第39話 銭と鉄砲
磯路に呼ばれた。
「鉄砲鍛冶屋にお通いだそうだね。」
言われた。
「最初に言ったはずだ。ここは商家だ、と。商家は銭で戦うのだ、と。」
「申し訳ございませぬ。」
手を突いた。
「やっぱり武器が気になるんだね。」
「自分の出自を忘れることが出来ませぬ。」
覚悟を決めて言った。
追い出されるかもしれない。
ここを追い出されたら行くところが無い。
でも自分の心を偽ることは、どうしても出来なかった。
「鉄砲を習ってどうしようとも思ってはおりませぬ。でも、自然と足が向いてしまいます。鉄砲は武家にとって最高の武器です。どうしても惹かれて止まないのです。」
公方の最期が目の前にちらついて仕方ないのだ、と訴えた。身を守る物が欲しいのだ、とも言った。
「それは違うね。」
磯路は静かに言った。
「刀は大勢の者が持っている、じゃあ鉄砲だ、でも鉄砲も大勢の者が持つようになると、どうする?もっと強い武器、もっともっと強い武器、きりがない。お前さんの考えは間違っている、あたしはそう思うね。」
責めている口調では無かった。
「ただ、お前さんが出自を忘れることが出来ないのは無理もないと思う。それはあたしが捻じ曲げることは出来ないだろう。」
窓の外に目をやった。
「他人の考えを無理に捻じ曲げようとして、しくじったことがあるのさ。お陰で今、行きたくもない人ごみに行かなきゃならない。まあ、そのせいでお前さんとも出会えたんだけどね。」
紅を見た。
「今度、あたしとその鍛冶場に出かけることにしよう。ちゃんと挨拶するんだよ。だらだら毎日入り浸ってないで、あちらさんの御都合も伺って、寄せてもらうがいい。それから幾つか習い事をするんだ。家の仕事も、ぼちぼち仕込んでいくからね。真っ新っちゃ聞こえがいいが、要するにお前さん、何も知らないだろう。ぼんやりしていると、どんどん年とっちまう。商家には商家なりの教養が必要なんだ。」
それからやっぱり、紅の日々は忙しくなっていった。
堺は戦乱を避けて都から落ちてきた貴族が多く住んでいて、町人も自然と学問を好み、商売や付き合いの上で何かと学問や教養が必要なのは、ある意味、都以上であった。
越後や公方の元で学んだ以上の教育を体系的に身に着けることが出来たのは、彼女が今後、堺で人付き合いしていくうえで大きな収穫であった。
磯路からは算盤を教わった。
算盤は当時、明から伝わった最新鋭の計算機であった。越後では見たことも無かったものだったが、やがて自在に使いこなすことが出来るようになった。
店の経営についても、少しずつ教わっていった。
生活は勿論、着る物も段々、商家のお嬢さん然とした物に変わっていった。
人々は、菜屋は拾ってきた美少女を養女にし、そのうち婿をとって跡継ぎにするのだろうと噂した。
そんなある日。
自室に戻った紅は、書き物机の上に載っている包みを目にして、はっとした。
振り返ると、忽然と人影が湧き出している。
「猿若。」
頭を垂れた。
「お久しゅうございます。あのときは、お守り出来なくて申し訳ございませんでした。御無事で、本当に宜しゅうございました。」
「そなたも」
紅は言った。
「無事で何よりだった。」
「ずっと都を探しておりました。まさか、堺においでとは存じませんでした。」
「ここの御主人に助けていただいたの。」
「良い方のようでございますな。鉄砲鍛冶のことが評判にならなければ、探し出すことは出来なかったかもしれません。」
「ところで」
一番気になっていたことを聞いた。
「鞠さまと糸千代丸殿は如何した?」
「信貴山城へ送り届けました。」
猿若は言った。
「三好三人衆は、修理太夫{三好長慶}の弟の豊前守{三好実休}を討ったのは、公方さまだと思っていたようです。かの者の仇討ちと言い立てて公方さまを殺害しましたが、豊前守は、霜台{松永久秀}が修理太夫に可愛がられているのに反発していました。その仇討ちを霜台がするとはとても思えません。霜台は自身申した通り、あの襲撃には関係無いように思われます。鞠さまは兄上と喧嘩なさったということで、お城にお戻りになるのを嫌がっていらっしゃいましたが、父上の元が一番安全だろうということで、ひとまずお帰りになりました。」
「糸千代丸殿が、追い腹切ったりなさらなけりゃいいけど。」
「鞠さまが、責任を持って面倒見るとおっしゃいました。お任せする以外、無いでしょう。」
鞠と糸千代丸がとりあえず無事で、安心した。
「そなたを遣わした主は一体誰なの?ひょっとして……お屋形さま?」
紅は、今まで聞きたくてたまらなかったことを口にした。
「もしお屋形さまなら何故、あたしのことを気に掛けてくださるの?」
猿若は、ぼそぼそと答えた。
「その質問には一切、お答え出来かねます。」
「何で?」
声が裏返ってしまった。
「教えてよ!気になって仕様が無いのよ!お祖父さまと、喜平二さまのお父上の間には、何があったの?」
「御質問にお答えしたら、あなたさまは、手前のことを寄せ付けては下さらぬようになるでしょう。それは主にとって、不本意なことだから、でございます。」
「やっぱり何かあるのね。でも言えない、と。」
紅は沈んだ声で言った。
「ただ一つ、あれからの経緯についてお話致しましょう。」
猿若は言った。
「上方での異変がお耳に届くと、主はたいそう御心配なさり、越前の朝倉家にお問い合わせなさいました。ところがはかばかしいお返事が無かったため、お怒りになり、もう少しで国交断絶の仕儀に相成るところでございました、とだけ申し上げておきましょう。」
紅は顔を伏せて考え込んでいたが、
「わかったわ。そなたとは又、会えるわね。」
「いつも見守っております。」
軒猿は答えた。