第3話 病室の少女
初めての場所を訪れる際、普通の人であれば地図を眺めたり、通行人や交番などに道順を尋ねたりして、必要以上に周囲を見回すものだが、雅はそんなことをしなかった。
雅は駅に着くなりロータリーでタクシーを捕まえて乗り込んだのだ。確かに目的地が明確に判明している現状況では確実に到着することができる。だが、駅から直線距離でワンメーターに満たない距離にその目的地があり、またそもそも距離があったとしても、高校生の金銭感覚ではタクシーに乗るという発想自体出てこないものだと思われる。
手っ取り早く目的を果たすため、最も効率のいいやり方を躊躇なく選ぶ少女。自分が不利になる状況をさりげなく回避することのできる少女。自然に最善を尽くせる少女。吉沢雅とはそのような人物であった。
瞬きを数回している間にタクシーは病院に着き、料金を支払い院内へと歩む。
雅は病院の受付で難なく面会手続きを終え、衣服に受付でもらったバッチをつけながらエレベーターに乗り込む。エレベーターは静かに駆動し、目的の階でその口を開く。事前の案内でエレベーターに近い場所と認識したので、病室を見つけるのは容易かった。
ノックして病室に入る。室内は窓の外の日差しが差し込み、壁紙の白色が映えていた。その白色の病室のなか、ベッドの上で上体を起こしている少女を見やると、失礼ながら、本当に病気なのかと疑いたくなってしまった。それほどまでに彼女の表情は生気に満ちていた。
「誰?」
ベッドの上の少女は扉の方を向き、来訪者の顔を見る。
「面会の方?」
少女の視界に面会者が付けるバッチが入ったのか、そう尋ねてくる。その表情は嬉しさと戸惑いが混在していた。退屈な入院生活に来訪者が来て嬉しいが、その相手が自分の知らない人で困惑している、みたいな。
「はじめまして、ワタシ吉沢雅って言います。神楽夏景の代理で来ました」
「神楽さんの?」
「はい。これ、夏景からの届け物です」
雅は手に持っていた紙袋を差し出す。それを本人に直接渡さず、ベッドに取り付けられているテーブルの上に置く。一見元気そうに見える少女だが、病人らしく線が細く華奢であるので、あまり重たいものを持たせたくなかったからだ。
「開けてもよろしくて?」と少女が言ったので、雅は無言で頷く。少女の細い指で封が開けられ、中から風景の画集や辞書のような厚さの洋書、文庫本に漫画などジャンルが一切統一されていない数冊の本が出てきた。それと、紙片が一枚。
「あら? 神楽さんからだわ」
どうやら夏景からの手紙みたいだ。
「ふふふ。神楽さんから、吉沢さんのことを警戒しないように、って書かれています」
少女は口元に手を添え、微笑んだ。
「あの、失礼かと思いますが、夏景とはどのような関係で?」
雅はふと思った疑問をそのまま口に出していた。実際その辺のことを聞かずにここに来てしまったのだ。
「神楽さんは雑誌のライターさんをされている方で、一度取材を受けたことがあるのです。以来本のことを通じて交流する仲になりました。時々こうして本を届けに来てくれるのです。吉沢さんは?」
「まあ……似たような仲だよ」
雅は、まさかその質問が自分に返ってくるとは思っていなかったらしく、無難にお茶を濁した。
「それと、ワタシのことは雅でいいよ。あんまり苗字で呼ばれることに慣れてないんで」
「わかりました雅さん。自己紹介が遅くなりましたが、私は南條朱里といいます。ご覧のどおり、本好きの病人です」
朱里は言われた通りに呼び方を修正しつつ名乗った。会釈をし、雅を椅子に座るようすすめる。
「いや、長居するつもりじゃないので、これで……」
「すみません。ですが、最期に誰かと話したくて」
病人の「最期」という言葉の意味を容易に想像することができた。しかし雅は腑に落ちなかった。
「その、そんなに、悪い病気なのですか? 夏景からは、そのあたりのこと詳しく聞いていないので……」
朱里は「取り敢えず、おかけになって」と言い、雅は言われた通りにベッドの傍らにある丸椅子に腰を下ろした。
「その……初対面の方にいきなりこういうことを言うのはどうかと思いますが……私余命を言い渡されていまして、その日が……今日なのです」
雅は事態を飲み込むことができないでいた。余命? 今日? 頭の中で朱里の言葉が反芻する。しかし信じることができなかった。目の前にいる少女は確かに華奢であるが、血の気を失った病人には見えない。苦しそうな様子もない。雅はこの病室で初めて朱里を見たとき、退院寸前の患者だと思い込んでいたくらいだ。外見と言葉が完全に矛盾しており、雅はただただ混乱するしかなかった。
「えっと……あの、その」
雅は言葉を失った。何か言わなくてはと頭の中でわかっているのだが、その思いに反比例するかのように語彙が消えていく。
「そうですよね。いきなりそんな重たいこと言われても、困りますよね」
朱里は雅のその反応を、あまりにも急な話で困惑して言葉が出ない、と解釈したようで、俯き、表情を曇らせて悲しい顔をする。
「いや、なんて言うか……すみません」
ようやく雅の口から出てきた言葉は、頼りない一言だった。
「…………」
「…………」
病室に重たい空気がのしかかり、沈黙が支配する。
「あの……病気のこと、聞いてもいいですか?」
雅は恐る恐る尋ねる。朱里は顔を上げ、重たい唇を動かす。
「実は、私もよくわかっていないのです」
「よく、わからない?」
「病名がはっきりしないそうです。身体の中に悪性の腫瘍があるらしいのですが、それがなんなのか。先生は癌に似ていると同時に、癌では説明できない事柄があると仰っていました。手術で摘出しても再度腫瘍が出てきてしまいますし、抗がん剤も試しましたが、効果を発揮することはありませんでした。治療法を模索しながら経過観察していたら、いつの間にか余命を言い渡されていました。雅さん、私を見て一見元気そうに見えるかもしれませんが、実のところ身体の中は腫瘍と薬物でボロボロなのですよ。じっとしていれば苦しくなることはありませんが、動くと辛いです。まあ、そもそも私みたいな本の虫がベッドから動くことはないので、別に構わないのですけどね」
朱里は無理に笑顔を作り、できるだけ明るく話そうとしていたが、その行為が余計悲痛さを感じさせた。
「その、病気や医療のことの知識が全然ないから、変なこと聞いちゃうかもしれないけど、そもそも、よくわからない病気なのに何故余命がわかるの? 何かおかしいような気がするのは気のせい?」
雅は理解できなかったことを尋ねる。それは未だに余命を信じることができない故の質問だった。
「私も確証を得ているわけではないので何とも言えませんけど、もしかしたら私の余命は、治療の副作用から言い渡されたものなのかもしれません。いろんな副作用が混ざりに混ざって、腫瘍の影響も受けてどんどん悪化した結果、とか?」
無知である雅にとって朱里の仮説は妙に説得力があった。
「それでその、闘病生活はどれくらいに?」
「三年半くらいでしょうか。私今年で十六歳になるのですが、中学校に一度も登校することなく卒業してしまいましたけど」
朱里は自虐的な冗談として言ったつもりかもしれないが、雅にとって笑える内容ではなかった。雅は慌てて会話の方向性を変えようとして、
「え、十六歳? ワタシとそう変わらないじゃない。すごいちっちゃいですね。小学生かと思いましたよ」
混乱した挙句、思わず変なことを口走ってしまった。失礼にも甚だしい。雅は病人に対してそんなことを言ってしまったことに、あとから後悔した。
「ふふふ。そですね。元々小柄でしたし、病気で成長が遅くなってしまいましたからね。仕方ないですよ」
しかし朱里は気にした様子はなかった。きっとこれまでも同じようなくだりがあったのかもしれない。
「なんか、すみませんでした」
「いいえ」
笑って許す朱里に何か救われたような気持ちになった。
「何か、ワタシにできることはありませんか? できることなら、力になりたい」
雅は罪滅ぼしのつもりなのか、朱里にそう尋ねた。
「そうですね。では、お話を聞かせてくれますか?」
雅はそれだけでいいのかと疑問に思ったが、朱里はその内心を読んだのか、「最期の時が来るまで、誰かと過ごしたいから」と言った。そう言われると断ることはできない。
「どんな話が聞きたい?」
雅がそう尋ねると、朱里は満面の笑みを浮かべた。まるでこれからとんでもない無茶振りをして、その振りに困り果てる雅の顔を楽しみにしているかのように。
「私の知らないことを話してください。言っておきますけど、私は読書に関しては雑食です。それにネットとかも活用していて、知らない知識を得るのが趣味といっても過言ではありません。雑学を極めた私が知らないこと話してください」
これはとんでもないことを要求されたと、雅は後悔し始めた。雅にとって雑学は縁のないものだし、そもそも雅が知っていることは朱里も知っていそうで、何を話したらいいのか迷う。
しかし、雅の知っている知識の中で、朱里が絶対に知らないであろう事柄がたった一つだけあった。人が平穏に暮らしている以上知る由もない知識で、そのことに直接関わり、肌で感じた者でなければ理解できない話である。
「それじゃあ、話すよ」
雅は一旦間を置き、ためるにためて言葉を発する。
「とある神様の末路について」
一度区切り、続きを言う。
「異能力について話そう」




