第3話
少しずつ意識が浮上していく。閉じた目蓋に感じる温かさにうっすらと目を開くが、差し込む光の眩しさに我慢できず、寝返りを打ってそれを拒絶した。
寝具の心地よさに二度寝を考えたと同時に、千鶴は眠る前の出来事を思い出す。勢いよく起き上がって周囲を見渡すと、そこは当然のように初めて見る部屋だった。エルネストが嘘をついていなければ、ここは王宮のどこかだということになる。屋敷の部屋も豪華だったが、その上を行く華美で分不相応な部屋にため息が漏れた。
エルネストが運んでくれたのだろうか。屋敷から持ち出したわずかな荷物が、寝台の近くに置いてあることに安堵する。
屋敷を出たあと、千鶴はエルネストと共に用意された馬車に乗り込んだ。誰か見ているかもしれないからと外の風景を確認することはできなかったが、進む道が悪路ではないことから、屋敷のあった場所は奥地ではないと想像できた。
しばらくして、緊張が解けた千鶴は眠気に襲われた。うつらうつらと船を漕いでいると、それに気づいたエルネストに気にせず眠るよう促される。それでもなんとか起きていようとしたが、彼にひざ掛けをかけてもらったあたりから記憶がなかった。
カーテンの隙間から差し込む光が部屋の中を照らし、今がもう夜ではないことを告げている。
寝台から出ると、部屋を見渡しながら裸足で窓に近づいた。ここは室内も土足で歩く習慣のある世界だが、綺麗に掃除された絨毯の上を靴で歩くことには抵抗がある。この世界の常識に反することは分かっていたが、誰も見ていないときくらいは自由に過ごしていたかった。
カーテンを勢いよく開くと、そこには大きなガラスの扉が。そして、ガラス越しにバルコニーが広がって見えた。
扉には格子がなく、内側から開ける鍵がかかっているだけだった。それも南京錠のような別の鍵がなければ開かない代物ではなく、千鶴でも簡単に開けることができるような仕組みであることは見て分かった。
屋敷では考えられなかった状況に、千鶴は驚きと少しの安堵を覚えた。
鍵に触れると、それはかちゃりと音を立てた。ひとつ息をついて扉を両手で押し開く。バルコニーから見える庭園、広がる大空。千鶴に翼があれば、このまま飛び立ってしまいたいと思わせるほど美しい光景だった。
心地よい風が千鶴の髪と心を躍らせる。彼女は裸足のまま、恐る恐るバルコニーへ一歩を踏み出した。
「チヅル様」
背後から聞こえた聞き覚えのある声に、千鶴は慌てて振り返る。そこにいたのは、少し不安そうな表情のエルネストだった。
千鶴がバルコニーにいることに気づくと、わずかに表情を和らげる。視線をそらすことなく足早に近づくと、窓の前で跪いて礼をとった。朝からこれかと千鶴はわずかに身構えたが、彼はすぐに立ち上がる。
「チヅル様、おはようございます。よく眠れましたか?」
「おはようございます。よく眠れました。もしかしてエルネストさんがここまで運んでくださったんですか?」
「はい。馬車でもよく眠っていらしたので、僭越ながらわたしがお運びいたしました」
「それはご迷惑を……」
千鶴の謝罪を食い気味に否定したエルネストは、ばつが悪そうな顔で「申し訳ございません」と口を歪めた。思い当たることがなにもない千鶴は、首をかしげる。
「エルネストさんが悪いことはなにもないと思いますけど……」
「女性の部屋へ、二度も無断で入りました。申し訳ございません。今も、ノックをしても返事がございませんでしたので、なにかあったのかと」
「謝っていただくことじゃないですよ。すみません、夜も今も気づかなくて」
眠っている自分を運んでもらったのだから、文句を言うつもりはない。今も自分を心配してのことであるから、咎めるつもりもない。むしろ、訪問のタイミングに驚いていた。まるで少し前に千鶴が目を覚ましたことに気づいていて、起き上がるときを見計らっていたかのような。
夜もそうだったが、エルネストは千鶴の気配に気づいているかのような行動を取る。それは、騎士という職業ゆえの勘なのだろうか。
(夜も今も、タイミングがよかっただけ。きっと、それだけよ)
確証がないことを考えていても仕方がない。偶然だと自分に言い聞かせて、千鶴は考えることをやめた。
どのくらいバルコニーにいたのだろう。いくら晴れているとはいえ、寝衣のままでは体が冷える。千鶴が腕をさすると、気を利かせたエルネストがまた上着を脱いで千鶴に近寄った。
もう部屋に戻るから大丈夫だと断るも、彼は否応なしに上着で包んで彼女を抱き上げる。
「エルネストさん!」
「今も靴を履いていらっしゃらない。さらに冷えてしまいます」
「もう戻りますし、部屋はすぐそこです……」
エルネストは最後の言葉を無視して、千鶴を抱き上げたまま部屋に戻った。ゆっくりと寝台に座らせると、スリッパのような室内履きを履かせる。自分でできると言ってもエルネストが聞き入れることはなく、千鶴は昨日から何度目かのため息をついた。
夜が明ける前に屋敷を出たが、現在の時刻はすでに昼をまわっているという。随分と眠っていたのに、誰も起こしに来ることはなかった。
眠りすぎたことを詫びるが、エルネストがそれを気にした様子はない。むしろ、もっと休んでもかまわないと言うが、それを断って寝台から立ち上がる。
「あの、着替えをしたいのですが……」
「かしこまりました。侍女を呼んでもよろしいでしょうか」
「侍女、ですか?」
「はい。チヅル様にはつつがなく過ごしていただくよう、王より仰せつかっております。信用できる侍女たちです。お側に置いていただけないでしょうか」
世話はいらないと言い切る千鶴に、快適に過ごしていただきたいのだとなかば強引に言い含めた。渋々だが了承した千鶴に、エルネストはほっと息をつく。
エルネストは男性で、千鶴にできることは限られてくる。未婚女性の部屋に入ることも、寝衣姿を見ることも、本来はよろしくない。しかし、紹介もしていない侍女を突然部屋に入室させるわけにもいかず、今だけは許されている。
今も密室にならないよう部屋の扉は開いているが、千鶴がその配慮に気づくことはない。
エルネストに促されて入室したのは、三名の侍女だった。リーズ、ポレット、ルシンダと紹介された彼女たちは、丁寧なお辞儀と笑顔で千鶴に挨拶をする。聖女の世話ができることはとても光栄だと喜ばれたが、屋敷の者たちのように過剰な態度を取ることはなかった。
「チヅル様、わたしは一旦失礼いたします。また後ほど参りますので、それまでごゆっくりお過ごしください」
「はい。ありがとうございました」
エルネストが退室すると、侍女たちはそれぞれ動き始める。
まず浴室を使うかと問われ、ありがたく使わせてもらうことにした。千鶴が一人で大丈夫だと言うと、「必要があればお声がけください」と、しつこく世話を焼こうとはしない。
手早く入浴を済ませて浴室を出ると、ふかふかのタオルとバスローブが置いてあった。体を拭いてバスローブを着たところでタイミングよく声がかかり、鏡の前に置かれた椅子に座るよう促される。
千鶴は、侍女たちの手際のよさに感心していた。
リーズが化粧水や乳液で保湿をしながら、ポレットは髪に香油を塗り、タオルに水分を吸わせながら乾かしていく。
しばらくして、ルシンダに食事はどうするかと問われた。軽く食べたいと言うと、カップに入った温かいスープと一口サイズに切りそろえられたパン、そして、果物がカートで運ばれてきた。
まだ着替えもしていないが、「朝からなにも口になさっていないのですから」と、侍女たちの好意でマナーを気にせず食べた。どれもカトラリーを必要としないように配慮されており、その心遣いが嬉しかった。
食事はどれも美味しく、あっという間に間食した。特にスープは絶品で、体だけではなく心までも温まった気がした。食後のお茶まで準備してくれたルシンダにそれを伝えると、彼女は「料理人も喜びます」と、まるで自分のことのように嬉しそうに言った。
髪の毛が乾いてきた頃、リーズにどのようなドレスが好みか問われた。華美な服装は好まないと言うと、何着か見繕ってくれる。それらは歩くのも億劫になるような裾が長いドレスではなく、機能性も考えられた上品なくるぶし丈のワンピースだった。千鶴はその中から落ち着いた色合いの水色のワンピースを選ぶ。着替えも一人で大丈夫だと言うと、カーテンで仕切られた場所に案内され、自分でとめることができないボタンだけリーズにお願いした。
髪の毛はポレットが結い上げ、濃いピンクの生花を耳の横に挿し、それと同じ色合いのリボンを飾ってくれた。
リーズに施された化粧は、粉をはたいて淡い色合いの紅を引く程度で、千鶴の健康的な若さを引き出している。
準備されたものはどれもサイズがぴったりで驚いた。差し出された靴を履いても痛みはまったくない。
様々なサイズを準備してくれていたのだろうかと思うと申し訳ない気持ちになったが、一仕事を終えた三人の侍女たちが「お綺麗です」と言って満足そうに微笑んでくれたので、ここは素直に感謝を述べた。
エルネストと同じように名前で呼んでくれとお願いするが、三人とも「恐れ多い」と言って聞き入れてくれなかった。
状況が状況だっただけに、エルネストには無理矢理了承させたようなものだが、彼女たちは見るからにうろたえていた。
納得はしていないが、この国の住民からしたら、千鶴は聖女というありがたい存在なのだ。理解しがたい感情だったが、生涯会うことがないだろう尊い人物が目の前に現れたらと想像する。恐らく自分も似たような行動を取るだろうなと考えると、それ以上はなにも言えなかった。
それでも「聖女様」と呼ばれたくないのだと暗に告げると、「姫様」と呼ぶことで折り合いをつけてくれた。千鶴はそのような身分でもないのだが、彼女たちなりに妥協してくれたようだったので、千鶴も無理強いはしなかった。
それなのに、千鶴が彼女たちに敬称をつけたり、敬語を使ったりすると窘められる。不公平だと抗議したが、そういうものだと言い切られた。
そこに感じる見えない壁に一抹の寂しさを覚えるが、そのやり取りで侍女たちと打ち解けられたのは嬉しかった。
読みやすく改行するのが難しいです……。
試行錯誤していきます。




