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第15話

 

 聞こえてきたのは、不安そうなエルネストの声だった。


「チヅル様、夜分に失礼いたします。お話し声が聞こえますが、もしやどなたか中にいらっしゃるのでしょうか」

「え……」


 絶妙なタイミングで現れたエルネストに、千鶴は驚きを隠せない。まるでエルネストの訪れを予知していたかのようなビセンテの言葉に、恐る恐る彼を見る。

 ビセンテは慌てる素振りも見せず、立ち去る気もないようだ。にやりと笑って口を開く。


「エルネスト、入っておいでよ」

「ビセンテ!? お前、こんな夜更けに女性の部屋に入るなど……!」


 礼儀正しいエルネストにしては珍しく、千鶴の返事を聞かずに扉を開けた。同時に、エルネストは眉をひそめる。


「エルネスト、この部屋はいい香りがする。君もそう思うだろう?」

「なにを」

「気づいているだろう? 今日は、チヅル姫からとってもいい香りがする」


 ビセンテは千鶴を背後から抱きしめるようにしてエルネストを見据える。慌てて振り向いた千鶴に笑みを浮かべ、唇を押さえるように人差し指を当てた。耳元に寄せられたエルネストの口から「月のものが巡ってきたのかな」とデリケートな話題が飛び出し、その言葉に体を強張らせた。それは、千鶴と侍女しか知り得ないはずの情報だった。


 そのとき、エルネストからくぐもった声が聞こえてきた。彼の方を向くと、呼吸が荒くなっており、わずかに汗もかいているようだった。普段の彼からは想像もつかない姿に、千鶴はとっさに駆け寄ろうとする。しかし、エルネストの手が腰に回っているため、簡単には動くことができない。


 離してほしいと再び視線をビセンテに向けると、普段の彼からは想像もできないほど冷めた瞳でエルネストを見ていた。

 なにかを待つかのように。


「チヅル姫、教えてあげよう」

「ビセンテ、お前、まさか……!」

「君が言わないのであれば、僕がその役目を仰せつかるよ。姫と二人きりでいるのを許さないのであれば、そこにいるといい。……耐えられるならば、ね」


 エルネストはなにも言わない。段々と息は上がり、汗の量は増えている。言葉をつむぐために開いただろう口は何度か開閉を繰り返し、耐えるような、葛藤しているような様子だった。そして、結局は黙っていることを選んだようだ。


 ビセンテはエルネストを一瞥し、ゆっくりとした動作で千鶴の正面に回る。まるで、千鶴の視界からエルネストを隠すかのように。

 先ほどの表情からは一変し、とても楽しそうに口元は弧を描いている。


「さて、チヅル姫」


 ビセンテはお香の隣に置かれた一冊の本を手に取る。それは、千鶴が日中に読んでいた聖女伝説が記された本だった。それをぱらぱらとめくり、最後のページを指差す。


 放置していた疑問が、これから否応なく暴かれていく。

 そんな予感が、千鶴の全身を駆け巡った。


「ここ、切り取られているよね。気づいていたかな?」

「……はい」

「それなら話は早い」


 千鶴の返答に満足そうに頷いたビセンテは、ぱたんと本を閉じた。


 改めて名を呼ばれた千鶴は、ビセンテと目線を合わせる。すっと細められた彼の瞳からは、一切の感情が読み取れなかった。今日のビセンテは、ころころと表情が変わる。

 千鶴の心臓はばくばくと脈打っているが、彼は意外と表情が豊かだったのだなと、余計なことを考えられるくらいの冷静さは持ち合わせていた。




「単刀直入に言おう。この伝説には続きがある。チヅル姫には伝えられていない、続きが」






 ビセンテの言葉が、千鶴の胸にすとんと落ちた。


 やっとその言葉を聞けたという嬉しさと、事実を知ることへの不安がせめぎ合う。さらに跳ね上がった鼓動を落ち着かせるように、千鶴は深く息を吸い込んだ。


 表面上、彼女の反応が薄いことは想定内だったようで「まあ、気がつくよね」と、ビセンテはさして気にしていないようだった。

 やけに芝居がかった言い回しを好んでいたように感じた前回とは違い、今日はやけに展開が早い。


「綺麗に切り取られていましたけど、さすがに違和感がありました」

「本当にね。秘密にしようとしているくせに、やっていることはお粗末だよね。気にしてくださいと言っているようなものだ」


 呆れたように言うビセンテに、千鶴は思わず同調しそうになる。

 秘密にしようとしているという言葉に千鶴の表情が一瞬曇ったが、それに気づいたビセンテがなにかを言うことはなかった。


「もう聞いていると思うけど、チヅル姫を誘拐したやつらは熱狂的な聖女信者だ。信仰の通り、きっと本当のことを告げていないと思っていたよ」

「なぜ、今になって?」

「……君に嘘をつきたくないと、良心の呵責に耐えかねたんだ」


 誰が、とは言わなかった。


 千鶴もあえてそれを問うことはしない。それはビセンテ本人の言葉かもしれないし、ほかの誰かを代弁しているのかのようにも思えた。




 突然、ビセンテの背後からうなるような声が聞こえてきた。それでも、ビセンテがエルネストの方を見ることはない。


「ビセンテ、お前っ!」

「エルネスト。君は真面目で職務に忠実だ。でも、本当にそれだけでいいのか、考えたことはあるか? チヅル姫付きの騎士なのだから、姫にはもっと寄り添うべきだ」


 約束したのだろうと言うビセンテに、千鶴は目を見開く。彼の言う約束とは、エルネストと千鶴が最初に交わした約束のことではないか。

 顔に疑問を浮かべる千鶴を見たビセンテは、普段の柔和な笑みを浮かべると、「内緒」と言ってウインクをする。それは、なにも言う気はないのだというサインだった。


「まず、姫に謝罪をさせてほしい」

「え?」


 再び真剣な顔つきになったビセンテだが、その眉根はわずかに下がっていた。


「聖女の召喚は国儀とされていながら、今回のように、実際に召喚されたという記録は残されていない。おとぎ話のような出来事が実際に起きて、驚いたのは僕らも同じだった。でも、こちらの事情など知らないチヅル姫にとっては、迷惑でしかないと思う。僕らの無責任な儀式によって召喚され、なにも知らない状態のまま一年間も軟禁状態。今度は屋敷から強引に連れ出して……。ここに住んでもらっているのも、すべて僕らの都合。君の意思を尊重すると言いながら、聖女であるチヅル姫の犠牲によって我々は満たされている。そんな自己満足に付き合わせて、大変申し訳ないと思っている。おこがましいことだけれど、それでも、君に受け入れてほしいと思っている」


 千鶴がなにかを言う前に、ビセンテはすぐに口を開いた。


「――だから、すべてを話すよ」




 そう言った彼がそらんじ始めたそれは、言われるまでもなく、切り取られたページの続きであることが分かった。


 まっすぐに千鶴を見つめるビセンテは無表情で、彼女もそれに挑むように冷静を装っていた。






 ――――


 本能を飼い馴らせ 鋼の理性を身に着けろ

 聖女は真実に恐れ戦き 懇ろな関係は望めない

 恩恵の裏に虚偽あり

 月が満ちる夜には聖女を隠せ

 真実は闇に 不実を悟られてはならない


 ――――






「これが、伝説の続き。そして、そのすべてだ」




 ビセンテは千鶴の顔色をうかがう。

 彼女はなにも言わず、彼の言葉を解釈しようとしている様子だった。


「満月の夜は、部屋から出ないように言われていたでしょう?」

「はい」

「それはね、僕たちの理性が本能に負ける日だからなんだ」

「理性が……本能に、負ける?」

「そう。つまりね」


 ビセンテは千鶴に背を向けると、ゆっくりと歩を進める。

 視界を遮るように立っていた彼がわずかに横にずれると同時に、それまで黙っていたエルネストが立ち上がった。


「こういうことさ」




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