第77話 航海
船に乗ることが、こんなにつらいものだったとは。
越後から京に上るときも舟に乗ったけれど、季節の良いときだったし、度々舟を代えながら進んだので、一艘一艘に乗っている時間は短かった、でもこの船は、一日中、どころか、何日も乗っているから。
(死ぬ)
武衛陣以来、最大の危機。
冗談じゃなく、思った。
それでも紅は、暫くすると身体が慣れて、起き上がって動き回れるようになっただけ、まだましだった。小太郎も秀吉主従も、床から出ることが出来なかった。平気なのは猿若だけで、皆の世話を鼻歌交じりにやっていた。
助左にさぞ馬鹿にされるだろう、と思ったが、
「天気が悪いときはこんなもんじゃねえ。」
と言っただけだった。
紅は着の身着のまま船に乗ってしまったので、助左は自分の予備の着物を、丈詰めて着ろ、と言って呉れた。裁縫が不自由な紅が針を片手に悪戦苦闘していると、呆れたような顔をして見ていたが、終いには我慢出来なくなったらしく、着物を奪い取ると器用に直して、渡してくれた。
小太郎や猿若、秀吉主従など突然増えた居候たちにも気を配ってくれた。
正直、彼に対していい感情を抱いているとはいえない紅にとっては、驚きの連続だった。
実際、船に乗っているときの彼は、蓬莱屋でぐうたらしていた彼とは全く別人のようだった。
紅が意外に思っていることを敏感に感じ取っているらしく、
「たりめぇだろ。こっちはこれが商売なんでぇ。」
彼の配下の者たちも、陸に居るときはその辺のチンピラのようにしか見えなかったが、船に乗っているときは彼の指揮の下、統一も取れてよく動いた。
助左の船は、名を『明神丸』という。
乗組員は十人、全長三十メートル、幅七・五メートル、積載重量百五十トンほどの、小型の千石船である。前方に鉄錨を巻いた轆轤を置き、その後ろにやや小さめの弥帆柱が立ち、船の中央に立つ主柱に本帆を張り、後方に艫屋形が立っている。
助左が船頭{船長のこと。この時代、船主を兼ねた楫取[航海長]のことを指した}で、賄{積荷の売買}も見ていた。親仁{水夫長}は例の大男の黒人である。片表{副航海長}は、あの猫だった。
六十近くになっても平水主という者も決して珍しくはなかった。年功序列の通用しない、完全な実力主義の世界である。
船頭や三役{楫取・親仁・賄}は普通四・五十代の者が多いので、まだ二十代の助左が、朝鮮にも船を出していた大店の主人に任じられていたというのは驚異的ですらあった。
ついでに言うと、給料も悪くなかった。
江戸時代の檜垣・樽廻船の乗組員の年収は、船頭で三十両、三役で十五両、平水主でも十二両というところであった。
危険で大変な仕事はあるが、見返りはあったと思われる。
新しく船に乗った者のうち、一番早く船酔いから回復した紅は、本来乗組員でない為、一日中何もやることが無かった。
皆、
「女将さんはお客さんなんですから、じっとしてて下さい。」
と言うのだが、陸も見えず、海原を眺める以外無い生活は、手持ち無沙汰で退屈だった。