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第1話

初投稿です。よろしくお願いいたします。


 

 三日月が顔を覗かせた窓は、まるで夜空を詰め込んだ絵画のようだった。静まり返った部屋を月明かりが朧気に照らし、夜が深まったことを教えてくれる。


 普段は寝つきがいいはずなのに、今日に限って目が冴えてしょうがない。仕方なく起き上がり、水差しからコップへ注ぐ。一息ついて、ぬるくなったそれをゆっくりと飲み干した。

 その瞬間、ふっと部屋が暗くなる。顔を上げて小さな窓を見ると、月が雲に隠れていくところだった。にやりと笑ったように見えたそれが隠れたあと、悪戯に成功した子どもをわざと見逃したような、表現しがたい感情が心を支配した。




 それからどれくらい経っただろう。


 うつらうつら意識が沈んでいく気持ちよさに身をゆだねていると、どこかで鈍い音が響いた。それを皮切りに、少しずつ大きくなる物音。そこには争うような声もかすかに混じり、駆け足をするように部屋に近づいてきていた。

 部屋の外の様子を伺うために寝台から起き上がる。音を立てないように、絨毯の上を裸足でそろりと歩いた。






 神崎千鶴(かんざきちづる)は、一年前からこの屋敷の()()になっている。


 一人で生活するには十分な広さの部屋を与えられていた。しかし、この部屋唯一の出入り口である扉には、外側からしか開けることのできない錠前がついている。バルコニーはなく、窓は彼女が背伸びをしても届くことのない高い位置に一つあるだけだった。その窓にある格子には豪華な細工がされており、扉の錠前も繊細な芸術品だ。それでも、その美しさではごまかしきれないほど、()()の部屋にしては明らかに違和感があった。


 この部屋の外には、常に()()がいる。彼らは驚くほど気配に敏感で、夜は寝室から出るだけで声をかけてくる。監視カメラは存在しないはずなのに、まるで最初からなにもかも見ているかのような口ぶりで話す。気遣う声は柔らかなのに、それが一層不気味に思えた。






 ――――コンコン。


 寝室を出たと同時に、扉をノックする音が部屋に響いた。その音にびくつきながらも、どうにかして声を抑え込む。息を潜めて外の気配を探っている途中、急かすように再び扉が叩かれた。いつもの護衛であればここで声をかけてくるはずだが、今日はそれがない。


 今も聞こえ続けている物騒な物音に、千鶴の心拍数は上がり続けていた。扉の前に侵入者がいたらどうしようと考え、すぐにやめた。どうせこの部屋に逃げ場はないのだからと腹をくくる。


 三度目のノックのあと、わずかに震える唇を一度噛みしめて、扉に向かって返事をした。


「……どなた、ですか?」

「聖女様、夜分に失礼いたします」


 わずかに安堵を含んでいるように聞こえた声は、聞き覚えのないものだった。


「わたしは、王宮騎士団に所属しております、エルネスト=トゥーブロンと申します。王より、聖女様をこの屋敷からお助けする役目を仰せつかり、こちらに参りました」


 千鶴は、空気に溶けてしまいそうなほど小さな声で「助ける?」と呟いた。誰に向かって言ったわけでもないその声に、はっきりとした口調で「はい」と返事があった。

 まさか聞こえているとは思いもしなかった千鶴は、動揺しながらも会話を続ける。


「助けるというのは、どういうことでしょうか」

「聖女様はこの世界に召喚されてすぐ、この屋敷の主に連れ去られたのです」

「連れ去られた……」

「はい。もっと早くお助けしたかったのですが、首謀の警戒心が強く、機会をうかがっておりました。申し訳ございません」


 先ほどから聞こえている物音と声はエルネストの仲間たちによるもので、屋敷はすでに制圧していると簡単に説明された。


「あの」

「なんでしょうか、聖女様」

「確かに、わたしはこの屋敷で聖女と呼ばれています。でも、わたしはこの屋敷で『保護』されていると聞いていました。でも、あなたは『連れ去られた』と言いましたね。わたしは、どちらを信じたらいいのでしょうか」

「それは……」


 千鶴は意地悪な質問をしている自覚があった。エルネストとは扉越しに話しており、まだお互いの顔を見ていない。心地よく耳に響く低い声は、職務に忠実な姿を想像させた。また、()()()()()ことに安堵せず、むしろ信じられないと口にする千鶴に困惑しているだろうということも。


「……説明すると長くなりますが、先ほども申し上げたように、王命で参りました。聖女様誘拐の犯人を捕らえ、聖女様を王宮までお連れすることが、わたしの任務なのです」

「それを、どう信じたらいいの?」


 間髪入れずに問い返した千鶴の声に、扉の向こうでわずかに息をのむ気配がした。しかし、助けに来たと言われても、はいそうですかとすんなり受け入れられるほど、千鶴は単純ではない。

 相手の言葉を待つが、エルネストは黙り込んでしまった。


(一体どうやって説得して連れ出すつもりだったのかしら……)


 千鶴はこっそりため息をつく。

 正直に言うと、先ほどのエルネストの言葉がすとんと胸に落ち、この屋敷に感じていた違和感の正体が分かった。




 一年前の、あの日。


 普段通りに過ごしていたはずだったが、どういうわけか明確な記憶がない。いつもと違ったことといえば、見知らぬ場所で、見たこともない衣装を身にまとった人間に囲まれた。そんな夢を見た気がする。


 次に目が覚めたときには、すでにこの屋敷にいた。


 千鶴を聖女と呼び、聖女を保護することが一族の役目だと言っていた屋敷の主は、自身の身分について詳しくは語らなかった。陶酔したように見つめてくる屋敷の者たちを見て、崇拝対象にされていることだけはなんとなくだが理解した。

 それと同時に、千鶴は残酷な現実を受け入れなければならなかった。ここが自分の生まれ育った土地ではない、そもそも異なる世界であるということ。そして、世界を渡るという不可思議な現象に巻き込まれたのだということを。


 部屋を出ることができるのは日が高い時間帯だけで、許されているのは敷地内を散歩することだけ。すべてを見て回ったわけではないが、広い敷地は高い塀で囲われており、屋敷がどのような場所に建っているのかさえ分からなった。

 しかし、千鶴も分からないままでいようとしたわけではない。文字や歴史、マナーといったこの世界の「常識」を教えてくれた家庭教師に聞こうとしたが、それは徒労に終わった。家庭教師は千鶴の問いに対し、屋敷の主の慈悲深さと聖女の尊さをこんこんと説き諭した。それは幼子に話すような、それでいて有無を言わさぬような強引さで、千鶴はこれ以上聞いても無駄だと悟った。世話をしてくれている侍女にさりげなく聞いても、余計なことは言わないように教育されているのだろう。()()()()()()()は、話題をそらすことも上手だった。


 唯一の救いは、言葉に困らなかったことだ。知らない場所で虐げられることなく、衣食住は保証され、文字やマナーなどの生活に必要なことを学ぶこともできた。それでも、限られた場所で限られた娯楽にだけ興じ、与えられた知識だけで過ごした一年間は、とても息苦しいものだった。


 飛び立つ羽があるのに鳥籠に閉じ込められ、大空を羨む野鳥とはこのような気分なのだろうかと、千鶴は何度も何度も思った。


 エルネストによると、千鶴は「連れ去られた」のだという。屋敷の主は、千鶴の記憶が曖昧なのをいいことに、保護という言葉でごまかしたのだろうか。知り合いもおらず、後ろ盾もなにもない千鶴には頼れる人間がいないから、それに付け込むようなことを言ったのか。


(みんな、事実を隠したがるのね)


 乱れた気持ちを落ち着かせるために、深く息を吸い込んだ。そして、自身を嘲るように口元を歪める。


 突然異なる世界に来ることになった理由も、この屋敷に連れ去られたときの状況も、このままでは永遠に分からない。扉の向こうにいるエルネストの言葉をすべて信じることはできないが、現状を打破する機会を逃したくはない。

 エルネストが善でも悪でも、話す内容が事実ではないとしても、使えるものは使ってやるのだと千鶴は強く拳を握りしめた。




「行きます」


 いまだ黙り続けるエルネストに向かって、はっきりとした口調で告げる。先ほどとは違う力強いそれに、エルネストは驚いたようだった。


「聖女様?」

「正直言って、信じられません。でも、このままここにいても、なにか変わるとは思えない。誰かの意図でここに連れてこられたのならば、わたしの意志でここを出ます」


 でも、と千鶴は続ける。


「約束してください。嘘偽りなく、事実を説明すると」

「……はい。必ず」


 エルネストの声は、扉越しでもよく響いて聞こえた。


 助けに来たのだという騎士からは説得らしい説得はなに一つとしてされていないが、なぜかその言葉は信用してもいいような気がした。






「聖女様、扉を開けてもよろしいでしょうか」


 エルネストの声に、そうだったと千鶴は顔をしかめる。ここを出ると宣言はしたが、いまだ扉には鍵がかかったままだ。


「あの、出るとは言ったものの、この扉の鍵は内側から開けることはできないのです。鍵は……持っていないですよね」

「かしこまりました」

「え?」

「開けてもよろしいですか?」

「鍵を持っているのですか?」


 エルネストは最後の言葉に返答せず、危ないから下がるようにと言った。千鶴は若干噛み合わない会話に首をひねるが、それを口にすることなく素直に従う。

 その瞬間、バキバキと鈍い音が聞こえた。すぐに「失礼します」という言葉とともに入室した騎士を見て、間違いなく()()されたのだと理解した。


「……鍵を、壊したのですか?」

「はい。我々は鍛えておりますので」

「そ、そうですか……」


 場を和ませようと冗談で言っているようには思えなかった。周囲を確認してもほかに人影は見当たらず、一人で鍵を壊したのだということが分かる。どのように鍛えたらあんなに頑丈な鍵を壊すことができるのかと問おうとして、いつの間にか跪いているエルネストに閉口する。


「聖女様、お初にお目にかかります。改めまして、王宮騎士団のエルネスト=トゥーブロンと申します。どうぞ、エルネストとお呼びください」

「ご丁寧にありがとうございます。わたしは神崎千鶴です。姓が神崎で、名が千鶴です。千鶴と呼んでください」

「とんでもございません、聖女様。聖女様の名をお呼びするなど、恐れ多いことです」

「あのですね……」


 これは千鶴が屋敷で何度も言われ続けた言葉だった。今までは仕方なく受け入れていたことだが、少しくらい我儘を言ってもいいのではという欲が出てくる。


 エルネストに立ち上がるよう促した。騎士としても、この国の住民としても、聖女の前では跪くことは礼儀だと言うが、千鶴が重ねてお願いすると、渋々といった様子で立ち上がった。

 背が高く、見上げる首の角度は体験したことがないほどだ。暗闇でも輝くような銀髪と、澄んだ空のような瞳。無表情なのは仕事中だからなのだろうか。想像していた通り、真面目そうな人だなと千鶴は思った。


「わたしには、神崎千鶴という名前があります。だから『聖女様』じゃなくて、きちんと名前を呼んでくれたら……どこへでも行きます。よろしくお願いします。エルネストさん」


 先手を打ってエルネストの名前を呼び、頭を下げる。顔色をうかがうことはできないが、きっと渋い顔をしているに違いないと笑いそうになった。しばらくして顔を上げると、想像よりも歪んだ顔つきで、若干顔色も悪くなってしまったかもしれないと慌てた。


 この屋敷に来て、誰からも名前を呼ばれないから寂しいのだと本心を口にする。ここには二人しかいないし、もし誰かに怒られるようなら自分がお願いしたのだと言うからと説き伏せた。

 再び渋々といった様子で承諾したエルネストは、わずかに疲労を滲ませた声で千鶴の名を呼んだ。


「かしこまりました……チヅル様」

「千鶴、でいいです」

「……ご容赦ください」


 また膝をつきそうになったエルネストを慌てて止めた。真面目すぎるというのも考えものだなと思いながら。




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