が同席を求められるとは思っていなかった。
名を呼ぶことすら恐れ多いことであるのに、いくら千鶴の望みとはいえ、内心は荒れ模様だった。
小さく息を吐き出すと、まだ湯気の出ているお茶を口に含む。
少しでも冷静になるために、今に限っては渋くてまずいものが欲しかった。
眉間に皺を寄せながらお茶を飲むエルネストに、千鶴はこっそりと視線を向けた。
その仕草はとても様になっている。茶器はほとんど音を立てず、こういった場に慣れている人だろうと推測できた。
いまだ黙り込んだままのエルネストに、千鶴は苦笑して詫びる。
「強引にすみません」
「いえ」
「休憩中なのに、逆に疲れちゃいましたか?」
「……そんなことは」
答えるまでの間でなんとなく察した千鶴は、申し訳なく思いながらお菓子を口にした。
その後、千鶴からいくつか質問をしていくと、意外にも会話は弾んだ。
エルネストは二十七歳で、王宮騎士団の近衛隊で副隊長をしているという。聖女救出を王から命じられるくらいだから、実力は折り紙つきなのだろうと千鶴は思った。
実際、彼は騎士団の出世頭だったが、本人がそれを気にしたこともなければ、わざわざ口にするような性格でもなかった。
そして、侯爵家の次男でもあるとさらっと告げた。貴族出身という身分の高さに驚いた千鶴だが、貴族は性に合っていないとエルネストは渋い顔で言う。
「貴族って、大変そうですもんね……」
「騎士として生きると決めてから、今日まで邁進してきました。現在の地位にこだわりはありませんが、実家の力だろうと妬んで言う者も少なからずおります。貴族だからといって上官は生ぬるい評価はしませんが、もどかしく感じることはあります」
「……どこの世界も、身分が邪魔になるときがあるんですね」
楽しそうに話を聞いていた千鶴の表情がくもる。
俯いた彼女に気づいたエルネストが声をかけようとした瞬間、ぱっと顔を上げた千鶴はすでに笑顔だった。なにか気に障ったのか問うも、やんわりとはぐらかされる。
笑みを崩さない千鶴に、エルネストがそれ以上追及することはなかった。
「ところで」
千鶴はお茶を一口含み、なるべく優雅に見えるようにカップをソーサーに置いた。
それに続いてお茶を飲んだエルネストは、自然とそれをやってのける。この仕草が様になっているのは貴族だからなのかと、千鶴は答え合わせをしたような気分になった。
その実、彼は彼で聖女に失礼がないように必死だったのだが、千鶴がそれに気づくことはない。
「王様には、いつお会いできますか?」
千鶴の問いは予想外だったようで、エルネストはわずかに目を見開いた。まさか驚かれるとは思っていなかった千鶴は言葉に詰まる。
「あの、王様から経緯を説明していただけるんですよね?」
「はい。しかし、こちらに来てからまだ一日も経っておりません」
「……もしかして、体が弱いと思われていますか? たくさん寝ましたし、大丈夫ですよ」
エルネストは眉を寄せて「本当か?」といった表情で千鶴を見る。
環境が変わったことで体調を崩さないかと本気で心配しているようだが、千鶴にとっては一国の王を待たせていることの方が気がかりである。
それに、口には出さないが、早く事の経緯を説明してもらいたいという思いが強い。
このままでは埒が明かないと、立ち上がってエルネストに向かってお願いをした。
騎士であるエルネストは、聖女である千鶴が頭を下げることを受け入れられないらしい。千鶴はそれを分かったうえで、有効な取引手段として使うことにした。
実際、エルネストはうろたえているし、千鶴のお願いを断れないことは屋敷で実証済みなのだ。
「王様に、お会いしたいと伝えていただけますか?」
「……チヅル様の御心のままに」