第35話 処刑
辻には高札が立っていた。公方の縁者を捜し求める御触れだった。
三好は、御台所が身籠っていることまで掴んでいるように思われた。
生まれる子がもし、男だったら。
長じて彼等の恐ろしい敵となるかもしれない。何としてでも抹殺しなければならない。
三好は血眼になって、公方の子を身籠った者の行方を捜し求めていた。
密告した者には過分の褒美を取らす、匿った者は厳罰に処すとの高札が、昨日まで無かった所にも次々と立てられた。
褒美に目が眩んだのか、或いは処罰が恐ろしかったのか、やがて、公方の子を身籠った者が密告によって捕まり、処刑されるという噂が人々の口の端に上り、紅の耳にも届いたのは、武衛陣が焼け落ちて一月以上たってからのことだった。
処刑場だという東山の知恩院に向かった。
見上げるように大きな山門の下に広がる、鬱蒼とした森の中、刑場を取り巻く垣には大勢の人々が張り付いて、処刑される女を一目見ようと、押し合いへし合いしていた。
公方の妻が処刑されるなど、幕府始まって以来の椿事である。
楽しみに見ている者も多かったが、何の罪も無い母子を殺す三好と松永の残忍なやり口に、眉を顰める者もたくさんいた。でも、ぎらぎら光る鑓を構えた兵士たちを前に、非難の声は囁きにしかならなかった。
紅は、人の足の間を這い蹲って潜り抜け、一番前に出て、散々小突かれながらも、垣に張り付いていた。
御いちゃの局は、どんなに心細く怯えていることだろう。神経の細いお姫さまのこと、処刑される前に、死んでしまうかもしれない。
却ってその方が幸せだ……と思いながら目を凝らした。
見たくは無かった。でも、見ずにはいられなかった。
随分待たされた。
今日は久しぶりに雨が上がって、夏の太陽が、人々の頭上から、じりじり照り付けている。
皆が待ちくたびれた頃ようやく、女が刑場に引き出されてきた。
刑吏に引き立てられてきた女を見て、我が目を疑った。
小侍従だった。
きっと首をもたげ、背筋を伸ばして、こちらへ向かってくる。
彼女も襤褸を着て、随分痩せてやつれていた。顔は蒼白で何の表情も無く、でも足取りはしっかりしていた。
紅は、その場に凍り付いて、立ちすくんでいた。
身籠ってなどいない筈なのに。
(身代わりになったのだ)
御いちゃの為に、いや、義輝の為に。
愛する男の子供を助ける為に、自分の命を犠牲にするのだ。
小侍従らしい、と思った。
目が合った。
小侍従の目に、光が差した。
唇をきりりと結んだ。
紅の真正面に座らされた。
刑吏はまだ若い男だった。
刀を、水で湿した。
小侍従は手を胸の前で組んで、何か祈った。
刑吏が、彼女の傍らに立った。
小侍従は長い髪を片手で掴むと高く上げて、彼が首を落としやすいように、首筋を露にした。
刑吏が刀を高く上げ、振り下ろした。
ところがその一撃は、彼女の後頭部に加えられた。
忽ち、辺りは血の海になった。
小侍従は痛みに悶絶し、もともと、この処刑に不満を持っていた人々は非難の声を上げ、刑場は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。
「下手くそね。」
小侍従は血まみれの顔を上げて、苦しい息の下から、驚異的な忍耐力で、刑吏に言った。
「まず呼吸を整えなさい。足を踏ん張って、刀をしっかり持って、真っ直ぐ振り下ろすのよ。私が……髪を上げているから、こ、ここよ。」
流れる血に生命を奪われながらそれでも、彼女はやっぱり、小侍従なのであった。
(死をもって、あたしを教え導こうとしている)
鮮烈に思った。
芯のある生き方とは何か、を。
小侍従の芯は。
義輝への愛、だった。
小侍従の首が刎ねられて、宙に飛ぶのを見ながら、目の前が真っ暗になるのを感じた。