第55話 贈り物
約束の品を一刻も早く献上したかった。
だが信長は各地を転戦している。
彼がお忍びで都に来ているとの噂を耳にしたのは、天正と元号が変わった夏が過ぎ、秋も深まってからのことだった。
マントを持って上洛した。
妙覚寺を訪ねた。
今は嵯峨野に移転しているが、この頃は室町二条南小路衣棚にあった法華宗の寺院である。
信長は京に屋敷を持たない。上洛する度に色んな寺を接収しては、転々としている。
この時代のことだ、坊さんたちも武装している。寺は堀を構え、塁を築いている。ちょっとした城のようなもので、十分、武家の宿として通用するのである。
奥に通された。
出て来た信長は、突っ立ったまま、いきなり、
「面倒は嫌いだ。」
と言う。
「会うと抜き差しならなくなりそうだと思ったから……呼びもしないのに、来おって。」
さっぱり意味がわからなかったが、機嫌を損ねているのは確かだと思った。
「申し訳ございません。」
手を突いた。
「先日お会いして、あんまり楽しかったので、又お顔を拝見したくて、つい気安くお訪ねしてしまいました。お約束のお品が整いましたのでお持ちしたのですが、奏者の方にお預け致します。後ほど御覧下さい。失礼致しました。」
かっと顔が熱くなった。
ちょっと話が合ったからって、調子に乗って。相手は、気が向かないと、朝廷のお使いにさえ会わない男だというのに。
あたしって、馬鹿だ。
下がろうとした。
「いや」
手を上げた。
「帰るな。俺も楽しかった。会いたかった、ほんとは……又、会えて嬉しい。」
小さな声で言った。
「何を持ってきた、見せろ。」
披露した。
マントの他に、孔雀の羽飾りのついた黒い天鵞絨の南蛮帽、あと一つ、趣向を変えて純日本風に、贅を凝らした京名産の漆器。
信長はマントを手に取った。
「これはいい。俺にぴったりだ。」
声が弾んでいる。
「あ、あの……。」
勘違いしている。
「それは先だってお言いつけになった、山内への贈り物でございます。」
「なんだ……。」
本当にがっかりしているように見えた。
「そなたが俺に合うのを見立ててくれたのかと思った。」
「殿には、もっと派手な物でもお似合いになると思います。今度、持って参ります。」
「うむ。」
素直に頷いた。
「ちょっと羽織ってみたい。」
言うなり、身に纏う。ついでのように南蛮帽を手に取ると、斜めに被った。
紅は言葉を失った。
天から地上に降り立った覇王。
「どうだ。」
手を突いた。
「こうするしか、ございません。」
信長は笑った。少年のような笑顔だった。
どうしてこんなに動悸が静まらないんだろう。
「山内と俺と、好みは全く違うと申したではないか。」
「とてもよく似たところがございます。それは」
二人ともお洒落だというところ。
「殿のお気に召して、山内の好みにも合う物を、と思っておりました。嬉しいです。」
他の品も吟味した。
南蛮帽は自分がもらっておく、という。
漆器は、ちょっと趣向に合わない、というので持って帰ることにした。
「もう一品あるといいのだが。」
信長が呟いた。
「畏れながら。」
紅は言って、信長の後を差した。
「これか。」
信長は、背後に置かれた屏風を見た。
都の賑わいが繊細な筆で描かれた、六曲二双の煌びやかな屏風。
「その屏風、見覚えがございます。」
目頭が熱くなるのを覚えた。
「武衛陣にあった品とお見受け致します。」
義輝が最後の戦いに挑む為、身繕いをしていた、その後ろに立てられていた物だ。
屏風を背景に抱き合う義輝と小侍従は、まるで一対の雛人形のように美しかった……。
「出入りの商人が持ち込んできた物だ。俺も気に入って飾っておいたのだ。」
「お気に入りの品でしたら……。」
「いや。」
信長は屏風を眺めた。
「俺の趣味に合い、山内の好みにも合う物を集めているんだろう。だったら、ぴったりだ。」
上杉と織田の友好関係は実は、遥か昔、例の野尻湖の悲劇のあった永禄七年七月の前から既にもう、始まっている。
信長の子を謙信の養子に差し出す、というところまで話が進んでいたのが、どういうわけか取り止めになってしまった。勿論この頃はまだ、上杉の方が圧倒的に立場が上である。
その後、信長は信玄に、養女を勝頼の嫁として差し出したりしていたが、西上を図る信玄との関係が険悪になると改めて、上杉への接近を図った。
贈り物作戦は、この一環なのである。