第60話 凋落
菜屋が繁盛していく一方、松永久秀の方は凋落し、困った立場に陥っていた。
時は少し遡る。
足利義昭が織田信長に奉じられて都に凱旋したとき、三好義継と松永久秀は、公方の家臣として位置づけられた。義継は、公方の妹を正室に迎えた。
その後、義昭と信長の対立は激しさを増す。
義昭の命により、武田信玄は西上し、三方ケ原に徳川家康を破るが、病により陣中にて没する。信玄は三年間は喪を秘すよう遺言したが、近隣の大名たちは日を置かず、その死を察知した。徳川家康は、三河にある武田の城を次々落として一矢報いたが、勝頼は喪中のため、応戦出来なかった。
信玄を失った義昭にもう、打つ手は無かった。八月には朝倉・浅井も滅亡し、ここに信長包囲網は完全に崩壊した。
信長は上京を焼き討ちし、追い詰められた公方は兵を挙げるが、打ち破られた。
京を追われた義昭はその後、近畿周辺を転々とする。滞在した中に義弟の三好義継の居城もあった。
義昭を匿ったことで、義継は信長の怒りを買った。
織田軍に囲まれた義継は、壮絶な最期を遂げた。義輝を殺した男は結局、将軍家に殉じたのである。三好宗家はここに滅亡した。
松永久秀も、信長包囲網に加わっていたが、子の久通と共に、自慢の多聞山城を明け渡して降伏した。
鞠は、父を心配して、身も世も無い有様だった。
紅も、信長に面会を求めた。
勿論、誰に何を言われてもほだされない男だということはわかっていたが、鞠の父であり、菜屋の恩人でもある霜台の苦境を放ってはおけなかった。
多聞山城での出来事を話した。
結局、三好長慶と公方のことしか主だと思えない男なのだ、と訴える紅の言葉を聞いているのかいないのか、それでも信長は、紅が話すのを止めずに、黙ってそっぽを向いていた。紅がいい加減話し疲れると、忙しいからさっさと帰れ、と、いつもと違ってその日はつれなく、彼女を追い払った。
裏切りは決して許さない信長が霜台を許したのは、たいそう珍しいことだった。
人々は、霜台の才を惜しんだのだろう、と噂した。
それから暫くして、菜屋を訪れた客がある。
松永久秀だった。
鞠の喜ぶまいことか。
父の後を、子犬のように付いて回った。
紅は小太郎の背を押した。
小太郎は改まって久秀の前に手を突き、鞠との結婚を願い出た。
久秀はもう既に予期していたのだろう、あっさりと承諾した。
祝言がとり行われた。
店の者だけが集まって、こぢんまりとした式だったが、若い二人は嬉しそうで、心温まるひとときだった。
「鞠さまは、私のことを雲井雁だの、筒井筒だのとおっしゃいましたが」
紅は鞠に言ったものである。
「ほんとの筒井筒は鞠さまです。」