第6話 内に潜むもの
朱里は相槌を打つこともなく、黙々と雅の話を聞いていた。そしてゆっくりと、その唇が動く。
「それは、なんておとぎ話?」
至極真っ当の反応だった。
「あ、いや……その……」
雅は朱里の突っ込みに不意をつかれ、困惑しながら言葉を探す。
「で、でも、知らない話でしょ?」
「ええ。雅さんが考えた設定ですから、私が知る由もない話でした」
「いや……だから……」
「そもそも、何故本題より前置きの方が長いのですか?」
「…………」
困惑は加速度的に増し、そしてしまいには言葉すら出なくなった。予想外の反応に雅は羞恥を覚え、身体の奥底から熱を帯びていき、顔はどんどん赤くなっていく。頭は軽く混乱し、どういう言葉を言えばいいのかどんどんわからなくなっていく。
「でも……」と狼狽える雅をよそに、朱里は寂寞を感じさせる表情をし、「楽しいお話を、ありがとう」と儚げにそう呟いた。雅はその表情と言葉で我に返る。その言葉はそのような表情で言うのもではないと思いつつ、彼女の矛盾に見蕩れてしまった。
「もう……悔いはないわ」
その言葉を繰り出した唇は、瞳からこぼれ落ちた雫に濡らされた。その一雫が栓であったかの如く、朱里の涙腺は決壊した。「どうして……」「大丈夫だから……」と雅の視線を意識して放たれたが、雅はそっくりそのままその言葉を捉ええることはできなかった。
次第に、朱里のから放たれるものは言葉の形を失っていき、名状し難い嘆きに変わっていく。雅はその姿を見て、想像する。もし朱里が病気にならなかったら、どのような人生を歩んでいたのかを。
背丈は大きなって、身体はもう少し大人っぽくなっていただろう。ちゃんと小学校の卒業式や中学校の入学式に出席できただろう。中学校に通い、級友とたわいない話をするありふれた日常を送れただろう。もしかしたら初恋もしただろう。卒業が迫り高校受験に四苦八苦した毎日を過ごしていただろう。そういう人生を歩んでいたら、今頃彼女は立派な高校生として明日を生きていただろう。
雅の脳内にその様子が駆け抜けていった。彼女が選ぶことができなかった分岐の片側の先を、容易に想像することができた。それらが雅の心に刺激を与える。程度や種類は違うとはいえ、雅も都合によりその人生を変えられてしまった人間である。朱里の境遇に自分の境遇を重ね合わせ、共感したのだ。
「あなたは、生きたいですか?」
雅は唐突にそう尋ねた。朱里は嗚咽のなか、確かな言葉で答える。
「生き、たいよ……」
瞬間、朱里の瞳から再び雫が流れ落ちる。その涙は苦悶の闘病生活の記憶と、それを呪う負の感情を含んだ濁流のようであった。
「……わかった。あなたの思いは確かに受け止めました。眼を閉じて、ゆっくり横になって」
雅の手は朱里の頬に触れ、涙を拭う。そっと背に手をまわし、ゆっくり上体をベッドに倒していく。そして目蓋の上に手をかざす。
雅は目蓋を閉じ、念じる。身体の奥底にその念が駆け抜ける。そして……。
「なあ、見ているだろ。何とかできないか?」
お? そう来るとは思っていたが、やはり私を頼るか。
雅の放たれた念は、雅の身体の奥底で傍観する私に到達した。
「駄目でも、せめて苦しまずに逝かせてやれないか」
『まあ待て。診るだけ診てみるよ。身体を貸せ』
私は表の意識にそう返事をし、意識を更に覚醒させる。駆け上る私の意識が、途中で別の意識とすれ違う。それはこの身体の本来の持ち主である雅のものだった。雅の意識は私の意識とは逆行し、身体の奥底の深淵に落ちていく。それによって私の意識は表面に出てくる。
私はゆっくりと目蓋を開ける。視界は先程と変わらない。しかしその瞳は私の意志で動かせるようになっていた。
『どう?』
「どうも何も、まだ何もしとらんだろうが。焦るな」
急かす相棒をなだめ、朱里の目蓋に添えられた手を下方に移動し、鼻と口を覆う。そして掌を意識し、念を送る。
「ゆっくりと、深く深呼吸して。そう、ゆっくりと」
私の言葉と同調するように、朱里の胸部は膨らんでは萎んでいく。
「ゆっくりと、ゆっくりと」
次第に呼吸は浅くなる。まるで寝落ちたかのように。
『何をした?』
「なに、ちょっと〈昏睡の異能〉を使ったまでだ。麻薬や麻酔に似た成分を体内で作り出し、それを手のひらから放出して相手の意識を奪う異能だよ」
『そんなことができるのか? それより、一体いつワタシの身体にそんな危険な成分を仕込んだの!?』
雅は私の異能に一驚し、問いかける。
「安心せい。普通の人間が生成可能な成分でやっている。あくまで擬似的な麻酔だよ」
雅はそれで得心がいったのか、それ以上〈昏睡の異能〉のことを聞かなかった。
「さてと……」
朱里の意識がなくなったことで、私は次の行動に移す。ベッドに取り付けられたサイドテーブルを外し、それを退ける。障害物がなくなったことにより、私はベッドの上にのぼり朱里に馬乗りなる。そして朱里の着ている寝巻きのボタンを上から一個ずつ外していく。
『女の子の服を勝手に脱がすのは、同性でも気が引ける』
「まあ、仕方がない。でも仮にお主が男であったのなら、この光景を目に焼き付けて自慰行為のおかずにできたのにな」
『おい』
私がそう言った直後、雅の激怒が私の意識に轟いた。
「まあ冗談はさておき、続けるぞ」
私はそう言い、ボタンを外す作業を続行する。まあ現時点で雅は自身の身体の主導権がないため、何をしようがされるがままなのだが。
次々とボタンを外していき、ついに朱里の上半身が顕になる。体躯に見合った控えめな乳房の下、横隔膜の下部で丁度肝臓や胃があるあたりに定め、スッと指でなぞる。すると指の軌道に沿って皮膚、そして肉が裂けていく。まるで手術の際メスで切るように。
『案外血が出ないんだな』
雅の指摘通り、若干傷口を紅く染める程度で、血で周囲を汚すことはなかった。
「〈分離の異能〉で細胞と細胞の繋がりを切り離すついでに、周辺の命気をいじって出血を抑えているんだ。あと細菌などを命気操作で駆逐して感染症も対策している。私としては、大して難しい事をしているわけではない」
たわいない話をしている合間に、開腹は進み、腕一本が入るくらいになった。私は腕まくりをし、左腕を朱里の中に入れていく。体内を手探りで掻き回し、ついに朱里を苦しめる元凶に行き当たる。
――ッ!!
意識に違和感が走る。それは生きとし生けるものを歪める力の塊であった。そして遅れてその違和感の真実が雪崩のように私の意識に流れ込んでくる。私は声色を変え、深刻に雅に語りかける。
「まさかの事態だな。この娘を長い間苦しめいていた悪性腫瘍は、異能力によって生み出されている」
『……どういうこと?』
雅の様子が豹変する。まるで感情で覆い隠していた逆鱗に、うっかり触れてしまったかの如く。しかし私はそれを気にすることもなく続ける。
「どっかの馬鹿が異能力を使って馬鹿なことをしていたみたいだな。異能力自体大げさなものではない。誰かから採取した悪性組織を命気操作で変異させて、それを仮死常態にしておく。そしてそれを対象者の身体に直接埋め込むことにより覚醒させ、対象者の命気を吸い取り分裂増殖。即効性はないが、時間をかければ確実に相手を弱体化させることのできる異能力だな。ただ、この異能力は未完成であるみたいだがな」
『どうしてこの子は異能力の被害にあったの? ちゃんとした理由があるのか?』
雅の問いに私は思いつきの仮説を提示する。
「考えられのは、知らないうちに異能力の開発の被験者にされたということだな。三年半の間朱里の身体を使って試行錯誤の実験をした。しかしそんなことを長く続ければ怪しまれる。本人もそうだし、家族知人、病院関係者もね。だから余命を告げて証拠隠滅でも図ろうとしたのだろう。それが今日だったって話だ。他には……異能力で生み出した腫瘍を別の目的に使用するために、朱里を苗床と言うより母体として生成していた、とか。そしてそれを取り出すには母体を殺す必要があって、それで余命という言い訳で誤魔化したか、そのへんだろう」
我ながら背筋が震える話ではあるのだが、異能力にまつわる話としては、別に珍しくはない話であった。これまでの神話や伝説を振り返ってみれば、もっと残酷な事が平然を行われているのだから。
『なあ……』
しかしその手の話に敏感に反応する少女を、私は知っている。
「わかっている。みなまで言うな。異能力が絡んだ時点で、この子を完璧な状態で助けなければならない状況になってしまった。そして異能力を行使した妖人の始末もね」
『どう行動する?』
「まずは腹を閉じて、この子の意識をこのまま眠らせておく。犯人である妖人に気づかれないよう、できるだけ仮死状態に近いかたちでね。で、一旦退室……いや、この階からも離れよう。そして距離をとって〈探知の異能〉で相手の出方を探り、こちらが出て行く機会を窺おう」
『方法については任せるが、そもそも、どうやって犯人を特定するつもりなの? 別に病院関係者ってわけじゃないでしょ。もしかしたら家族かもしれないし、最悪部外者って線もあるし』
「愚問だな。朱里が本当に今日死ぬのなら、仕掛けた妖人は今日中に何かしらの行動をとるはずだ。なら、病室を訪れた輩を片っ端からカマかけていけばいい話だ。何も問題ない」
そう結論づけて、私は雅の身体を使って行動を開始した。




