第41話 金のなる草
こんなことになってしまって、さぞ気落ちしているだろうと思われたが、久秀はちっともへこたれていないようだった。
久しぶりにのんびり出来るわい、と、のたまって、菜屋で悠々、居候を始めた。
却って、鞠や糸千代丸のほうが気を遣って、番頭や女中の手伝いをしているのに、
「おうおう、若いもんは働け、働け。」
と笑って、自分は、今日は茶の湯だ、明日は連歌だ、と旧交を温めると称して、出歩いてばかりいる。
周りを気にしていないよう、でも案外目配りをしていることがわかったのは、紅が蔵を開けて中を調べているのを目ざとく見つけて、しつこく訳を聞いてきたからである。
「この店は立地がいいので、倉敷料{倉庫の賃貸料}は安い方ではありません。そうは言っても、このまま細々、切り盛りしていても、先行き見込みは暗いかなって思いまして。あかの他人の私が」
紅は答えて、
「差し出がましい、とは思ったのですが」
ずっと気になっていたから、と言った。
「このうち、あんまり内所{暮らし向き・家計}がよろしくないようですから。」
先だって磯路が、会所に久秀と出かけた時だって、
「女将さんは、改まった所にお出かけの際のお召しの着物が決まっていらっしゃるんです。」
失礼とは思うけど、ここ何年も、新調なさっていらっしゃらないように見受けられる。
このお店は、そう遠くない将来にたたむおつもりでいらしたように思う。それで上手く行くよう、遣り繰りしていらしたのに、たまたま私を拾ってしまい、裸で居させるわけにもいかないから、やれ着物だの、子供だから、堺で恥ずかしくなくやっていけるような教養を身に着けさせようだの、何かと物入りになり、
「私には新しい着物を買ってくださって、御自分は古いもので我慢なさっているのです。」
そこへ今度は、久秀が尾羽打ち枯らし、鞠と糸千代丸と郎党を連れて転がり込んできた。
「お気の毒に、時勢味方せず、霜台さまがこのまんま、ずーっと堺に没落していらしたら」
「余計なお世話じゃ!」
久秀が耐えかねて、口を挟んだ。
紅は意に介せず、続けた。
「この家は破産してしまうかもしれません。」
辺りを見回した。
重厚な造りの三階建ての蔵が、ずらりと並んでいる。
今ではその中身は空っぽだが、
「昔は栄えていたことと思われます。あたら老舗が……。」
「うむ。先代がお元気な頃は、大層なものじゃった。」
「霜台さまも鞠さまも、御親族でいらっしゃるからいいですけど、私は居候ですから、そうそう甘えてばかりもいられない、と思って」
何か商売の手助けになる物は無いかと、蔵を開けて調べていたのです、と締めくくった。
「ここは昔、八百屋だったそうですから、何か珍しい作物でも扱ったらどうか、と。」
「そんなことを考えていたか。」
久秀は面白そうに紅を眺めた。
「そち一人の考えか?」
「そうです……というより、小侍従さまならそうなさるかな、と。」
「小侍従か。あれは武衛陣を、一人で仕切っておったからな。」
久秀は感慨深そうに言った。
「出来る女、じゃった。」
「私は越後の出ですが」
紅は言った。
「お屋形さまが、あれだけ度々、戦をなさっても、軍資金が潤沢なのは」
越後が日本一の苧の産地だからである。
この頃の越後は、今日の日本有数の穀倉地帯と同じではない。大小無数の潟から成る荒地だった。当然、耕作には適さない。採れるのは苧、くらいだ。
苧は又の名を、カラムシという。当時衣類の材料といったら他は、高貴な方々がお召しになる絹くらいで、庶民の衣類は、苧や麻で作られた。苧は日本国中で採れたが、中でも越後の産は古来上質で、上流階級の贈答品としても用いられる程であった。
謙信は、これを都に積極的に売り出し、莫大な利益を上げていた。
この苧を扱っていた越後青苧座のように、
「何か特徴のある物を扱うことが出来れば、手堅い収入ともなりますし、もし当たれば、大変な儲けになるのですけれど。」
「そち、武家より商家のほうが合っているのではないか。」
「私が、というより越後の国自体が、商業の大変盛んな地域なのです。苧は換金産物でございますから。」
紅は言った。
「だから自然と、そういう考えが身に付いているのかもしれません。」
「紅。」
霜台は言った。
「今宵、わしに付き合え。」
「嫌です。」
即答した。
「こ、こやつ、何という……。」
「だって、何で敵、もとい、元・敵の言う事、聞かなきゃならないんですか。」
「何もしやせん。」
うんざりしたように言った。
「出かけるから供せい、と言っただけじゃ。そち、鉄砲は得意じゃろ。護衛に付け。弥八郎は今、膝を痛めていて、馬を早く走らせることが出来んのじゃ。」
夕方、二人で馬を飛ばした。
「何処まで行くのですか。」
町を出て行くので、紅が聞いた。
「堺を離れたら、危ないのではないですか。」
「黙って付いて来い。」
北東に向かって進む。
大和の自分の城に帰るのかと思ったが、奈良も過ぎて、山城に入った。
「ここは木津じゃ。」
京、大坂、わけても奈良に近く、奈良時代には平城京などの都城建設に伴い、木材運搬用の港、つまり木の津として栄えたことからその名が付けられた。
でも城下には入らず、近郊のとある農家の前で馬を止めた。立派な濠や塀を廻らした、土豪といった風情の、大きな家である。
「見張りは居ないようじゃな。」
濠を渡り、土塀を越えた。
作業小屋に忍び入った。
作り付けの棚には、一尺程の長さの沢山の箱が整然と並べられていた。箱の中には、可愛らしい双葉を黒土から覗かせた苗が、これも又、きちんと列を作っている。
「やっぱり。まだ苗床にあるわい。」
ほくほくしている。
「平包は持ってきたか。」
「はい。」
久秀に言われて、あらかじめ数枚用意してきた。
「包むのじゃ。急げ。夜が明ける。」
「あの。」
「何じゃ。」
うるさそうに言った。
「これって、泥棒じゃないですか?」
紅の頭には、濁流に浮き沈みする筵がある。
「構わぬ。」
「……。」
「ここはな。」
説明せねばならんか、という顔で言った。
「釣竿斎{三好政生・政康とも}の家臣の畑じゃ。三日月宗近。知っとるか。」
「ええ。」
忘れるわけがない。
「どさくさに紛れて、あれを奪って、我が物にしとるんじゃ、奴は。どうじゃ。まだこれでも、泥棒と言うか。」
だったら、仇討ちだ。
「いいえ。」
きっぱり言った。
「急ぎましょう。」
一箱包んで、小屋を出た。
濠を渡っていると、夜がしらじらと明けかけた。
「あっ!誰だ!」
農家の朝は早い。
起きてきた下人に見咎められた。
塀の上から矢を射掛けられた。
当時の農家は、武家とあんまり変わらない。
「待てえっ!止まれっ!」
大声で呼びかけてくる。
が、誰が止まろうか。
「何で、あれがあそこにあるって知ってたんですか?」
追っ手が見えなくなったので、ひと息ついた。
「奴が自慢して話していたからの。ふん、わしの物はわしの物、奴の物もわしの物、じゃい。」
「まあ。」
「何が悪い。三好が今の勢力になったのも、わしの尽力のおかげじゃ。修理太夫さま亡き今、三好の物は全てわしの物じゃい。」
この人が三好の連中に嫌われる訳、わかった気がする。
「ん!何か言ったか?」
先を行く久秀が振り向いた。
「いいえ、何も。」
大声で応えた。
無事、堺に着いた。
菜屋の蔵の前で包みを開いた。
乱暴に揺すられながら長い距離を運ばれたため、小さな苗たちは疲れて、ぐんにゃりしている。
「何ですか、これ。」
「これか?これはのう。」
笑いが止まらないようだ。
「金のなる草、じゃよ。」
「鉢木{盆栽}ですか?」
に、しては貧弱。
こんな物の為に命懸けたの?
「何か」
紅の頭には、多聞山城での久秀と長慶の骸の姿が鮮明に残っている。
「変な物、生えてきません?」
「何じゃ、変な物って。」
ちょっとむっとした。
「水を遣っとけよ。」
世話は任せる、と、鼻歌交じりに去って行った。