第67話 回想
紅は、夜具を引っ被り、脇息にもたれかかって、庭先を見下ろしている。
(こんなの嫌だって言ったのに)
病気のお殿さまみたい。
又、倒れたら心配だからって、こんな格好をさせられている。
まだ額の包帯を外せないので、どうしようもない。
彼女が手を突いて、使用人の分際で出過ぎたことを申しました、と謝るのを、助左はつっ立ったまま、ふくれっ面で見下ろしていたが、何も言わなかった。
今は、蔵から引き出してきた連中を地べたに座らせて、その前に立っている。
真昼の光の中で見ると、曲者というのも馬鹿馬鹿しい、そんじょそこらに居るような百姓たちだった。三日振りに蔵から外に出されて、眩しい光に目をしょぼつかせている。
だが、
「何でこんなことをしたんだ、えっ?」
と、助左の手下どもが責めても、牛か馬のように押し黙ったまま、誰一人として口を開かない。
「ちょいと痛い目にあわせてやろうか。」
などと言っている声を聞きながら、紅は、この風景は何処かで見た、と思った。
あの日、蝉が姦しく鳴いていた。
陽の光が、矢のように盆の窪に突き刺さって、じりじりと肌を焼いていた。
(あたしは、何が何だかさっぱりわからずに地べたに座らされていた)
後ろ手に縛られて、ただ、一刻も早くこの時が過ぎていってくれるのだけを願っていた、喜平二さまが刃を振るって、あたしを助けてくださるまで。
矢も盾もたまらず、立ち上がっていた。
「もう、いいわ。止めましょう。」
「何?」
助左が眉を顰めた。
「言いたくなかったら言わなくていい。事情をよく知らない人も居るかもしれないし。」
「何言ってんだ。」
彼の声が尖ってる。
「使用人なのに出過ぎたことを致しましたってさっき謝ったの、何処のどいつだ。」
声を荒げた。
「許すか許さないかは、俺が決めることだろう。」
「もう二度としないで。」
彼に構わず、百姓たちに語りかけた。
「うちも、困るの。こんなこと、されちゃ。」
助左が何か言いかけた、その瞬間、端に座っていた、百姓たちの中でも一番若い男が、顔を上げて言った。
「困るのは、わしらのほうじゃ。」
「何が?」
「綿、よ。」
「綿?」
「あんたらの綿のせいで、わしらの綿が売れなくなってしもうたんじゃ。」
彼らは三河の百姓だという。
日本に綿がはじめて伝えられた時期については諸説あるものの、『日本後記』に、延暦十八{七百九十九}年に三河国に漂着した天竺人が綿の種を持っていたという記録がある。
しかし、綿の栽培が定着したのは、戦国時代以降であった。各地で爆発的に栽培が始まった。
ところが、土地の向き不向きがあるというのは、先に吾兵衛が言ったとおりで、発祥の地と言われる三河は遅れをとってしまった。
「それでも懸命に作ったんじゃが」
若い百姓は言った。
「あんたらの綿の方が、質が良かった。わしらの綿は、さんざんに買い叩かれてしもうた。」
綿は換金産物として垂涎の的だったから、何処も栽培に力を入れたのだが、出来不出来が激しい作物でもあったのだ。
「わしらの綿は何処の店も買ってくれない。わしらにとっては死活問題じゃ。」
「そこで、うちの蔵を燃やしちゃうことを考え付いたわけね。」
紅は言った。
「綿が少なくなりゃ、ちょっと質の悪い品でも買ってもらえるもんね。」
「へっ、考え無しだ。」
あんまり考えて無さそうな例の男が言った。
「若、どうしますかい。うんと懲らしめてやんなくちゃね。」
「黙ってろ。」
黒人が言った。
「何かお考えがあるだろう。」
「坊ちゃま、宜しいですか。」
紅が尋ねた。
助左はむっとした顔をしたが、
「何だ。」
一応聞いた。
「買い取ってあげましょう、全部。」
「えっ、現物も見ないでか。」
助左が呆れて言った。
「見なくっても、ひどい品だっていうのは話を聞いていればわかります。」
紅は平然として言った。
「でも、付け火をするくらい切羽詰っている人たちを見捨てるわけにもいかないでしょう。」
百姓たちに向き直った。
「全部、私に売ってくれる?」
「売り物には到底なんねえ品じゃが。」
若い男は言った。
「それで良ければ。」
「じゃあ、相場の四分の三でいいわね。」
「へっ、四分の三?それじゃ、おたくが大損する。」
「その代わり」
紅は言った。
「うちの吾兵衛を紹介してあげるから、良い綿の作り方をちゃんと習って。そして、今後はうちに、出来た綿を全て、入れなさい。わかった?」
百姓たちは喜んで、紅を伏し拝んだ。