第52話 船荷
信長からは何も言ってこないが、彼の言葉は、紅の頭から離れたことは無い。
ちょっと用があって町を歩くときも、いつも周りを見ながら歩いている。
(お屋形さまのお好みに合う、上総介さまらしい物)
難問、と言うしか、ない。
(だって性格、正反対だし)
片や、超保守、片や、超革新。
それでも
(何か見つけないと)
ううん、きっと見つかる。
ここは堺、日本で一番豊かな町、しかも、今は。
(初夏、だ)
初夏は、堺にとって特別な季節である。
(船が入ってくる)
異国からの品物を積んだ、船が。
知らせを聞くと、町中の人間がこぞって、港に急ぐ。
老若男女、船とは何の関係も無い人間まで、灯に引き寄せられる蛾のように寄り集まってくる。
実際、蛾も集まってしまう、だって荷降ろしは、夜になっても終わらないから。
『夜に入り、燭を焼く、その光、天に亘る』と『蔗軒日録』にあるように、深い闇の中に沈む中世の夜、日本中でここ堺の港だけが、煌々と燭光が照らす人工的な昼の光の下、荷降ろし作業を行うのだ。そこには、日本の歴史の中で初めて、近世に繋がる都会の夜が出現していた。
紅は、港から店から、ありとあらゆる所を、暇を見つけては歩き回った。
ある日、港で、人だかりがしているのに行き当たった。
男が一人、ぐるりと輪を作った人垣の中央の、木箱を積んで作られた舞台の上に立っている。
手には色鮮やかな布を掴んで、高く掲げている。
「さあもう一声、出ないか、出ないか?よし、じゃ、百三十一文で落札!」
巾着を受け取ると、その手に、自分の持っていた布を渡した。
「では次、行こう。」
(競り、だ)
一つの品物をめぐって、値を付け合い、少しでも高い値を付けた方が勝ち。
一刻も早く最新の品を手に入れたいと待ち構えていた人々の目の前で、船から降ろしたばかりの箱を開けて、手っ取り早く売ってしまう者もいる。こうやって競りの形式を取ると、皆、非日常の雰囲気に呑まれ、互いに競い合って興奮して、つまらない物にでも高い買値を付けるので、売る側にとって、おいしい状況になることも多い。
そういう事がわかっているので、大概、目の端に止めただけで、行き過ぎてしまうのだが、今日は、足を止めた。
戦利品を抱えてほくほく帰っていく者がすぐ脇を通って、思いもかけず、男の扱っている商品が、そう悪くない品であることに気づいたからである。
そういえば、男の横に、破損した箱が幾つか置いてある。どうやら、箱が壊れてしまったので、処分に踏み切ったらしい。いつもの、お上りさんをだまくらかす品とは、違うのだ。
人ごみを掻き分け、前の方へ行った。
男は次々に布を掲げ、調子よく売っていく。
箱の布は忽ち、底を付いた。
「さ、これが最後だ。」
男は、手にした物を皆に見せた。
「これはMantello{洋套}だ。異国の、羽織、だな。」
全面に牡丹唐草の文様を織り出した天鵞絨に、堅い立襟を付けた、裾広がりのマントである。
襟から袖にかけて、金や銀のモールが縁取りに付いていて、アクセントになっている。襟は、やはり牡丹唐草模様の濃い緑地の天鵞絨、襟元はボタンと紐が付いている。
裏地も見せた。
目にも鮮やかな、明るい金茶の平絹。
華やかなのに落ち着いている、高級感溢れる逸品であった。
「ほんと、こんなとこで売っちゃう品じゃないのよ。箱が壊れて外に毀れちゃったから、仕方なく出したんだ。」
男が困ったように言った。
「だから、これだけは俺がまず、値を付けちゃう。それ以上付けないと、売らない。」
目を突き刺された、ような気がした。
(これだ!)
見つけた、信長とお屋形さまの共通点。
これしか、無い。
(落とす)
あたしが。