第49話 噂の男
「そんなに驚くことは無いだろう。」
彼は言った。
「案内すると申したのは、そちの方ではないか。」
彼くらいの身分の男だったら家臣の先触れくらいあるだろうに、いきなり店先に現れたのだ。
いえ、あんまり突然だったから、びっくりしたんです、という言葉を飲み込んだ。
この男は何でも思いつきで行動し、しかも、いったん動き出したら早い、ということに思い当たったからである。
「あれを出しておけ。」
織田信長は家臣に言いつけると、
「さあ、行こう。」
と言った。
町を散策した。
信長は笠を深く被り、供を二、三人連れただけの忍び姿だ。
神経質そうな相手だけに、気を遣って重苦しい雰囲気になるかと思ったが、思いがけず、楽しいひとときとなった。
彼は好奇心が旺盛で、質問は的確、時々差し挟む彼自身の考察も独創的で、案内している紅の方が教えられることも多く、わくわくした。
ずっとこうして一緒に歩いていたいとさえ、思った。
彼も楽しんでいるようだった。
だから港へたどり着いたとき、まだ陽が高かったので、
「火点し頃は、もっと情緒溢れる景色になるんですよ。御覧いただけないのは残念です。」
ふと思いついた。
「もし宜しかったら、菜屋にお泊りください。たいした物はありませぬが、心より馳走致します。その後、夕暮れの景色から、陽が沈んで辺りが暗くなるところを御覧になり、月明かりの中を散策できましょう。お供致します。」
「ならば」
彼女の顔を見た。
「夜の伽は、そちがしてくれるのだな。」
はっとした。
信長が笑い出した。
「そんな情けない顔をするな。傷つくではないか。それにしても、そちは無邪気だな。男に対してはもう少し慎重に振舞え。でないと痛い目に会う。」
真面目な顔になった。
「してみると真か?そちが上杉の倅の喜平二の想い者、というのは?」
「ま、まさか、それは、私が勝手に……。」
「そうか、本当か。」
ちょっと面白くなさそうに言った。
「そちが想っておるなら、相手はその何倍も想っているだろう……戻る。」
踵を返して、さっさと歩き出した。
機嫌を損ねてしまった、と後悔しながら、慌てて後を追った。
菜屋に戻ると、家臣に、
「用意は出来ているか。」
出来ております、と答えが返ってくるや否や、勝手に部屋に上がって、ずんずん進む。
奥の座敷に至って、紅は目を疑った。