第42話 この世の成り立ち
朝な夕なに水を遣り、日に当て、雑草を取り、虫が付けば、これが又、よく付くのだが、一つ一つ、手で取った。植物が日に日に生長していく姿を見ていると、だんだん面白くなってきた。
久秀は、全て紅に任せっきりというわけでもなかった。いつ観察しているのか、やれ今日は地面が湿っているから水を遣り過ぎるな、下生えが黄色くなっているのは肥料が足りないせいではないかと、紅の手が回らなかった点を的確に指摘して、こうしろ、ああしろ、と口うるさく指示する。
(それだけわかってるんだったら、自分でやってよ)
と思いながらそれでも、彼の言うとおりにすると結局、植物の為になるのだ、と気づいて、黙って従った。
久秀が逼塞するにあたって、たくさん居る家来の中から唯一人連れてきた弥八郎は、小柄で風采の上がらない男で、白髪ながら今だ美丈夫の面影が色濃く残る久秀と並ぶと、何でこの男を護衛になぞ選んだのだろう、と不思議に思われた。が、流石うるさい霜台が選び抜いた男だけあって、怪我した足もものかは、それを補って余りある、たいそう頭の切れて、気も利く男であった。
何くれとなく鞠や小太郎の世話を焼き、紅が、大きくなった苗を、裏庭を耕して作った小さな畑に植え替えるのを手伝った。
「例えば、桜がよい例でございますが」
植物など育てたことの無い紅を、さりげなく補佐してくれながら、言う。
「花が咲けばつい、そちらに目が行ってしまいます。花を見上げて皆、木の下で踊ったり歌ったり、足を踏み鳴らして土を固めてしまいます。でも一番大切なのは、土の下、見えないところにある根でございます。」
ここでございますよ、と土の具合を調べて、少し耕す。ころころとした白い芋虫が出てくると、根を食べる害虫でございます、と、大鉢で飼ってる金魚にやる。
これで根が呼吸が出来るようになります、と満足そうに言う。
「踏み固められた土の中では、根は伸びることが出来ません。翌年の桜は去年のものより花が少なくなり、段々枯れていってしまいます。何事も基が大事でございますよ。戦が絶えませんから、武力を握っている武士が威張っておりますが、何、百姓や商人がおらねばこの世は成り立たないのです。」
武士の世界から放り出された紅の越し方を知ってか知らずか、言う。
何でもよく知っているので、どういう出自か尋ねたところ、三河の松平家で鷹匠をしていたという。
いつも穏やかで根気強い。
「鷹は敏感でしてな」
紅によく鷹狩りの話を聞かせてくれる。
「鷹匠がいらいらしてたりすると落ち着かないし、喧嘩したり激高したり、普段と気持ちが違っているとすぐ察して、もう言うことを聞きやしません。」
物言わぬ生き物と毎日接しているうちに、相手の気持ちを推察し、対処する力が養われたのかもしれない、それを人間相手にも応用しているのだと紅は思った。
何でも熱心な門徒で、三河で起きた一向一揆で主に逆らって牢人になり、久秀に仕えているという話であった。
久秀は、
「あそこの家中は武勇一辺倒の田舎侍ばかりじゃが、弥八郎は一人、強からず柔からず、又、卑しからず。尋常の者ではない。」
と言って目を掛けている。
「ご存知ですか、小御所の庭に、百数十種の菊が植わっているのを。」
ある日、弥八郎が紅に言った。
絶えず何かしら花が咲いていて、それは見事な眺めだという。
武衛陣にもよく出入りしていて、紅も度々茶を出したことがある、公家の山科言継が丹精しているものだが、庭の手入れをしているのは一人、言継だけではない。公家たちの間で、草木の鑑賞が流行しているのだという。宮中の庭に其々、自分の菊を植えて、見廻っては花を観賞し、種や株を知人に分け与えては増やしている。
「皆さま、新しい草花に関心がおありです。」
紅は考えた。
京の都は政治のための街でもあるから、御所や幕府には、権力を示すための大きな庭が付いており、権威を表す行列が進むための広い道が整然と通っているが、商業都市である堺には、必要最小限の公共のスペース以外には、ぎっしりと店や倉庫や住居が立ち並んでいる。
「堺は砂洲に出来た街だから、潤いになる緑が少ないわ。珍しい種や球根・株を探し育てて、鉢にして売れば、よい商売になりそうね。」
弥八郎に手伝ってもらい、蔵の脇に小さな花壇を作って、園芸用の草花の栽培を試みることになった。
久秀が堺に逼塞している間にも、三好三人衆は着々と優位を固めつつある。
六月には秘匿されていた三好長慶の喪を発表して、盛大な葬儀を営んだ。一方、久秀の摂津での拠点であった越水城や滝山城を落とし、大和を除く畿内を制覇した。
久秀の息子の久通は一人、多聞山城に籠って、三好三人衆に組する筒井順慶と戦っている。
だが久秀は相変わらず、悠々自適の日々を送っている。
「何か待っていらっしゃるのかしらね。」
紅が言うと、糸千代丸は
「待っている間に、全て終わっちまいそうだな。」
その娘の前で、遠慮ない口を利いた。
「……。」
「そういえば、霜台さまが山城から持っていらした例の植物、花が咲いたんですよ。」
紅が慌てて話を逸らした。
鞠が見たいというので、蔵の脇に連れて行った。
「わあ、思ったより背が高いですねえ!」
植物は鞠を見下ろす高さである。
持ってくる途中で枯れたのと、植えても土地に合わず、駄目になったのがあったが、それでも十数本が生き残っている。集団で生えていると、なかなかの迫力である。
「ほら、咲いているでしょ。」
真ん中に赤黒い目を持つ淡い黄色の大きな花が、ふんわりと開いている。
「これは元々、日本には生えていなかった植物なんでしょう。だって、よそでは見かけませんもの。」
鞠が言った。
「いったい何処から来たんでしょうね。」
「きっと夏から秋にかけて入港してくるっていう貿易船が運んできたんでしょうよ。」
紅が言った。
「駄目になっちゃったのもあるけど、残ったのはたくましく生きている。」
「何処でも根を下ろして、生き続けていくんだな。」
糸千代丸が言った。
そう、私たちのように。
三人とも思った。
黙って花を眺めていた。