第57話 秋の宴
休もうか、と彼が言った。
野原の真ん中に、家臣が幔幕を張っている。
彼女を中に誘った。
赤い毛氈が敷かれ、酒肴の用意がしてある。
近習は下がらせて、二人きりだ。
紅に酌をさせて、ゆったりくつろいだ。
「そちも飲め。遠慮するな。」
酒はあまり飲んだことは無かったが、結構いけることに初めて気づいた。
信長は案外、飲めない。
「上杉は酒豪の家柄、と聞いたが」
呆れて言った。
「その名に恥じないな。」
紅はころころ笑った。
なんだか身体がぽかぽかしてきた。
「殿に又、お会い出来て嬉しいです。だって殿って、父上みたいで。」
「えっ!ち、父?」
すごく動揺している。
「た、確かに年齢的には親子ほど離れているが……。」
信長はため息をついた。
「そなたは子供、だな。」
「私は物心ついてから、父も母も知らないんです。」
「そうか、そなたは天涯孤独なんだな。」
ちょっと気が静まったらしい。
「それでも父は無いだろう。せめて兄にしておけ。」
独りごちた。
「父、では『芽』が無いではないか。」
「兄上、も嬉しいです。兄弟もいないから。」
紅は大胆になってきた。
「そなた、酔っているな。」
盃を傾けながら、信長は、女がほんのり赤くなっているのを楽しそうに眺めた。
「そういう姿もなかなかいい。」
「殿とお屋形さまが、いつまでも仲良くして下さいますように。そのお手伝いが出来るならば、これ程嬉しいこともございません。」
信長は盃を煽る手を止めた。
「紅。」
真面目な顔になった。
「同盟も、いつまで続くかわからんぞ。」
「えっ?」
「俺から破る気は無い。俺は同盟を組んで、自分から破ったことは一度も無いのだ。俺は嘘つくの、嫌いだから。人と約束するときには、俺は、自分の心を相手に預けるつもりで誓う。相手にも、俺に心を預けて欲しいんだ。預かった心はきっと大切にする。俺はいつもそう誓うんだ。でもここ日本では、約束は紙より軽い。」
そうだ。
お屋形さまの関東運営が上手くいかないのも、国衆たちが約束を破っても平気なせいだった。
「お屋形さまは、嘘をつくようなお方ではございません。」
訴えた。
「わかっている。」
頷いた。
「でも上杉は古い家柄だ。彼自身がどう思っていようと、昔からのしがらみがある。頼まれて断れない相手がたくさんある。俺よりも古く深い関係の相手に頼まれると、嫌と言えないこともあるだろう。」
「殿は」
紅は胸を突かれた。
「裏切られるとわかっていて、同盟をお結びになるのですか?」
それではあんまり淋しいじゃありませんか、と言いかけた言葉を飲み込んだ。
裏切られるのが絶対嫌だから。
あんなに気を遣って、豪勢な贈り物をしているのに。
織田の勢いを恐れた相手に結局、裏切られてしまう。
都を掌中にして、我が世の春を謳歌しているに見える、この男の孤独を思った。
「紅。舞を見せてやる。」
信長は立ち上がった。
「俺は舞と謡が得意なんだ。」
「では」
紅は懐から笛を取り出した。
「ほう……。」
「ふつつかではございますが。」
一礼すると、唇にあてた。
信長は朗々と歌いながら舞い始めた。
死なうは一定
忍び草には何をしよぞ
一定語り遺すよの
死ぬのが人の定めなら、後の世まで自分を思い出してもらうために、生きている間に何をしておこうか……
信長の愛唱歌と聞いている。
自分の限界にぎりぎりまで挑戦し続ける、如何にもこの男らしい歌だ、と思った。
舞い終わると、
「他には無いか。そなたの演奏を聴きたい。」
以前、喜平二に聞かせた曲を奏でた。
信長は目を閉じて聞いていた。
「紅。」
曲が終わると言った。
「俺の城に来い。共に暮らそう。」