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第2話


 千鶴が寝衣かつ裸足であることが気がかりだったというエルネストは、自身が着る上着を脱いで彼女の肩にかけた。

 千鶴がありがとうと言いかけたところで、急に体がぐらついて視線が高くなる。まるで幼子を腕に座らせるように、エルネストが千鶴を抱き上げたのだ。


(名前を呼ぶのはだめなのに、いきなり抱き上げるのはありなの!?)


 慌ててエルネストの顔を見下ろすと、すぐ視線に気づいて「なんでしょうか」と冷静な声で聞いた。それはこちらの台詞だと、千鶴は反論する。


「自分で歩けます!」

「いえ。気が利かず、申し訳ございません。お履物が見当たりませんでしたので」

「状況が状況だったので、履いていなかっただけです。寝室に置いてありますから」

「落としたりしませんので、どうかこのままで」

「聞いています? そういうことを言っているわけじゃなくてですね……」


 すぐにでもやめてほしい千鶴に対し、エルネストは真剣な表情で大真面目に言う。

 子どものようにいとも簡単に抱き上げられて複雑な心境だったが、落とさないと言っているのだからと千鶴はあきらめることにした。

 その様子に、エルネストはほっと息をつく。


「急いて申し訳ないのですが、すぐにここを出ます。生活に必要なものは、すべてわたしどもで整えておりますので、お気になさらず。もしお気に召したものがあれば、同じものを用意いたしますので仰ってください」

「あの、今さらですけど、どこに行くんですか?」

「王宮へお連れいたします。王はせい……チヅル様をお守りできなかったことを心より憂いておられます。直接謝罪したいと」

「お、王宮? 謝罪なんて、そんな……」


 そういえばエルネストは王命だと言っていたなと記憶をたどる。勢いでどこへでも行くとは言ったものの、大事になりそうな予感がした。王が直接謝罪だなんて、想像するだけでも冷や汗が出そうだった。

 しかし、その言葉に嘘がなければ、今以上に悪い状況にはならないだろうとわずかに安堵する。


「王はチヅル様のお気持ちが整い次第、お会いしたいそうです」

「すぐに会うのではないんですか?」

「……チヅル様も混乱されているだろうと」


 エルネストは言葉を選んでいるようだが、王様に気をつかわれている。恐らく、聖女の立場は王よりも上なのだろう。国の頂点である王を待たせてもいいのだと、暗に言っているのだから。


「いいえ。すぐにお会いします。でも、朝を迎えてからでもいいですか? 随分遅い時間だと思うので……」

「もちろんです。チヅル様のお部屋は整えてありますので、戻り次第すぐにお休みいただけます」


 千鶴の部屋を王宮内に準備していると説明したエルネストに、これは想像以上に大事になったと一瞬体を震わせた。エルネストはそれを寒さによるものだと勘違いしたようで、申し訳なさそうに眉根を下げる。千鶴はそれを否定すると、話を切り替えるように一つの疑問を口にした。


「そういえば、どうしてわたしが聖女だと分かったんですか?」

「どう、といいますと?」

「不本意ですけど、確かにわたしはこの屋敷で聖女と呼ばれていました。でも、なんで初対面なのに聖女だと分かったんですか? なりすましているとは思いませんでしたか?」


 エルネストと初めて話したときは扉越しだった。そもそも千鶴の言う通り初対面であるから、声で気づくなんてことはありえないだろう。それにも関わらず、部屋の中にいるのは聖女だと確信しているかのように話を進めていた。


 ちらりと顔をのぞき見ると、今日で何度目かの渋い顔をしていた。眉間の皺が取れないままのエルネストと目が合う。


 しばらく見つめ合ったまま、沈黙が続いた。


「エルネストさん?」

「……今日のため、慎重に調査を重ねておりました。詳しくはお話しできないのですが、こちらの部屋にチヅル様がいることは調べがついておりましたので、間違いないと確信しておりました」

「そう、なんですね」


 エルネストは腕に力を込めた。


 嘘は言っていない。しかし、詳しく話せないと言った通り、事実をすべて話しているわけでもない。王からの命令で動く以上、言えないことも多い。


 黙り込んだエルネストに、千鶴はそれ以上追及しなかった。自身を納得させるように「分かりました」と言うにとどめた。




 一瞬、エルネストがほっとしたように表情を緩めたが、すぐに引き締め直したそれに千鶴が気づくことはなかった。






 元々自分が持っていたわずかなものだけを手に取る。ドレスや装飾品などの贈り物は数えきれないほどあったが、それらを身に着けることはほとんどなかった。どんなに豪華で綺麗でも、心のよりどころになっていたのは普段から元の世界で使っていたものだけだった。

 鞄に入ったままのそれを、エルネストから受け取る。持つと言ってくれたが、これだけは自分で持ちたかった。


「それではチヅル様、王宮へ向かいます」

「……はい。あの、どうやって移動するんですか?」

「馬車を用意しております」


 千鶴は靴を履いたから自分で歩くと言ったが、エルネストはそれを無視して歩き出す。人通りがない廊下を選んで歩いているのか、不思議なことに誰ともすれ違うことはなかった。


 エルネストは、屋敷の大広間に屋敷の関係者全員を集めていると説明した。ここでも詳しくは教えられないと言われたが、すべての使用人を取り調べるという。王からすると、屋敷の者は聖女を誘拐した犯人になる。今後、どのように裁きを受けるのかは聞くに聞けなかった。

 たとえ聞いたとしても、正当な裁きかどうか判断できるだけの知識が千鶴にはなかった。




 しばらく歩いて正面玄関にたどり着く。千鶴が開け放たれたそこを見るのは初めてだった。目が覚めたときにはすでにこの屋敷にいて、どこから入ったのかは覚えていない。

 いつも散歩していた庭園に出るための扉はほかにあり、正面玄関から誰かが出入りしているところは見たことがなかった。

 玄関を出たエルネストは、馬車はこの先にあると告げる。広い屋敷だったが、玄関から門までの距離もそれなりにあるとは驚きだった。


 ひやりとした風が頬をなでるが、上着のおかげか寒く感じることはなかった。その上着の持ち主であるエルネストに寒くないか問うと「問題ありません」と、短い答えが返ってきた。


「エルネストさん。ひとつ……約束、していただけますか?」

「約束、ですか」


 エルネストは歩みを止めて千鶴を見る。青空のような澄んだ天色(あまいろ)と、夜空のような深い黒が交じり合った。


「さっきも言いましたけど、これからは、すべて事実を話してください」

「……そう、仰っておられましたね」

「はい。実際に起きていることが知りたいんです。今のわたしは主観的なことしか知らないから……。この屋敷の人は守ると言ってわたしをここに連れてきたみたいだけれど、エルネストさんたちからしたら、わたしは連れ去られたんでしょう? どちらも我こそが真実だと主張したら、今のわたしには判断することができない。だから、どちらの言い分が事実なのかが知りたい。そういうことです」


 ほんの少しだけ目を見開いたエルネストは、そのまま千鶴を凝視する。しかし、それもほんのわずかの間だった。彼はすぐに「失礼しました」と言って目をそらす。

 無表情と渋い顔以外にも表情を動かすことができるのだなと千鶴は余計なことを考えながら、「でも」と言葉を続ける。


「全部は言わなくてもいいです」

「……どういうことでしょう」

「事実を言ってほしいけど、そのすべてを言わなくてもいいということです。なにも国家機密まで知りたいというわけではないんです。わたしが知っても大丈夫な事実だけ教えてください。嘘をつくくらいなら、そもそも言わないでいただきたいんです」

「……チヅル様は、難しいことを仰いますね」

「そうですか?」

「はい。そして、とても聡明なお方だ」


 エルネストはふっと表情を緩めた。それは、千鶴が見た中で最も朗らかで、張り詰めた空気が和らぐような表情だった。


 抱き上げていた千鶴を地面におろすと、初めて対面したときと同じように跪いた。先ほどと違い、帯刀していた剣を腰から鞘ごと抜いて地面に置く。正面に置かれたそれが、模造品ではなく本物であるという事実に、千鶴は息をのんだ。


「その約束、必ずお守りいたします。この剣と、騎士エルネスト=トゥーブロンの名に誓って」





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