第69話 城主
百姓たちが持ってきた綿は、ほんとに質が悪かった。
助左は、そら見ろ言わんこっちゃない、という顔をしたが、紅は平気の平左で、にっこり笑って綿を受け取り、金も十分払ってやった。
百姓たちは文字通り、紅に臣従を誓った。
紅は、綿を全部荷車に積んで、出かける用意をした。全部で二十台分もある。
「おい、それを何処へ持って行こうってんだ。」
「ある方の元へ。こんな物でも、ちゃんと生かして使って下さる方がおいでなんです。」
「近くか?」
「大津から船に乗ろうかと。」
「俺も行く。道中何かあるといけねえから。」
ぶっきら棒に言った。
「結構です。」
「お前が心配なんじゃねえ。荷が心配なんだよ。」
「でも屑だって。」
「うっ、うるせェ。いちいち逆らうなィ。」
紅は、最上級の綿も荷車一台分用意させた。
道々互いに口も利かず、冷たい雰囲気のまま、船は琵琶湖を北上した。
岬を回ると、空の青と湖の蒼の交わるところに、普請中の城が見えてきた。
「長浜城です。」
紅が言った。
綿を船から降ろし、又、荷車に積み替えた。
その際、紅は、三河の綿が積んである荷車のうち、先頭の一台だけ、縛ってある縄をわざと緩めておくよう言いつけた。
工事中で、足の踏み場も無い縄張りの中を、荷車を連ねて通って行った。
案内を請うと、応対の者は、そのまま現場を通っていく。
作業する者のために湯を沸かしたり、粥を焚いたりしているところで、声を掛けた。
振り向いた女が満面の笑みを浮かべた。
「紅!よう来たの!」
「お方さま!」
寧々だった。
「又、こんな所に。お方さまのおいでの所ではございません。」
寧々は甲斐甲斐しく襷掛けで、手には杓文字を握っている。
「皆、働いておるのに、じっとしてなんぞおれぬ。賑やかな雰囲気が大好きなのじゃ。」
紅は明るく笑った。
「お方さまらしい。」
(あんな無邪気な笑顔を見せることもあるんだな)
助左は、楽しそうに寧々と話している紅を見ながら思った。
紅は、助左を寧々に紹介した。
「ところで今日はどうしたのじゃ?」
「陣中見舞いに参じました。」
紅は、寧々を最上級の綿を積んだ荷車のところに招いて、中身を見せた。
「おお、かたじけない。こんなに良い綿なら、袴にもなるの。下着に使えば暖かく柔らかい。礼を申します。」
寧々は喜んだ。
又暫く、楽しくしゃべって、暇乞いをした。
寧々が見送る中、三河の綿を積んだ車の向きを変えようとしたところ、縄の緩んでいる荷車から、積んである袋が落ちて、中身が地面に散らばってしまった。
「あらあら、とんだ粗相を……。」
紅が慌てて地面にしゃがんで、綿を掻き集める。
寧々も隣にかがんで、手伝った。
「まあ、すみません。」
「紅。こちらはあまり質が良くないの。」
「絮{屑綿}です。」
紅は言った。
「百姓たちに泣きつかれて、引き取ったのはいいのですが、どう処分していいのか困っております。」
寧々は手にした綿をじっくり調べて、
「では、これは、私が引き取ろう。」
「えっ?でも、絮でございますよ?」
「綿は色々使える。例え質が悪くてゴワゴワした物しか作れなくても、人の肌に直接触れない物、旗や幟、馬具の類、陣幕にも使える。戦場で使用する物は、敵に対する示威のためにも、敵味方を識別するためや指揮官の所在を表すにも、出来るだけ目立つ事が必要なのじゃが、色彩を鮮明に染めることが出来る綿は重宝する。麻だとぼやけるでな。火縄銃の火縄にも、綿が最高じゃ。硝石を混ぜたり、紺に染めれば雨にも強い。これだけあれば色々な物が作れる。値は如何ほどじゃ?」
「差し上げます。」
紅は言った。
「始末に困っていたものです。お金を頂くなど出来ません。」
寧々は考えた。
「ではこうしよう。これは有難く頂戴する。その代わり、今後、我が城で使う綿は全て、そちの店を通して購入する。そちの店は、様々な種類の綿を大量に用意することが出来そうじゃからな。」
「ははっ!」
紅はかしこまった。
「有難き幸せにございます。」
その紅の耳元に口を寄せて、寧々は他の者に聞こえないように囁いた。
「と、いう展開を期待していたじゃろう、そち。」
「えへっ。」
紅は顔を上げて、笑った。
「決断の早いお人だな。」
城を辞してから暫くして、助左が言うと、
「御主人さまにはまだ、お会いしたことはございません。戦で転戦なさっておいでで、いつもいらっしゃらないのです。お留守の間、お城のことは、奥方の寧々さまが一手に引き受けておいでです。お城の全ての裁量は、あの方の一言で決まります。」
「文字通りの女城主だな。」
「三河の綿は始末がつきました。これで、私をお認めいただけますか?」
「いや。まだだ。」
助左は言った。
「今度は、俺が運んできた品を売ってもらう。」