第53話 競り
男がまず、値を付けた。
人々はしんと静まり返った。
男が、マントを売る気が無いことが、わかったからだ。
男は皆を見渡した。
「いない、誰も?じゃ、今日はこれで、おしまいにしてもいい?」
紅が値を付けようとした、瞬間。
彼女の居るのと丁度反対側から、声が上がった。
女の声だった。
紅も、女が付けたより上の値を付けた。
すかさず、女が声を掛ける。
紅も上乗せした。
女はまだ食い下がる。
紅が更に値を上げようとした、が。
誰かが、いきなり二倍に値を吊り上げた。
男の声だった。
その男は前に出て来た。
でっぷりと太って、裕福の化身、といった風情である。
「いい加減、あきらめなさい。こっちはまだ値を上げることが出来る。」
おごり高ぶった態度に、非難の声が上がっている、が、大きなものにはならない。
紅は財布を改めた。
手持ちが足りない。
家に帰るとあるんだけど。
競りの主催者に声を掛けた。
「手持ちが不足なので、家に取りに帰ってもいいですか?」
「駄目駄目、俺は急いでいるんだ、待てないね。今ある現金のみだよ。」
主催者が言った。
考えた。
反対側を見た。
さっきまで競っていた女は沈黙している。
思いついた。
「ちょっと待ってて。」
主催者に声を掛けた。
人を掻き分けて、反対側に移動した。
「すみません、競りをしていた女の方、いらっしゃいませんか?」
皆が一斉に、一人の女を見た。
小女を連れたその女性は、帰り支度をしているところだった。
もうあきらめたらしい。
二十代半ばくらいの、小柄でふっくらした可愛らしい女だ。桃色の地に、かたばみの花が流れ落ちている小袖を身につけている。本人は目立たないようにしているつもりなのだろうが、見るからに高そうな着物だ。何処ぞの上流武家の女房の、お忍びの外出とみた。
駆け寄って言った。
「一緒に戦いましょう!」
驚いて紅を見た。
「このままじゃ、あの男に持っていかれてしまいます。悔しいじゃありませんか。」
もどかしい思いで説得した。
「どうにかして、あの南蛮羽織を手に入れましょう。その後、どうするか、話し合って決めましょう。」
彼女の目に光が灯った。
「そうじゃな。あの男が着たら、羽織が泣くであろうの。」
何処かのお国訛りだったが、彼女がしゃべると何故か懐かしく、可愛らしさが益々引き立つのだった。
巾着をひっくり返して、手持ちの金を洗いざらい出すと、合わせた。
「おうい、もうあきらめたか。」
主催者が言った。
「ううん、全然。」
紅は言うと、値を付けた。
太っちょはまだ競る。
更に上を行った。
まだ競る。
(まずい)
だんだん苦しくなってきた。
(普通の南蛮衣装の額を遥かに超えている)
こんなの、ただの意地の張り合いだ。
太っちょを見た。
真っ赤な顔になっている。
たぶん、おそらく。
マントのことなんて、どうでもよくなっている。
若い女子なんかに負けたくない。
ただそれだけ、なんだろう。