第85話 雨夜
「お水もあります。ちょっと青臭いけど、飲めないこともありません。召し上がれ。」
浜辺に転がっていた、モジャモジャした茶色の皮に包まれた黄緑色の大きな丸い実の上部を、鉈で叩くと、透明な果汁がなみなみと満たされている。
助左に実を渡すと、紅は一人で浜辺を歩いて行く。
日も傾きかけている。
夕日に向かって暫く歩くと、懐から何かを取り出し、頭を垂れて祈った。
戻ってきた女に尋ねた。
「喜平二に操、立ててんのか。」
ちょっととまどった、が、笑って言った。
「そうよ。」
森の中に生えている巨大な木の根元に広がる、大きな洞に宿った。
じっとりと湿り気を帯びた洞の中は、夜だというのにぼんやりと光っている。
助左が光を触ってみた。
紅の目の前に拳を持ってきて、開いた。
彼の掌も金緑色に光っている。
彼女が驚いていると言った。
「苔だよ。苔が光ってるんだ。」
気がつくと、洞の中一面に絨毯を敷いたように、光る苔が広がっているのだった。
離れ離れに、横になった。
雨が降っている。
南国特有の激しい雨。
季節は初冬だ。昼間は暑くても、夜になると急に気温が下がって、肌を、寒さが突き刺した。
「眠ってんのか。」
助左が声を掛けた。
黙っていると、重ねて言った。
「寝てねえんだろ。」
彼が身を起こした気配がした。
「こっちへ来い。」
「……。」
苛立って言った。
「何もしやしねえ。風邪引いて欲しくねえだけだ。」
紅は渋々、起き上がった。
ためらう心を抑えて、彼の元へ行った。
彼は、彼女を胸の中にそっと抱きとると、横になった。
彼の大きな身体に、すっぽりとくるまれて、彼女は、小さなため息をついた。
「震えてるじゃねえか。」
彼女の髪に、顔を埋めた。
「寝ろ。明日は、もっと遠くまで、皆を探しに行く。」
彼の腕の中で、目を閉じた。
人肌の温もりは、心に染みた。
思いのほか、ほっとした。
すぐ眠りに落ちた。
女が規則正しい寝息を立て始めると、彼は目を開けた。
心臓の高鳴りが、女にわからなくて良かったと思った。
子供の頃、鳥の鄙を拾ったことがあるけれど。
女の身体は、掌の中の鄙のように小さくか細く、でも中心からふんわりとあったかだった。
愛おしく髪を掻き撫でた。
(Come sei carina!)
何もしない、とは言ったけど。
暗闇に目を凝らした。
光る苔が、紅の寝顔をぼんやり照らしている。
口を少し開いて眠っている。
思わず、唇を寄せた。
「ん……喜平二さま……。」
彼は動きを止めて、女の顔を眺めた。
夢の中で笑っている。
額に口づけした。
(Buona notte.)
自分も目を閉じた。