第68話 対立
後日綿を運んできます、と約束して百姓たちが去ると、助左が言った。
「いったい、どういうつもりだ。」
「人助け、です。」
紅は言った。
「困っている人を見捨ててはおけないでしょ。」
「お前な。」
助左は言った。
手下どもは彼の顔色を見て、すすっと後ろに下がってしまった。
「どういう立場なんだ、え?皆は、お前が、婆ァの用意した嫁だなんて言っているが、俺はそんなの認めねえ。」
「そんなこと、誰が言っているんです?」
紅は問い返した。
「私は最初っからそんなつもりはありません。」
「俺は論外ってわけか。」
助左の目が暗く光った。
「そりゃ、話が合うな。嫁じゃなけりゃ、身内でも何でもねえや。お前はただの使用人なんだろう。」
「はい。」
「じゃ」
助左は得たりと言った。
「俺はこの店の新しい主だ。使用人を選ぶ裁量がある。お前は、自分が雇われるだけの価値があるってところを俺に見せてくれ。嫌なら、この店を去れ。」
「ちょっと待ってください。」
はらはらして見守っていた鞠が口を挟んだ。
「いくら何でも厳し過ぎです。」
紅に向き直って言った。
「お姉さまも謝って。」
「わかりました。」
紅は鞠に取り合わず、助左に向かって言った。
「お言いつけどおりに致します。」
「そうかい。」
助左は、せせら笑った。
「手始めに、三河の綿だ。屑綿を買って店に損させた。その損を取り返してくれ。」
助左が手下と去った後、紅の回りに鞠と小太郎が集まった。
鞠は泣きそうな顔をしている。
「ひどいです。お姉さまがどれだけ店にお尽くしになったか、知らないから」
「しかし、そなたも手加減を知らないな。あの男の面子と真正面からぶつかっちゃ、あっちも引くに引けないだろう。」
小太郎が言った。
「どうも昔っから、そういうところが変わんないんだよな。俺なんか、慣れたけどさ。」
「案外、嫁じゃないっておっしゃったのが、気に食わないのかもしれませんね。」
鞠も言う。
「だって、ほんとの話だもの。」
紅は言った。
「結婚なんかする気は無いわ、坊ちゃまに限らず、誰とも。だいたい何なの、磯路奥さまをあんなにけなして。何があったか知らないけれど、いくら何でも言い過ぎよ。あたしたちの今日は、あの方あってのものなのに。」
蓬莱屋に帰ってきた助左が、浴びるように酒を飲んで荒れているので、妓は、そっと例のおしゃべりな男に聞いた。
「猫、いったい何があったんだい?」
「振られちまったんでさ、お姫さまに。」
猫、と呼ばれた男は答えた。
「最初っから嫁になんかなるつもりは無いって皆の前で言われちまって、あんまり彼女をいじめるから。あんな美人に何、意地張ってんだろうね。あっしに言わせれば、若が悪い。」
つけ加えた。
「女は、優しく扱ってやんなきゃ。卵みたいに。」
やっぱし、心配していたとおりだ。
自分じゃ気づいていないようだけど、ありゃ相当、キてるね。
こんな事は無かった、今まで、一度も。
(結局、坊ちゃまなのよ)
自分じゃいっぱし、ワルを気取ってんだけど、こういうところでお育ちの良いところが出ちまう。
諸国を回って、津々浦々に恋人がいるのが当り前の船乗り稼業でありながら、彼が義理固く一人の女を愛し守り通す性質なのは、昔馴染みの彼女が一番良く知っている。
(一回、顔、見とかなきゃね)
その、紅、とかいう女の。