第71話 変わらないもの
「これを売ってみろ。」
助左が差し出した物を見て、紅は言った。
「白粉?」
「そうだ。お前にはあンまり縁の無い物みてェだが。」
それって、皮肉のつもり?
隣の部屋で耳をそばだてていた鞠が言った。
「お姉さまは、お化粧なんかなさらなくても、お綺麗なのに。」
「しっ、黙ってろ。」
小太郎は言った。
「あいつが負ける筈が無い。」
「三日やる。」
助左が言った。
「ここにある、明から輸入した白粉を全部売ってこい。」
高価そうな容器に入っている。どう軽く見つもっても百個以上ありそうだ。
「売っちゃったら又、意地悪なさるんですか?」
紅が、黒眼がちな目で、じっと助左を見つめた。
たじろいだ。
(そんな目をしたって、ほだされねェぞ、俺は)
「では」
相変わらず彼をじっと見つめながら、彼女は言う。
「朱夏さまをお貸し願えますか。」
「へっ?」
聞き違えかと思った。
なんで俺の情婦を知ってンだ?
(コイツにだけは知られたくなかった)
どぎまぎしている助左に追い討ちを掛けるように、
「あと、配下の方も。」
紅は言った。
「やってみたいことがあるのです。」
国産の白粉は奈良時代に初めて作られたというが、当時貴重とされたのは、明からもたらされたものだった。堺に入ってくる白粉は最先端の流行の品で、値が張るのにも関わらず、大変もてはやされた。いつの時代も、女性の美に対する追求は変わらない。
にしても。
(三日で百数十個なんて、いくら何でも無理だろう)
いつのまにか彼女より助左のほうが、白粉がほんとに売れるかどうか、やきもきしている。
あの高慢ちきな女が泣いて謝ってくると思うと、
(いい気味だ)
ごめんなさい、坊ちゃま。
どうしてもお店に置いてください。
(あたし、何でも坊ちゃまのおっしゃるとおりに致しますって、言え)
そうしたら俺は、あの女に言ってやる。
店に居たかったら、俺と……。
どうしたいかは、自分でもよくわからなかったが。
(どうして)
あの女のことを思うと、こんなに胸が締め付けられるんだろう。
紅は、港の近くの人通りが多いところに、急拵えの舞台を作らせた。一方、蓬莱屋に行って、朱夏と音曲を奏でる者を四、五人借りてきた。
朱夏が何と言うか助左は心配していたが、彼女は話を聞いて面白がった。
「へえ。失敗したら、お嫁さんは追い出されちゃうのかい?」
「協力なんかしなくていい。」
助左は言った。
「あいつが吠え面掻くのを見てェだけだから。それに」
つけ加えた。
「あいつは嫁なんかじゃねェ。」
「まあ可哀相に。奉公人には優しくしておやりよ。」
あの女の心は、助左には無い。だったら余裕のあるところを見せて、いいカッコしておこう。
紅は『猫』も借り出した。
何やら描いた物を見せて、懸命に教え込んでいる。
(あいつ、字、得手じゃねェのによ)
何やってんだ、と助左は猫に聞いたが、
「若にも言っちゃいけねえって釘、刺されてんでさ。ごめんなさいよう。」
あっさり断られてしまった。
そんなこんなで、三日のうち二日までは、何一つ売らないまま、過ぎていってしまった。