第45話 雪辱
三好三人衆は、松永久秀の味方が籠る家原城をまず落とし、京を見下ろす将軍塚の砦を炎上させた。そこから二手に分かれて、薬師寺九郎左衛門を先陣に、本圀寺へと攻めかかった。
永禄十二年一月五日。
矢合わせを合図に合戦が始まった。
寺の周辺には火が放たれた。
折からの北風に煽られて、黒煙と炎が渦巻いて、こちらに押し寄せてくる。
十重二十重と囲まれて、御座所が落ちるのは時間の問題と思われたが、公方側はよく守った。敵が突入してくればそのたび、押し返した。特に若狭衆の活躍は目覚しく、薬師寺軍の本陣に肉薄して奮戦したが、惜しくも槍を付けられて、次々と戦死していった。
糸千代丸は、公方の側近くを守り、紅は、明智光秀率いる鉄砲隊に属した。
平和な現代からは想像もつかないが、当時の寺は堀に囲まれ、石塁を築き、兵を備えたれっきとした『城』である。
紅たちは石塁に陣取った。上端の幅が二間{約四メートル}程のものである。ここは重要な防御線なので、僧兵が自在に上り降りできるように、雁木{石塁の城内側を全面的に幅広い階段状にしたもの}になっている。兵たちは雁木に身を伏せて、鉄砲を構えた。
光秀は風の向きをみて、発射に最適な瞬間を図る。
彼の合図で、いっせいに撃つ。
一気に三十騎も、ばたばたと倒れた。
光秀の指揮は合理的で、状況判断も的確だ。
算を乱して逃げまとう敵に、味方の意気は上がる。
が、次の瞬間、光秀の肩に矢が突き刺さった。手にした軍配を取り落として、後ろへのけぞった。
「明智さまっ!」
紅が駆け寄ると、気丈に声を振り絞った。
「見えますか、あの、赤い旗の下、光っているのが。」
目を凝らした。
「はいっ、見えます!」
「敵の大将の兜が光っているのです、おそらく。撃てますか?」
遠すぎる。
思ったが、同時に口をついて言葉が出た。
「はいっ、撃てますっ!」
狙いを定めた。
「あせらなくても大丈夫。落ち着いて。合図します。」
光秀が頃合を計る。
猛風が止んだ。
「今です!撃って!」
引き金を引いた。
光る物が後方へ吹っ飛ぶ。
敵の本陣は騒然となった。
光秀と顔を見合わせて、同時に息を吐いた。
「腕を上げましたね。」
光秀が褒めてくれた。
紅は言葉も出ず、頭を下げると、額の汗を拭った。気を取り直して、新たに弾を込めようとすると、誰かが横から新しい鉄砲を渡してくれた。
「ありが……。」
ふと横を見て、気が付いた。
「猿!」
紅が居る塀の内側にも、唸りをたてて矢が続けざまに飛び込んでくるのに、猿若はにこにこしている。
「お久しゅうございます。」
朝の散歩の途中で、たまたま出会ったかのように、穏やかに言った。
「後詰が近づきつつありますので、お知らせに参りました。」
三好勢が攻めあぐねている間に、鞠の知らせを聞いて、摂津の豪族たちが兵を率いて駆けつけてきたのである。
摂津軍は、三好勢と桂川で激突した。
援軍は真冬の強行軍で疲れきっていたが、黒煙を上げて戦った。伊丹勢の奮戦で、高安権頭ら敵の猛将を次々に討ち取った。
東寺でも近江勢が対戦し、敵八百騎を討ち取った、との知らせを公方が受けているところへ、囲みを破って三好の決死隊が突入してきた。
光秀の隊も駆けつけて、乱闘になった。
公方が逃げようとして、躓いて倒れた。
糸千代丸は、身を挺して公方を守ろうとした。
白刃が、二人の頭上に振り下ろされようとした、瞬間。
相手の首がすっ飛んだ。
部屋に飛び込んできた男が、抜く手も見せず刀を振るったのだ。
首の無い身体が、血飛沫を撒き散らしながら、どうっと倒れた。
「待たせたな。」
『彼』は言った。
「上総介さまっ!」
光秀が叫んだ。