第66話 蓬莱山
蓬莱屋は、堺の湯屋の中でも一番の老舗だ。
店の名前は、店の玄関を入った真正面に鎮座する、『蓬莱山』の馬鹿でかい置物に由来する。
『蓬莱山』とは、古代中国の伝説上の、東の海上にある仙境のひとつである。不死の薬と金銀の宮殿があり、不老不死の仙人が住んでいるという。
上空を鶴が飛び、ぐねぐねと曲がりくねった線で表現された岩肌に松竹梅が生えている山中で、七福神が楽器を演奏したり将棋をしたりして遊んでいる。その山を大きな亀が支えている、やたら細工の細かい、木彫りの置物である。
これ一つの値段で家が一軒買えるという、主人自慢の唐渡りの逸品だが、店の女たちは、
「嫌だよ、この布袋。」
「助平ったらしい顔してさ。」
「御主人さまに似てるね。」
「この弁天も、とんだへちゃむくれだよ。」
「女将さんにそっくりだね。」
「自分たちに似ているから置いてあるんじゃないのかい。」
と、さんざんな言われようだ。
当時、風呂屋と湯屋と、二種類の浴場があった。
風呂屋のほうが蒸気浴、湯屋は取り湯である。湯屋は身体を洗い、沐槽に入っているお湯をかける形式で、浴槽の中に入るものではない。風呂屋は男女共に利用する、ただの公衆浴場だが、湯屋のほうは湯女と呼ばれる若く美しい女が接待をする、男のお楽しみの場である。
元々浴場は、寺院が庶民に功徳を施す形で始まったものであるが、十二世紀には営業を目的とした洗い場が登場し、『太平記』巻三十五の延文五年{千三百六十年}の記事にも
今度の乱は畠山入道の所行なりと落書きにも歌にも詠み湯屋風呂の女童部までもてあつかひければ
とあるように、室町時代の初めに既に都の町中に町湯があり、湯女に類する女性がいたようである。
これより少し後に書かれた『慶長見聞集』には
びた拾五文廿銭ずつにて入る也。湯女といいて、なまめける女ども、廿人、三十人と並びいて、垢をかき、髪をそそぐ。さてまた、その他に容色よく類なく、心ざま優にやさしき女房ども、湯よ茶よと云いて持来りたわむれ、浮世がたりをなす。頭をめぐらし一度笑めば、百の媚をなして男の心を惑わす。
とある。
湯屋は朝から始まり、七つ{午後四時頃}に一端仕舞った。それから夜にかけて、いよいよ賑やかな時間となる。
蓬莱屋は、港を前にして、板葺きの門と土塀を構えた敷地の中に建物があり、その背後に井戸、そして水を汲み上げる大きな跳ね釣瓶がある。
港町のこととて、湯屋の看板を掲げてはいるが、宿屋も兼ねている。金をはずめば、二階の部屋で、湯屋の仕事が終わった女とのお楽しみもある。
抱えの湯女は、とびきり粒揃いだ。派手で豊満で妖艶な妓で統一している。従って異人の客も多い。しかもこの夏、『本朝遊女の始まり』とされる、貿易で栄える港町・室の泊{室津・現在の兵庫県たつの市御津町}から、町一番と評判の高い売れっ妓が住み替えして、船でやってきた。
店が益々繁盛するのは間違いの無いところである。
海を臨む、蓬莱屋の二階、筆頭湯女の自室。
噂の美女の膝枕で、窓から入ってくる涼しい海風に吹かれながら、助左はうとうとしている。
「でもその女、すごい美人なんだろ。」
「へっ、あの性格じゃな。」
助左は女の膝を抱え込んだ。
「男が寄り付きゃしねえよ。お前の方がよっぽどいい。」
「知ってる。」
にっこりして、彼のさらさらした金の髪を撫でた。
室津の港に停泊する船の舳先に座って空を眺めていた彼に、初めて会ったあの日から、もうどれくらいたつだろう。
こうやって二人、子供の頃から、肩を寄せ合い、助け合って生きてきた。
彼は船に乗るとなかなか帰ってこない。
でも待っていると必ず帰ってきた、彼女の元に。
(今までだってそうだった)
これからだって、きっと、そう。
彼が嫁を貰うなんて、考えてみたことも無かった。
(突然、ぽっと出て来た女なんかより)
あたしの方がずっと彼のこと、わかってる。
「若、若。」
下から呼ぶ声がする。
「菜屋から使いが参りやした。」
「おう。」
助左は起き直った。
二人で階段を下りていった。
下で、手下どもが待っている。
「お嫁さんがお呼びなんだね。」
妓が言うと、
「へっ、あんな奴。嫁でも何でもねえや。」
助左は大声で言った。
「えーっ、嫁じゃないの?ホント?」
例の、口数の多い男が言った。
「うっせえ、てめェら、だからといって、手ぇ出したら、ただじゃおかねぇぞ。」
助左が釘を刺しているのを聞いて、やっぱり不安がむくむくと涌いてきた。
皆の前では意気がっているけど。
ほんとは、女に惹かれているんじゃないだろうか。
会ってみたい、その女に。