表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の如く 風の如く   火の章  作者: 羽曳野 水響
42/168

第40話 再会

 この平和がいつまでも続くと思っていた。

 ここに居れば安全だと信じきっていた。

 でも堺も、外の世界と関わりなくるわけではないことを思い知らされたのは、あの悲しい事件が起きてそろそろ一年になろうとする、永禄えいろく九年初夏(しょか)の、ある夕方のことであった。

 亀女が戸締とじまりをした途端とたん()()()()と戸を叩く音がする。

 紅もちょうど、その場に居合いあわせた。

「どなた?」

 亀女が聞くと、

「お亀であろう。久しいの。わからぬか、わしじゃ。開けてくれ。」

 向こうから声がする。 

「まあ、彦造ひこぞうさま。」

 亀女は驚いた。振り向いて紅に言う。

「奥さまの姪御めいごさまの旦那だんなさまですよ。」

 はいはい、今、開けます、と急いでつっかい棒をはずして、くぐの扉を引いた。

 紅は、身をかがめて入ってきた人物と顔を合わせた。

 お互い、ぎょっとした。

 口をいたのは、向こうのほうが早かった。

「生きておったか。」

「霜台さま。」

 紅は言った。

 松永弾正久秀であった。

「どのツラげて」

 いつのにか、かまちに磯路が立っていた。

()()()()とよくもまあ、ここに顔が出せたものだね。」

 見下みおろして、冷たく言った。

「困ったときの親戚、でございますよ。」

 久秀はうすら笑いを浮かべた。

「おや、もう親戚じゃないはずだが。」

夫婦めおとならそういうこともございましょうが。」

 久秀は身体をずらして、後ろに立っていた者を示した。

「鞠さま!」

 紅は土間どまに飛び降りた。

 鞠も転がるように入ってくると、紅に抱きついて、わっと泣き出した。

 その後ろから、糸千代丸が姿を現した。

 紅と目が合うと、仏頂面ぶっちょうづらうなずいた。嬉しいくせに照れてしまって、どういう顔をしていいのかわからないらしかった。

 あとは、弥八郎やはちろうという、ひざを痛めてびっこを引いている若い近習きんじゅうを一人連れただけで、主家より権勢を振るっていると言われた男らしからぬ、質素なちである。

「外の世界に、たんと御用ごようがおありだったんじゃないのかい。この子たちだけ置いて、帰ってくれても構わないんだよ。」

「それが、そういうわけにも参りませんで。」

「ああ、招かれざる客も一緒いっしょってわけかい。」

 磯路は紅に、

「出かけてくる。ちょいと手伝っておくれ。」

 紅は、亀女に鞠たちの世話を頼むと、磯路の後に続いた。

たずびとって、霜台さまのことだったんですか?」

 仕度したくを手伝いながら聞くと、

「あんなの。」

 き捨てた。

「違うよ。あれは何処に居るか、とっくにわかっていた。わかり過ぎるくらいね。自分の都合のいいときだけ頼ってくる。鞠と彦六ひころく{久通}を人質に取ってんだ。あの男とはとっくに縁を切っているつもりだが、あの二人が哀れでね。彦六はもういい、大人だから自分の意思で動ける、でも鞠はまだ幼い。新しい継母ともあんまり上手うまくいっていないようだし、一人で淋しがっているようだから、こっちに引き取ると度々(たびたび)、言ってやっているんだけどね。今度のようなことがあると、いい手駒てごまになるから、なかなか手放したがらないのさ。」

 磯路は久秀と共に、番頭を連れて、会所かいしょに出かけていった。

 子供たちは紅の部屋に集まって、再会を喜び合った。

 湯浴ゆあみし、さっぱりした物に着替きがえて、鞠と糸千代丸は、心からくつろいだ様子だった。

「堺に親戚が居ることは、前々から存じておりました。あの後、よっぽど頼ろうかと思ったのですが、堺も三好のうちでございますから、かえって父のほうが良いかと。」

「えっ?」

 驚いた。

「堺は、何処どこの勢力からも自由なんじゃなかったの?」

「三好にどっぷり、だよ。」

 糸千代丸が行儀の悪い言い方をした。

「確かに、和泉両守護はもちろん、近隣の守護や幕府でさえ、堺の町政への関与を避けている。でもだからといって、よその軍勢が町の中に入ってこないというわけじゃない。堺は堺で牢人ろうにんを雇ったり、環濠かんごうほどこして武装化しているが、三好とは持ちつ持たれつなんだ。三好は法華宗ほっけしゅうの熱心な檀越パトロンで、町民にも法華宗の信者は多い。しかも有力な納屋衆の多くは三好の政商なんだ。堺は、表向きは町民の自治都市だが、実際は、三好の兵站へいたん基地のようなものさ。」

「よく知っているわね。」

 紅が感心すると、糸千代丸は、

「父上は政所まんどころ執事しつじだ。俺は嫡男ちゃくなんで、その跡継ぎなんだぜ。」

 満更まんざらでも無さそうな顔をした。

「お父上はどうなすったの?」

「それが……行方知ゆくえしれずなんだ。霜台にも調べてもらったんだけど……。」

 義輝の弟二人のうち、鹿苑院院主の周嵩は殺されてしまったが、興福寺こうふくじ一乗院いちじょういん門跡もんぜき覚慶かくけいは、松永久秀の監視下に置かれていた。

 覚慶は七月、すきを突いて近江に脱出し、翌年の二月には還俗げんぞくして義秋と改名し、対抗馬たいこうばの義栄が上洛出来ないのを尻目しりめに、四月には朝廷から、将軍就任の前提ぜんていとなる従五位下左馬頭に任命されていた。

「父上も近江においでじゃないか、と霜台は言うんだが」

 糸千代丸は、奥歯に物のはさまったような言い方をした。

「じゃあ、良かったじゃない。」

 紅が気持ちを引き立てるように言うと、糸千代丸は、

「でも俺にとっての公方さまは、覚慶さまじゃない!断じて、ないんだ!」

 叫んだ。

 沈黙が支配した。

 全員、同じ気持ちだったからだ。

「陸奥守さまがおっしゃっていた。」

 紅が沈黙を破って、鞠に言った。

「霜台殿の主も、修理太夫ただ一人だって。」

「よくおわかりですこと。」

 鞠はため息をついた。

「仲間割れするのは、あっという間でした。いえ、父には既にわかっていたのです、だから武衛陣の攻撃には加わらず、覚慶さまを保護したのです、もっとも。」

 苦笑した。

かえって、怖がらせてしまったようですけれど。」

 義輝が討たれた二ヵ月後の永禄八年七月には既に、当主の義継を手の内に納めた三好みよし三人衆さんにんしゅうと、松永久秀の不仲は表面化していた。

 八月には、武勇に優れ誠実で名高く、久秀より早く三好家中で認められていた弟の長頼が、丹波たんばで討ち死にして、久秀は有力な支えを失った。

 十一月には、三人衆が飯森城を攻撃し、久秀と関係を絶った。

 三人衆と久秀は互いに、土地の土豪どごうを始めとする他の勢力とも結んで、畿内きないを舞台に戦った。だが久秀は次第に押され気味になり、堺に追い詰められた。

「修理太夫さまの亡骸なきがらも三人衆に奪われてしまって、父は気落ちしてしまいました。」

 鞠は言った。

「伯母さまに口をいていただいて、会合衆えごうしゅうに頼んで、和をわせるつもりです。」

「そんなことが可能なのかしら?」

「可能だろうよ。」

 糸千代丸が口をはさんだ。

紛争ふんそう当事者とうじしゃの一方がこの町に逃げ込めば、他方は追求することが出来なくなるんだ。」

「へえ。」

治外ちがい法権ほうけんっていうか、一種の『でら』みたいなもんだな。」

 やっぱりすごいじゃない、堺。

 磯路と久秀はその夜、とうとう帰ってこなかった。

 経緯けいいは翌朝、疲れきって帰ってきた磯路から聞いた。

 当時、会合衆のかしらであった能登屋のとや臙脂屋べにやが代表として、久秀を追ってきた三人衆にけ合った。堺での合戦を避け、戦は三人衆側の大勝と定めて兵を返すように、南北荘こぞって非戦をお願いする、と伝えた。

 三人衆側も、堺の機嫌きげんそこねて、将来、軍用金ぐんようきんなど必要なときへそを曲げられても困る、とでも思ったのだろう、承諾しょうだくした。

 翌月、糸千代丸の言ったとおり、武装した三好の兵が威儀いぎを正して、堺の町に粛々(しゅくしゅく)と入ってきた。町の広場に集まると、勝鬨かちどきの声を上げて勝利のあかしとし、そのまま兵を引き上げた。

 おおやけの記録には、

「この時、松永弾正は夜陰やいんまぎれ、行方知ゆくえしれずになった。」

とあるが、そのじつは、菜屋の中二階ちゅうにかい虫籠窓むしこまどから、三好の兵が下の道を通っていくのを、くつろいで見物していたのである。



      挿絵(By みてみん)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ