第6話 分
「それで」
時宗は訊ねた。
「その娘とは会えたのか?」
「庭に居ました。」
喜平二は答えた。
「何で、イ……。」
皆まで言わせず被せるように、
「澄まして。」
紅はむくれて言った。
「冷たい目をして。」
「そっちこそ。」
何だ、向こうもそう思っていたのか。
彼女の頭に、コツンと拳を当てた。
「コラ、機嫌を直せ。」
「それから?」
兄が聞く。
「色々話をしました。」
思わず知らず、笑顔になった。
「良かったな、誤解が解けて。」
兄も笑った。
「面白そうな娘だ。」
「結局、人参が見つからなかったのが残念だ、と申しておりました。だから私も、兄上の話をしました。そうしたら、ぜひお会いしたいと。」
喜平二は熱心に言った。
姉妹とは話は合わないが、たった一人の兄のことは大好きだった。
何でも話せる。
兄の時宗は病がちで、いつも臥せっている。
優しい、思いやり深い人柄で、喜平二は、この兄と共に居ると、心が落ち着く。
「元気な娘御に病をうつしては申し訳ないから。」
兄は淋しそうに微笑んだ。
喜平二ががっかりしているのを見て、言い添えた。
「そのうちに、な。」
今日はお城に上がる、と言われた。
正装して、父に連れられて家を出た。
道すがら『天女さま』について尋ねた。
彼女の祖父が、府中のお屋形さまのお師匠であることを知った。
「へえ、すごいな。」
考えながら歩いていると、父が心配そうに言った。
「これ、与六。そなた又、妙なことを考えているのではあるまいな。分をわきまえろ、分を。いつも言っておるであろう。」
父、樋口兼豊は分をわきまえた見本のようなお人だ、と与六は思う。
頭も良く、性格も穏やかで公平で、本当は身分の低い台所役人の薪炭奉行なんかでなく、もっと上の役職についてもいいようなお人なのに、分をわきまえた結果、地味で質素な暮らしに甘んじて、何の不満も無い。
世の中、不公平だ。
もっと人それぞれ、能力に応じた地位につければいいのに。
俺はその辺の洟垂れ小僧どもとは違う、と彼は思っている。
自分には世の中がわかっている。
その上で、自分には、もっと自分に合った世界がある、と思っている。
城に着くと広間に通された。
待っていると、城主が部屋に入ってきた。
傍らに、こないだお会いした若君が座る。
上座に、細長い顎髭を生やした老人と、
(あっ、天女さま)
少女が座った。
左右に御家来衆が居並ぶ。
殿が、先日の働き、見事であった、褒美を取らせる、と言い、かしこまった。
三宝に載っているのは金の包みと反物らしい。
「恐れながら申し上げます。」
発言を求めた。
「こっ、これっ!」
周りはざわざわし、父は真っ青になって与六を制した。
「まあ、よい。聞こう。」
殿が仰った。
有難うございます、と一礼してから言った。
「お金も反物も要りません。」
ざわざわが、もっと大きくなった。
ちら、と横目で父を見た。
今度は真っ赤になっている。今にも失神しそうだ。
「ふむ。褒美を要らぬと申すか。」
殿は興深そうに与六を見た。
「この御褒美は要りません。他にお願い致したき儀がございます。」
周りの大人たちはもう遠慮無しに、声高に言い合っている。
物議の的になってしまった。
どうせ後で散々怒られるなら、言いたいことを言ってしまったほうが良い。
「申せ。」
「私は遊び仲間からよく殴られます。」
少女が、自分を見つめているのがはっきりわかった。
「よく生意気だ、とか、へ理屈をこねて、といわれます。自分では道理を言っているつもりなのですが、皆には道理には聞こえないようです。自分では何処が間違っているのかわかりません。どうしたら皆を説得できるか知りたいのです。そこで考えました。畢竟、これは、自分に学が無いからだ、と。」
老人を見た。
「そこにおいでの宇佐美駿河守さまは、お屋形さまを教え導いた偉い学者の方であると伺いました。私もぜひ教えを受けたいのでございます。そのお許しを、殿にお願いしたいのでございます。」
殿が笑った。
傍らの若君を見て、言った。
「ここにも似た奴がおるぞ。」