表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
火の如く 風の如く   火の章  作者: 羽曳野 水響
34/168

第32話 炎上

 部屋の外に出ると、表の方から、刃物を打ち合う音や叫び声が聞こえてきた。

(何か燃えている)

 鼻をつく匂いがして、のど()()()()()()なった。

 やしきに火が掛けられたのだ。

 いよいよ最後のときが迫っている。

 皆の一番後から部屋を出ようとして、紅は振り返った。

 義輝は全ての刀をさやから出すと、たたみに順々にして、ぐるりと半円を描いていた。

 如何いかな名刀といえども、数人も斬れば脂が巻いて使い物にならなくなる。惜しげもなく刀を換えながら、戦わなくてはならない。実戦じっせんを知っている男らしい、実用的な刀の使い方だった。

 自ら戦うのは将軍らしからぬこと、とそしる人もいるだろう。でもある意味、武家のかしらとして最もあるべき姿ではないのかと、彼女は感じたのである。

 それが、公方くぼうを見た最後となった。

 奥では、娘二人を抱えた御台所みだいどころまわりに、侍女じじょたちが一塊ひとかたまりになっていた。

 御台所のいちゃのつぼねは、人々が、公家のお姫さまならこういう人物であろう、と想像するとおりの女である。

 前久を見ると、ほっとしたような顔をした。

「おかあさまが居はらしまへんのや。」

 訴えた。

麿まろがお迎えに参じます。」

 前久は紅に言った。

「そちはやしき間取まどりにくわしいやろ。案内したってや。」

 いくつもの部屋を通り抜けていった。

 慶寿院の居そうなところを一つ一つ当たっていったが、何処にもその姿は見当たらない。

 奥まで煙が届いていた。

 ほどなく、燃える火を目にすることになった。

 思いがけなく、かなりの範囲まで火が回っていた。

 誰かが逃げる際に、火を掛けたのだ。

 火元は実は、表ではなく奥だった。

 前久と紅は口元を袖でおおって、更に進んだ。

 火勢かせいは益々強い。

 あきらめかけたとき、前久が声を上げた。

「叔母上!」

 煙の向こうに人影が見える。

 立ってこちらを見ているのは、確かに慶寿院だった。

 手には火のついたまきを握っている。

(放火したのは彼女だったのだ)

 責任を取らねばならぬ。

 自分の首を差し出すことも又、あるであろう。

 彼女の言葉が思い浮かんだ。

「叔母上!何なさっとるんや!そこは危ない!早よ、こっちへ来なされ!」

 笑った、ようだった。

 前久が慶寿院の元へ走った。

 紅も後に続こうとした。

 その時、はりが落ちた。

 目の前に火のついた材木が次々と降ってきて、彼女の進路をふさいだ。

 慶寿院と前久の姿は見えなくなった。

 大きな柱が倒れかかってくるのが目に入った。

 立ちすくんだ。



       挿絵(By みてみん)



 着物の襟首えりくびをぐいっとつかまれ、後ろに引っ張られた。

 その直後、彼女が今まで居たところに柱が倒れ、火のが舞った。

「何、ぼけっとしとんのじゃっ!」

 聞き覚えある声が言った。

「何でっ?」

 紅は叫んだ。

「読まなかったんですかっ、手紙?」

 行く手は火の海だ。

 仕方無い。

 気がかりだったが、慶寿院は前久に任せることにした。

 きびすを返して走り出した。

「この、くそな狂歌きょうかかっ!」

 信虎も走りながら、懐紙かいしを見せた。


    都より 甲斐かいの国へは ほど遠し

       御急おいそぎあれや 日もたけたどの


 中身は知らなかった。

「要するに」

 さっと目を通して言った。

「日もけた、と武田を掛けているんでしょ、ってことは早く逃げろってことじゃないですか、意味、わかんなかったんですかっ?後、それ書いたの、あたしじゃありません、うえさまですっ!」

「ええ、うるさい!」

 信虎は怒鳴どなった。

「黙れ、たわけっ!退却たいきゃくの途中、寄ったんじゃい!有難いと思えっ!」

 煙の中に人影が現れた。

 三好の手勢てぜいだ。

 四・五人、まだこちらに気づいていない。

 信虎は走りながら刀を抜いた。

 おそかった。

 たちどころに三人、斬って捨てた。

(慣れている)

 さすが甲斐で鳴らした猛将だ、と思った。

 自分も刀を抜いた。

 先ほどたまわった『藤四郎』である。

 信虎に背後から斬ってかかろうとしている侍のふところに、思い切って飛び込んだ。

 あごの下目掛(めが)けて刀を突き刺した。

 たちまち上がる血飛沫ちしぶきけて、飛んで離れた。

 その間に信虎は残りの一人を片付けた。

「良い刀じゃな。」

 目ざとく見た。

「公方さまから山内に、とたまわりました。」

 血を懐紙かいしぬぐって仕舞しまった。

 使ってしまった。

 敵の首に刃が届いた途端とたん、その身体の中にするすると

(吸い込まれた)

 まるで自分で意思があるように、

(走った)

 さすが名刀と言われるだけある。

 すさまじい切れ味だった。

 後で念入ねんいりに手入れをしなくちゃ。これはお屋形さまにお渡しする公方さまからの預かり物だもの。

 初めて人を殺した。

 でも武家の一員として生きる以上、いつかはこういう日が来ると思っていた。

 案外、平静な自分がいる。

 いや、今はただ、興奮していて何も感じないのかもしれない。こういうのは後から来るんだろう、きっと夜、ひとりでとこにつく頃に。

「思い切ったいくさぶりじゃ。」

「それも、公方さまに。」

 義輝はひととおり剣術を教えてくれたが、結局そちは女子だから、と言った。

「女子は非力ひりきだ、詮無せんないことよ。」

 どうしても戦わねばならなくなったら、短刀をんで敵のふところに飛び込め。

 常に相打あいうちを覚悟せよ。

 我、傷つかず相手を仕留しとめるなぞ、虫のいいことを考えるな。

 一撃いちげき必殺ひっさつを常に念じよ。

 乱暴、だが。

一理いちりある)

「だから、戦う前に常に、戦わずに済ませる方法を考えよ。謀略ぼうりゃく欺瞞ぎまん策略さくりゃく。味方を作る、あるいは逃げる、何でも良い。綺麗きれいごとは力ある者のみが言えること。弱者はしがみつき、つくばり、あらゆる手を使って生き延びる方策ほうさくるのだ。」

 公方さまは、と、今更いまさらながら胸が熱くなった。

 あたしにとって第二のお屋形さまだった。

 倒した敵から刀を奪って、腰にした。

 庭に出た。

 紅は言った。

「御台所さまをお守りしている者たちと、ここで合流することになっております。能舞台の裏に秘密の抜け穴があるのです。」

 頭を下げた。

御恩ごおんは一生忘れませぬ。」

「ふん、後始末あとしまつに来ただけじゃ。」

 うそぶいた。

計略けいりゃくの証拠が残っておらぬかと見に来たが、この分では邸と共に焼け落ちてしまうじゃろう。やれやれ、又、しくじってしもうたわい。三好に代わって、甲斐・武田が都を牛耳ぎゅうじる絶好の機会じゃったのに。」

 普段付けているお面がぱかっとはずれて、彼の『混沌こんとん』が姿を現した、気がした。

(この人はいったい)

 紅はあきれた。

 自分の娘が嫁いだ先の、駿河の今川家を乗っ取ろうという計画を立てて、失敗したことがあったんだっけ。

 きっとこの人が、公方さまや慶寿院さまをき付けたんだわ。

「根っからめ事がお好きなんですね。」

 嘆息たんそくした。

人聞ひとぎきの悪いことを言うな。」

 むっとした。

はかりごと、と言え。」

「陸奥守さまも抜け穴をお通りになりますか?」

「わしのことは構うな。堂々と表から出て行く。」

「そんな、危険です……。」

「何、あんなへなちょこ共、武田にたてつく度胸どきょうなんぞありはしないわい。逆らうならいっそ、成敗せいばいする口実こうじつが出来て、好都合こうつごうというものじゃい。」

 気味悪く笑った。

 ことあれかし、と舌なめずりして待ち構えているのはどうやら、この男の方のようである。

 危険をとして、いくさかてに生きている。

 引退したのも出家したのも、なるほど格好かっこうばかりのようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ